第2話 転機を逃すな
陽が暮れて、ロウソクのかぼそい灯りがテーブルを照らす。
この孤児院の食堂は広く、ひとつ限りの燭台では隅々まで照らすことができない。手元のスープをひっくり返さずに済む程度の光量だ。孤児院の面々と薄暗い食卓を囲む中、アーセルは力説した。
「つうことで、オレは冒険者になるって決めたのよ!」
居合わせる3つの顔は呆然としていた。パンをちぎる仕草や、スプーンを掴む手が、まるで時を失ったかのように静止する。
最初に反応を示したのは、焦げ茶色の髪を後ろ縛りにする少女だ。
「おじさん、また好きな人ができたの? こりないね」
呆れ口調で言うのはマリーだ。10歳という若年だが、一通りの家事をこなせる。この温かな晩餐も彼女の手料理で、アーセルよりずっと上手だった。
「今回はマジのやつだから! 今に見てろよ、オレは誰よりも強くなって、そんで、セフィラを嫁さんに……!」
「夢見過ぎ。どうせまた、こっぴどくフラれるんだから」
「やってみなきゃ分かんねぇだろ。なぁジャクソン?」
アーセルが助け舟を求めた相手は、赤色の髪を短く切りそろえた少年だ。ジャクソンはチュニックの裾を指先で触れながら言った。
「うん、でもね、僕もマリーと同じ気持ちかなって」
「分かれよジャクソン! 愛に目覚めた男の強さ、お前になら理解してもらえそうだけどなぁ!」
「だって冒険者になるには、色々と必要じゃないか。武器とか道具、もちろん戦いの訓練も。そもそもギルド登録しなきゃだよね」
「そりゃ、その辺はどうにかするんだよ」
アーセルは最後の望みとばかりに、養父クラッセンに泣きついた。すでに70歳にも迫る高齢で、頭は剃髪しなくとも自然と禿げ上がっていた。
「じいさん、アンタは若かりし頃に旅して回ってたよな!?」
クラッセンは鷹揚に、繰り返しうなずいた。
「はい、そうですとも。大陸中の悩める人々を救うために。修行の一貫でした」
「そんときの装備があるだろ、いろいろと。オレに譲ってくれよ。いいだろ?」
「それは、どうでしょうか。かれこれ何十年も前の事ですし、使い物にならないと思います」
「せめて物だけでも見せてくれ。1つくらいは使えそうなのあるだろ?」
「昔の事ですから。どこにしまったかも覚えておりませんよ」
さらに言い募ろうとしたアーセルだが、クラッセンが話題を変えてしまった。「そういえばマリー」と。そのやり取りは長かった。食事の時間は、もはや冒険者の話からかけ離れていた。
全員が食べ終わると、クラッセンが皆を見た。
「では、女神ルミナスに感謝の言葉を。我ら清貧を旨とし、健やかに、慎ましやかに生くる者なり――」
それを合図に全員が離れた。ご機嫌斜めのアーセルは自室に戻ろうとしたのだが、マリーに呼び止められた。「おじさん、洗い物!」
皿洗いを片付けた後、冷水で鈍くなった両手をこすり合わせながら、アーセルは私室に戻った。ベッドと椅子だけで埋まるほどに狭い、だが気にならない。特に今ばかりは――。
「なんだよ皆して。一大決心だぞ」
アーセルの人生は失敗続きだった。四十路を迎えても生業を持たないのは、特殊な生い立ちによるものだ。連日にわたるボヤ騒ぎなど、少年時代の『精霊騒動』が忘れ去られることはなかった。
その哀れな孤児を救ったのはクラッセンで、彼は精霊の性質を熟知していた。
「あなたは何も悪くありません。巡り合わせが少しおかしいだけですよ」
その言葉とともに、アーセル少年は儀式を受け入れた。
礼拝所に設えた祭壇、穏やかに響く詠唱。やがてアーセルの額にクラッセンの指先が触れる。すると温かなものが波を打つようにして全身に広がっていく――その感覚は心地よかった。そして彼の異変も落ち着きだし、連日にわたって起きたボヤ騒ぎも過去の事となった。
しかし無実の証明までは得られなかった。不気味な少年という悪評は根強く、ロックヒルの人々は成人後のアーセルを雇おうとしない。火を扱う鍛冶屋、食堂はもとより、冒険者ギルドや農家、製材所でもかがり火くらいは点ける。
就職難から救ったのもクラッセンで、今後も養うと言って受け入れた。気の済むまで暮らせば良いと――。
「ありがたいは、ありがたいけどよ」
清貧を強いる孤児院暮らしはなかなかに窮屈だ。一応は平穏無事なので、このまま年老いていくのだと考えていた。
しかしセフィラと出会ってからというものの、胸に何かが込み上げる。そして力強く言う――今すぐに動き出せ――そう突き動かすのだ。
「このままじゃ終われないんだよ。ようやく運命の人に出会えたんだぞ……」
その晩は悶々と悩みながらも、やがて眠りに落ちた。あまりにも刺激の強い1日で、身体だけでなく心もくたびれていた。
