第28話 ホワイトアウト
雪、そこにあるのは雪ばかり。横殴りの吹雪は片時もやまなかった。四方を見渡しても白く、空を見上げれば黒雲で、二色の絵の具で染めたかのよう。変わり映えしない光景の中、街の明かりどころか文明の欠片すら見つからない。
「ヤバい、マジでやばい……」
温暖な気候に生まれ育ったアーセルは、雪を甘く考えていた。北岸ルートと呼ばれる北回り街道は豪雪に埋もれている。ところによっては腰が埋まるほどの積雪で、歩行は困難でたびたび立ち往生した。
極めつけは凍え。骨を貫くほどの寒風にさらされて、魂を直接突き刺すかのようだった。彼は叫ばずにいられなかった。
「オレがバカだったーー!」
絶叫すらも風に流され消えたが、その行方を眼で追うことすら出来なかった。あらゆるものが暴風に飲まれて、白く染められてしまう。力を失った膝は震え続け、気を抜いた瞬間に崩れ落ちそうだった。
そんな弱気を叱咤するのは彼自身ではなかった。連れ合いの精霊だ。
「テメェこの手遅れの巨馬鹿っ! なにが『雪くらい魔術で解決』だこの野郎! てんで駄目じゃねぇかよ!」
アーセルの眼前で飛び回るのは火の精霊サラマンドだ。ただし、ひどくやせ細っており、枯れ枝のような身体に変質していた。トカゲ顔もどこかやつれて見えた。
「テメェこそ寒いくらいで力がでないとか、ナメてんのかサラマンド! こんぐらいの雪なんて炎で消し飛ばしてみせろやカス!」
「そもそも無謀だったんだよ、このルートが! フルブエル大橋が修理中だから雪国を踏破するって、マジもんのアホか!? アホなんだろおい!」
「いちいち足止めされてたまるか、オレは1日も早く王都へ行きたいんだよ」
「またそれか、セフィラセフィラって。そろそろ気づけよ童貞。お前が魔術師になったところで、凄腕冒険者と釣り合いが取れるかよバーカ! そろそろ気づけや徒労だってことに!」
「童貞で何が悪いんだトカゲーー!」
罵り合う2人に割って入ったのは、土精霊のノエイラだ。見目麗しき小人の、理知的な声が冷静さを授けるようだった。
「おやめなさい。諍いなどは、安全確保が出来てから存分に愉しみなさい」
「そうは言うけど、どうすりゃいい。帰り道も分からねぇし」アーセルは呟きながら身体をさすった。手のひらどころか腕の感覚さえも無い。「それに足が雪にとられて、ろくに歩けないんだぞ」
「まずは現在位置の確認です。ここに登れるだけの木を魔術で生み出したなら、周囲を確認できるでしょう」
「やれるか、ノエイラ?」
「火の精霊ほど、寒さの影響を受けませんので」
ノエイラが微笑んだ。その笑みは万余の援軍よりも頼もしく思う。動きの怪しい腕をかかげ、アニマをこめる。発動したのはグロースと呼ばれる魔術だった。
すると雪で埋め尽くされたはずの大地が、わずかに膨れて、破けた。先の尖った木の幹が顔を見せた。すくすくと育っていくのは針葉樹だった。
「おお、すげぇ!」樹木はアーセルの背丈を追い越した。かと思いきや、根元からへし折れてしまう。その拍子で粉雪が埃のように舞い散った。
「ノエイラ、これは?」
「残念ですがアニマが不足しています。過酷な環境で生育させるには不十分です」
「そうは言っても、このシチュエーションじゃ集中できねぇよ」
アーセルの身体はとうに凍えていた。歯の根が噛み合わず、震えも止まらない。村落はおろか、身体を休める場所さえ見つかっていない。
死――そんな言葉がよぎって、慌てて頭を横に振った。死ねない。こんなところじゃ、せめて至高の裸を見るまでは死ねぬのだ。
「どうしたら良い。このまま立ち往生ってのがヤバい。進むか退くかしねぇと……」
その時だ。突然、吹雪の中から何者かが現れた。それは白黒の羽を持つ小鳥で、木の皮に乗っては滑り落ちていく。途中でバランスを崩したせいか雪原に放り出され、丸い身体が跳ねた。
鳥はピピピとさえずっては、ふたたび木の皮に乗った。そしていずこかへと滑っていった。
「何だよ今のは?」
「フクラドリと呼ばれる渡り鳥の一種ですね。この風の中では飛ぶよりも、滑り落ちていく方が早いのでしょう」とノエイラ。
「それだ!」
アーセルはへし折れた樹木に魔術をかけた。浮かべたイメージは、単純に幹を裁断だけのものだ。単純明快だったおかげで、アーセルの思い描くものはすぐに出来た。
