第26話 大きくなったら
ウェルヘイムの中央広場には大勢の人が詰めかけていた。領主バンスネル男爵が、アーセルの功績を表彰したいというのだ。
エビルプラントの騒動が終息して日が浅く、この周辺も被害は小さくない。石畳は割れて噴水は止まりと、傷跡は生々しく残されている。しかし職人が拵えた木の舞台と真紅の垂れ幕が、特別なイベントを演出してくれた。壇上にて、バンスネルと並んで立ったアーセルは、むずがゆい気分にさせられた。真新しい木目の床ばかりを見ていた。
「偉大なる魔術師にして冒険者アーセル殿。貴殿の功績をここに讃えよう!」
バンスネルの言葉があると、その脇に控えた従者が恭しい仕草で歩み出た。漆塗りのプレートには小さな小袋が乗っている。報酬として、金貨10枚という大金がアーセルに進呈されたのだ。
(そんだけの金があれば、いったい何ができる……!)
アーセルは唾を飲み込んではピンク色の未来を想った。以前に会った娼婦は銀貨数枚でアレコレできる。その数十倍の報酬が今眼の前にあるのだ。
(娼婦換算したら何人だ? いっぺんに5、6人はいけるよな)
右手に爆乳、左手にも爆乳。頬はむっちむちのフトモモで挟んでもらい、両足にでっぷりデカ尻に乗ってもらう。そこまで侍らせても余りある額に、アーセルの腹は熱く燃えるようだった。
「そんじゃまぁ、ここはありがたく。領主様の顔もあるしな。えっへっへ」
コソドロじみた笑みを浮かべたアーセルが、小袋を手に取った。だが次の瞬間、傍らに浮かぶサラマンドたちの姿が薄れていった。ノエイラも霞の向こうに消えてゆく。今まさに清貧を失おうとしており、アニマに不都合が生じたためだ。
「待て待て待てお前ら! 今のは違うからな!」
虚空に向かって叫ぶアーセルに、観衆は小首を傾げつつ見守った。あまたの視線が今、街の英雄に降り注がれる――。その人アーセルはというと、小袋を開いては、1枚ずつ金貨をプレートに並べていった。
5枚ほど金貨を減らした所で、再び小袋を掴みとる。またもや精霊は消えかけた。慌てて「今のなし!」と叫んでは、また袋から金貨を取り出して減らす。それを繰り返したところ、たったの1枚でも受け取ることは許されなかった。結局アーセルはこう叫んだ。
「金なんていらねぇ!」
その台詞には皆が瞠目した。その中でもとりわけ強い反応を見せたのはバンスネルで、彼は涙をにじませながらアーセルに歩み寄った。そして深々と頭を下げた。
「アーセル殿、あなたは英傑だと信じておりましたが、まさかこれほどとは。報酬は全て街の復興に遣えと仰るのですな? いやはや、なんという聖人でありましょうや」
「いや、そういうんじゃない。やむを得ずだよ」
「1日もはやく街を立て直してみせましょう。約束いたします」
バンスネルが宣言すると、辺りは万雷の拍手で包まれた。高らかに口笛が鳴り響き、彼を称賛する声も途切れなかった。
「さすが高潔な童貞様! 粋なことしてくれんね!」
「童貞! 童貞! 我らが童貞!!」
さすがにアーセルは吠えた。「お前ら本当に感謝してんのか!?」
いささか不満の残る表彰式を後にしたアーセル。それからの彼は身体を休めるでもなく、荷造りに移った。ウェルヘイムに残る理由もなくなったせいだ。
「さすがに足代を稼ぐような状況じゃないしな。復興は街のみんなに任せっか」
旅立ちと聞いて見送りにやってきたのは、顔なじみの人たちだった。コーウェン夫妻はどこか寂しげな顔だった。
「本当に世話になった。これは少ないが、オレたちからのお礼だよ」
そう手渡したのは食料だった。夫人特製の干し肉に、酢漬け野菜のビンがいくつか入っていた。
「助かるよ。でも良いのか、食い物はアンタたちにも必要だろ?」
「それがだな、バンスネル様が蔵を開いてくださった。お陰で当面の食料には困らないと思う」
コーウェンが言うと、続けて夫人が言った。
「気にしないでくださいよアーセルさん。それにね、ちょっとくらい飢えた方が、アタシとしては助かるからさ。痩せるしね!」
そう言い放っては豪快に笑う。恰幅の良い腹がやわらかく揺れた。