翌朝。アーセルは朝食もとらずに、村へ向かった。すれ違う女たちには目もくれない。心にあるのは冒険者ギルドだけだった。
「とにかく登録だ。そうすりゃまともな肩書がもらえるし、セフィラに会う口実だって……!」
実は少しだけ身ぎれいにしていた。場所が場所だけに、鉢合わせる可能性があったためだ。
チュニックのシワを撫でて整え、伸び晒しの黒髪は革紐で結んだ。ゆい方が下手で、頭頂で縛ったために毛先が植物の葉のように広がるが、他の手法を知らなかった。男ぶりが上がったかは自分でも分からない。
駆け足で息が切れたころ、彼は村中央に辿り着いた。ひときわ大きな石造りの建物を訪う。ここは冒険者ギルド。これまでの彼にとっては無縁の場所だった。
「アーセルだ。冒険者登録を頼む!」
開口一番にカウンターへ告げたが、返答は冷ややかだ。応じたスタッフは顔なじみで、レックスという。冒険者上がりの大男だ。
「あ? 何言ってんだお前」
「どうせここも人手不足だろ? なり手が少なくて困ってるんじゃないか」
「足りないのは『熟練の冒険者』だ。頭数だけ揃えても無意味なんだよ」
カウンターには依頼書が画鋲で貼り付けられているが、1枚だけだ。確かに今は、人手をかき集めるべき状況には見えない。
「ゴブリン退治ってのがあるだけか。オレでもやれるかも」
「ふざけんな。素人が手を出してみろ。魔窟で迷子だとか、案件の抱え落ちとかで、何かと面倒なんだよ。それが世間知らずのガキなら勘弁してやるが。四十路を超えた孤児おっさんの尻拭いなんてごめんだぞ」
「じゃあギルド登録は――」
「出すわけねぇだろ。市場でゴザに座ってろ」
そう言い放ったレックスだが、アーセルという人物をよく知っている。精霊騒動に始まり、長々と続く怠惰な暮らしぶりもだ。適正なしと判断するのは、悪評からではなかった。
アーセルは食って掛かりそうになるが、相手は武闘派だ。丸太のような逞しい腕を前にすると、口論する気持ちが萎んでいった。
(他に誰か、助けてくれそうな奴は……!)
室内に他の冒険者の姿はなかった。ただ、カウンターの端にもう1人、スタッフが居ることに目をつけた。この村のギルドマスターだ。そちらはかなりの老齢で、腰も曲がっている。しかしまだ引退を望んでおらず、こうして毎日のようにカウンターに現れるのだ。
アーセルは横移動して老齢のマスターと向き合った。
「頼む、オレを登録してくれよ。やる気は十分なんだよ」
レックスが「親父にからむな!」と怒鳴るが、アーセルは怯まない。おめおめと引き下がれば、元の自分に戻るだけ――そんな気がして。
マスターはというと、口をモゴモゴとうごめかせた。長く垂れ下がる眉毛が瞳を隠し、感情の色を明かそうとしなかった。
「にゃむにゃむ……はぁ?」
「だから、オレを登録してくれ! 冒険者になりたいんだ!」
「やめなされ、やめときなされ。危ないことは、とても危ないから。安全が一番じゃて」
「それじゃダメなんだよ……!」セフィラが去り際に見せた視線、アーセルの心が引き締まってゆく。「オレは強くなりたい、そして愛する人を手に入れたいんだ!」
外に漏れ伝わるほどの声が、通行人を呼び寄せた。皆が皆、窓から覗き込み、何事かと野次馬になった。そして、この騒ぎの中心がアーセルと知るなり、悪態の色が強まってゆく。
――またあいつが騒いでる。マジで疫病神かよ。
――クラッセン司祭も、さっさと追い出せばいいのに。こんな気色悪いヤツ。
悪意をはらんだ視線が窓越しに伝わってくる。しかしアーセルは黙殺して、正面だけを見た。まっすぐ、ひたむきに。
(オレは変わるんだ、今ここで!)
瞳に祈りを、ありったけの願いを込めた。全てを断ち切ってしまいたかった。幼少期の不遇も、成人してからの蔑みも、中年期にのしかかる虚無も。
ここが運命の分かれ目だ。それを自覚するからこそ、罵倒に怯まず居座るのだ。するとギルドマスターが笑った。
「ほっほっほ、なんとも瑞々しい決意よのぉ」
長く、高らかな笑い声を響かせてくれた。その朗らかさに、アーセルの表情も少しだけ柔らかくなる。
「まったく、惜しげもなく愛だの恋だのと騒ぎおる。死に損ないのジジイには羨ましいわ、ほっほっほ」
「つうことは認めてくれるよな、オレにギルドの許可を!」
「いんやダメじゃ。危ない、危ないのよ」
緩やかに拒絶が告げられた。急転直下、上げて落とす。アーセルは思わずマスターを殴りそうになった。
この老人はとにかく頑なで、一度として首を縦に振ろうとしない。アーセルの熱意とマスターの頑固対決はしばらく続いたのだが、レックスによってつまみ出されることで、一応の決着がついた。