「見ろよノエイラ。木板ができたぞ」
「アーセル様。いったい何をお考えで?」
「わかりきった事を。これで滑って雪原を突破するんだよ! あの鳥みてぇにやれば楽勝だろ!」
アーセルは斜面の上から板を蹴ると、すみやかに飛び乗った。一度勢いがつくと加速していった。風も向かい風ではなく、横殴り、運が良ければ追い風だった。
かなりの速度が出ていることは身体が感じた。特に雪上を滑る感触が、尻から伝わってくる。
「うおぉ! 速い! これならアッと言う間に突破できそう……」
アーセルが言い終える前に、ふと不思議な浮遊感を覚えた。周囲は依然として吹雪だけが見えるホワイトアウト。だが身体は理解していた。
高所から落下している真っ最中――そうとしか思えなかった。
「えっ、落ちるーー!?」
さきほどまで見えたはずの地面は、いつしか消えていた。彼は切り立った崖に気づかず突貫して、勢いそのままに宙空へ飛び出してしまったのだ。
響き渡る絶叫、それと衝撃。全身で雪の海を掘り進んでいった果てに、いつしか静止した。今どこに居るのかは自分でも分からない。ただ暗い。雪の中に埋もれている事だけは理解した。
アーセルはうめいた。「光を……」しかし反応はどこからも感じられない。
そして意識が遠ざかり、まぶたが抗えないほどに重たくなる。もはや彼は、身体が痛いのか寒いのか、息苦しいのかどうかも、よく分からない。ただ眠るように力が抜けていっただけだ。
どのくらい瞳を閉じたかは分からない。ただ、耳に聞こえる破裂音が、アーセルの意識に干渉した。風の音は遠い。かわりに、パチパチという焚き火の音は直ぐ側に聞こえた。
(なんだろ……暖かい? 気のせいじゃなけりゃ)
目を開こうにも、まぶたが腫れたかのようで見えない。全てがかすみ、ものの判別がつかない。まずは起き上がろうかと、顔を持ち上げた。
するとそこで短い悲鳴が聞こえた。「キャッ」女の、比較的高い声色だった。同時に、頬を柔らかなもので叩かれた感触が残る。それは不思議と、いつまでも温かく残るのだ。
「気がついたのですか?」
相手から問われた。アーセルもどうにか目を開き、確かめようとする。やがて少しずつ視界が戻り、瞳が、1人の少女を映し出した。
薄暗い家屋、こうこうと燃える焚き火、傍らに腰を降ろす少女。何一つ見覚えはなかった。
「よかった。私はリオンと言います。危険な状態でしたので、いったん私の村まで運んできたんです」
「あぁ、そうか」
「まだ身体は冷えてますよね。すぐに白湯を持ってきます」
そう言ってリオンは、いそいそと奥へと引っ込んでしまった。1人残されたアーセルは、焚き火の燃える炎を眺めていた。腰には獣皮に綿を詰め込んだ寝具まで掛けられていた。
「いったい、どうしたんだ……」
アーセルは理解が追いつかずに煩悶とした。心を埋め尽くすのは見知らぬ家屋への疑問でも、遭難した経緯でもないし、先行きの不透明な未来ですらない。
(もしかして、さっきオレの頬を打ったのは……)
信じられない思いで呆然としていると、リオンが戻ってきた。木椀に1杯の湯。だがそちらはどうでも良かった。
「こんなものしかありませんが、どうぞ」
アーセルは手元も見ずに椀を受け取った。白い湯気が立ち上っている。促されるままにすすった。何か身体に熱いものが駆け巡る感覚があったが、それもどこか遠くに感じていた。
「ところで、1つお尋ねしたいのですが……小柄な青年を見ませんでしたか? 兄が行方不明でして」
リオンが神妙な面持ちで語った。だがアーセルは理解できなかった、いや理解する余裕がなかった。彼は延々と、リオンの胸元だけを見ていた。毛皮のチュニックの膨らみは隠しようもなく、見るからに重たそうだ。これまで目にした中で、つぶさに読み取った体型と比較して、頭ふたつ飛び抜けたサイズであった。
(もしかしてだけども。さっき目覚めた時、頬に触れたものは――)
あの時、視界がボヤケていたことが心から悔やまれる。がしかし、あの温かでポヨンと弾く感覚は忘れてなどいない。
(決して忘れない。今日という日を、残りの生涯において忘れるものか)
心に固く誓う――その間にもリオンは語り続けたのだが、アーセルはまともに聞いていなかった。記憶と魂に刻み込むことだけに集中していた。




