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第25話 街の中心で童貞と叫ぶ

 どこに行ったんだお前ら――半狂乱になったアーセルは、忽然と消えた精霊たちを探した。テーブルの下にもベッドの裏、どこにも見当たらない。


 唐突に騒ぎだすなり苛立つ姿は、狂気を通り越して恐怖である。ここに居合わせた者は哀れだった。


「あの、どうかなさいましたか?」


 踊り子が身を縮めつつ、おずおずと尋ねた。アーセルが台詞にかぶせつつ喚き散らした「いねぇんだよアイツらが! マジで!」


 アーセルが人語を操れたのはここまでだ。彼は奇声を発しながら部屋を飛び出し、演舞場に戻った。そこでは今も招待客が歓談中だ。復興プランや自宅の損害について語り合う――そんな折に乱入したのだ。


「キィエエーー!!」叫びながら駆け回るアーセル。恐れおののいた招待客たちは、揃って腰を抜かした。


「いかがされましたか、何かお気に障ることでも!?」


 バンスネル男爵が青ざめながら尋ねる。やはりアーセルは喚くばかりで会話にならなかった。誰の言葉にも耳を貸さずに場内を駆け回る。テーブルクロスをまくりあげ、絨毯を裏返すなどの奇行を繰り返したかと思うと、すかさず屋敷から飛び出した。


 そして夜闇に身を踊らせながら、繰り返しに叫んだ。


「サラマンド! ノエイラ! オレが悪かったから戻ってこい!」


 騒ぎに気づいた街の住民たちが、アーセルに声をかけた。彼らが一様にフランクな態度であるのは、経緯を知らないせいだ。


「おっ、英雄のお帰りだ。領主様の接待はどうだった?」


「どこに隠したサラマンドぉぉ!!」


「ひぃぃ! オレは知らねぇよそんなもん!?」


 遠巻きになる群衆にアーセルは掴みかかり、精霊はどこだと問い詰めた。当然答えなどなく、彼は夜闇に落ちた街をさまようことになる。


 大通り、住宅地、裏路地――。どこを探しても見当たらず、立ち止まった頃には肩で息をしていた。


「クソッ、なんだって急に消えたんだ……」


 思考を巡らそうにも酔いが邪魔をする。ドクンドクンと大きな鼓動がうるさくて仕方ない。

 

 そこで辛うじてひりだしたのは『清貧』という言葉。とても大事なものだと聞いた気がしているが、アーセルは言葉の意味を深く知らない。何となく気高いものという認識でしかなかった。


「清貧、清い、きれい……?」


 アーセルは自分の居住まいを確かめると、服が汚れていることに気付く。マントは泥だらけ、インナーチュニックも脂のシミや渇いた血が付着していて不潔だった。


 クワッと目を見開いたアーセルは井戸に駆け寄った。「これが答えなんだろ!」


 手桶をひっつかんでは冷水を頭から被った。それは盛大に、息が詰まるほどに激しく浴びた。


「ぐぇぇぇ冷てぇーーッ!!」


 季節は豊穣の節を終えて、白嶺の節に入った頃合いだ。夜は冷え込み、寒風が容赦なく吹き付ける。冷水は果てしなくアーセルの体温を奪い去っていった。


「ここまでやったら良いよな――って、まだダメかよ!」


 全身ズブ濡れになっても叡智の書は白紙のままだ。まだ水浴びが足りないのかと桶を持つ。だがそこで凶行は予兆なく止まった。


「待てよ。前にじいさんが、人助けは心を清めるって言ってたような」


 桶を投げ捨てたアーセルは、辺りに視線を巡らせた。周囲には彼の騒がしさを見物に来た住民がチラホラ見える。彼らは噂話を交わしているようだが、アーセルは気にも留めない。


 その群衆の中に、1人の老婆を見つけた。彼女は大瓶おおがめを荷車に乗せて、喘ぎながらどこかへと運ぼうとしていた。アーセルの瞳がギラリと輝く。


――見つけた、いかにも困ってるやつ!


 アーセルは凶々しく笑うと老婆に駆け寄った。「ばあさん、手伝うぞ! どこまで運べば良い!?」


 老婆は驚きつつも荷車を委ねた。


「あんれまぁ、誰かと思えば魔術師様でねぇか。こんなババアの世話をしてくれるだなんて、優しいねぇ」


「気にすんな、諸事情だ」


「それよりお前さん、びしょ濡れじゃないか。替えの服でも探してきてあげようかね?」


「寒くねぇ!」


 アーセルは老婆の自宅まで運ぶ事を請け負った。思いのほか遠く、長い坂道を必死の思いで登り、どうにか目的の場所まで届けた。感謝する老婆を置き去りにして『成果』を確かめる。


 だが白い。叡智の書は今も変わらず白紙を保っていた。


「ちくしょう、あいつら……どこまで意地が悪いんだ……!」 


 疲れ果てたアーセルは、ついに膝を屈した。木枯らしの吹く中で、人知れず、路地裏に寝そべってしまう。体力が底をついていた。


「もうダメだ、動けねぇ……」


 冷えた石床に触れた頬が、体温を奪う。温度だけではない。昨日までまばゆく思い描いた未来が、音もなく遠ざかり、消えてゆく。


 精霊なしに魔術を使えない。この先に待ち受ける長旅にも堪えられず、王都へ行くことなど叶うまい。つまりセフィラとの再会など夢物語になるということだ。仮にまた会えたとして、魔術を失った今、彼女に何を語れというのか。