その隣で一歩前に出たのはランドだ。彼も餞別があると言い、小瓶を手渡してきた。
「突然のことで、こんなものしかありませんが」
「これは?」
「万能薬です。塗り薬で、火傷やかぶれといった様々な症状に効きます。止血効果もありますので、何かのお役に立てたらと」
「へぇ、そりゃ便利そうだな。もらっとくわ」
「娘が大変お世話になりまして。父として、その御恩に報いたいのですが」
「大げさな。オレだって薬草を分けてもらったり、助けられたんだ。持ちつ持たれつだよ。なぁミリアム?」
アーセルが問いかけるも、ミリアムは何も答えなかった。父の足に隠れては、地面をジッと見つめている。その姿を父はやんわりと窘めた。「ミリアム、ご挨拶なさい」
そこまで言われて、ようやくミリアムは顔を持ち上げた。口をへの字に結び、眉間には幼いシワが刻み込まれている。
(こいつは最後まで強情なガキだったな)
アーセルは苦笑しながら短く言った。「元気でやれよ」と。するとミリアムは口元を震わせながら答えた。
「おじさん、いっちゃうの?」
硬い表情からは想像できないほどに、か細くて小さな声だった。アーセルはかすかに気後れを覚えた。
「まぁな。オレは王都に行きたいから」
「また会いに来てくれる?」
「たぶんな。こう見えて冒険者だぞ。用があれば来ることもあるさ」
「じゃあさ、もっと後になったらさ、そしたらさ」
ミリアムが口ごもる。皆が優しく見守る中、彼女ははっきりと言った。「アタシをお嫁さんにして!」
その台詞はアーセルにとってつむじ風だった。まず耳を疑い、夢かと思い、現実を受け止めるのに時間を要した。
「嫁にしろって言われても……」
窮したアーセルは周囲に視線をめぐらした。コーウェンは驚いて目を見開き、夫人は愉快そうに微笑んでいる。父ランドは殴られでもした表情だが、口を閉じたままだった。
「おいサラマンド、助けろ」アーセルは精霊にすがった。するとトカゲの口がにたりと歪んだ。
「すげぇな。初めてのプロポーズが5歳かそこらのガキとか。嬉しいかロリコン野郎め」
「フザけんな。どう答えりゃいいか分からん。サッサと教えろ」
「まぁ、ありていに言えば、こうだろ。大きくなったらなんてね。ガキの恋心なんて風邪みたいなもんだ。大人になったらケロッと忘れるもんだよ」
「な、なるほど……」
「ともかく無下にしてやるな。妙なトラウマを植え付ける真似はやめとけ。ノエイラがぶち切れるかもよ」
「分かったよ、クソ面倒」
アーセルはミリアムに歩み寄り、膝を屈めた。大きな手のひらで幼い頭を撫でてやる。そして静かな声で告げた。
「じゃあそのうちな」
「そのうちって、いつ?」
「ええと、そうだな。お前のおっぱいが大きく育ったころに」
ここでアーセルの無神経が炸裂した。悪意なき暴言が響くなり、辺りの気配が凍りついた。氷結と呼ぶに相応しい有様だ。唯一の救いはといえばミリアムだけが「約束だからね!」と元気であった事くらいだ。
それから間もなく、アーセルは街から去っていった。ランドたちの見送る声は、少しだけくぐもった響きをしていた。
「この童貞バカ野郎。あんな約束の仕方があるかよ。ランドを見たか? 卒倒しそうなほどに青ざめてたぞ」と、道すがらにサラマンド。
「大意としては同じ台詞だったろ」
「こいつ頭おかしい。どう思うよノエイラ姉さんよぉ?」
「我が主は少々変わっておいでです。性欲もバケモノクラス。今さら何を驚けと」
「だとよ。良かったな、ムッツリドスケベ魔神。その溜まりに溜まった性欲がアニマを生み出してんだぜ」
「褒めてんだよなお前ら?」
やたら賑やかな旅立ちだった。ノエイラという精霊が増えた分だけ会話も増えた。
ウェルヘイムを出たアーセルたちは、これより大山脈を北回り行路で王都を目指す。次なるエリアは豪雪地帯。白嶺の節に赴くべき場所ではないのだが、彼の世間知らずっぷりが発揮された結果だ。
差し当たって猛吹雪に晒されて遭難する事になる。だが今のところは、平坦で歩きやすい道が続いていた。