「つうか理不尽だろ! オレはまだ童貞なんだ! 話が違うじゃねぇかよ!」


 仰向けに寝転がり、夜空に向かって吠える。声は虚しく響いて消えた。もしサラマンドが居たならば意地悪そうに笑うだろう。ノエイラは無作法を嗜めるかもしれない。そのどちらも居ない。


 瞳が滲んでいくのがわかる。やがて涙が頬を伝ったが、拭う事が煩わしい。夜風にさらされて身体が冷えていく事も些末に思う。風邪でもひきかねない、だが勝手にしろと、自分の事ながら突き放した。


「1人にしないでくれよ」


 夜風に吹かれる最中、彼は自分の身体が縮んでいく錯覚を覚えた。体感する手足は短く、まるで子どものようだ。あの日に感じていた孤独が、心の奥底に眠る想いを呼び起こすのか。アーセルは歯を強く噛み締めては、こみ上げる感情に抗った――しかし想いは涙となって溢れてゆく。


「嫌だよ。もう、寂しいのは……」

  

 呟いて、瞳を閉じた。熱くなったまぶたは、抗えないほどに重たい。このまま眠ってしまおう。死ぬなら死んでしまえと、自暴自棄な思いを抱きつつ眠りについた。意識を手放すのにさほど時間はかからなかった。


「おい、いつまで寝てんだよ」


 どれだけ眠りに落ちていただろう。ふと誰かが呼びかけた。閉じたまぶたが白んで、目が痛む。


「起きろやコラ。もう朝だぞ」


「うるせぇよサラマンド。疲れてんだよ、もう少し寝かせろ」


 アーセルはそこまで言い放つと、勢いよく身を起こした。何か軋む音、床についたはずの手のひらも木の触感を感じている。彼はベッドの上に居た。粗末だが、どこかの家屋の寝所に寝かされていたようだ。


「ここは……いやそれよりも!」


 アーセルは隣に浮かぶサラマンドを激しく睨んだ。


「テメェ、昨日はよくも勝手に消えやがったな! しこたま探し回ったぞ!」


「消えてねぇよ。ずっと傍にいたっての」


「嘘つくなよ! 叡智の書も綺麗に消しやがって!」


 アーセルは証拠だと言わんばかりに、懐の本を開いた。するとそこには、かつてのように術式や古代語がみっちりと書き記されている。情報量の暴力に目眩を覚えた。


「えっ、なんで。昨日は確かに」


 するとサラマンドの隣に美しい女が舞い降りた。ノエイラだ。


「酒を飲まれたせいですね。アニマを激しくかき乱されたことで、我らとの繋がりが一時的に途切れたのです」


「そんな事になっちゃうの……?」


「ゆえに申し上げました。酒を過ごさぬようにと。これに懲りたら、次からは控えるようにお気をつけください」


「なんだ、そういう事だったのか」


 脱力したアーセルはベッドに倒れ込んだ。硬く粗末な寝具で背中が痛むが、気にも留めない。


「良かった、マジで。終わったと思ったよ……」


「それにしてもお前、おもしれえな。あんなガキみたいに泣きわめいて。見てて爆笑の嵐だったんだが」


 サラマンドがニヤニヤ笑うと、ノエイラがたしなめた。


「ショックであった事は察しますが、やはり限度を弁えてください。あなた様の名誉に関わりますので」


「うるせぇよ。分かった、次からな」


 アーセルはふて寝を決め込もうとする。しかし寝室に家主がやって来たことで、身を起こした。それは腰の曲がった老婆で、昨晩に手助けした相手だった。


「アンタがオレを?」


「ええそうですよ。あんなにも泣きじゃくって倒れてましたからね。皆に頼んでここへ運んでもらったんです」


 窓の外に気配を感じたアーセルは、そちらに目を向けた。すると何人かの男たちが覗いている。どれも安堵した顔ばかりだった。


「あぁ、助かるよ。風邪をひいてたかも」


「風邪なんて。あのままじゃ死んでましたよ。生きてりゃ色々あるとは思いますがね、自棄やけをおこしちゃいけませんよ。それにしても――」


 老婆が口を大きく曲げて笑った。歯の大半は抜けており、残った前歯も明後日の方を向いていた。


「その御年で童貞とは、さすがは高名な魔術師様ですね。厳しい修行を積んでおられる。しかもこんな汚いババアを助けてくれるんだから、よく出来たお方ですよ」


「いや、それはまぁ、諸事情というやつで」


「もしアタシが60歳は若かったら、お礼にかこつけて口説いてましたよ。イッヒッヒ」


「そりゃ、どうも……?」


 朝飯を食って行けと老婆が言うが、気まずさのあまりすぐに出ていった。老婆の家は坂の上にある小屋で、周囲は街の人たちが多く詰めかけていた。


「よかった、元気になったんだな!」


「さすがだよ。その歳まで貞操を守っただけあるぜ!」


「童貞と一緒にオレたちも守ってくれよ!」


 彼らの賛辞に悪意はない――ないのだが、強く刺さる。アーセルは足早になって言う。「行くぞお前ら!」サラマンドたちがその後に続いてからかった。


「街中に知れ渡ったな、マジの童貞だって。皆の見る目も変わったんじゃないか?」


「うるせぇ! そもそもお前らが消えるから!」


「街の英雄が『オレは童貞だ!』とか、クソ笑うわ。まぁこれに懲りたら、もう少し冷静になるんだなウケケケ!」


 アーセルが拳をふりあげると、サラマンドは華麗に宙を舞ってかわした。結局は、その場を足早に立ち去っていく。


 明け方、眩い日差しの差し込む下り坂を降りてゆくアーセルは、どこか愉快そうでもあった。



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