第23話 確かめ合う絆
アーセルは、気絶したままのミリアムを抱きかかえた。やすらかな寝息を頬に感じるたびに、実感がふつふつと沸き起こる――自分たちは生き残ったのだと。
「まったく、根性の座ったガキだよお前は。オレよりよっぽど勇敢だな」
そこへ、草の音の混じる足音が聞こえだす。闇夜から現れたのはコーウェン夫人だった。スカートに細かな穴が空いている事を除けば、普段と変わらぬ様子だった。身体を動かすことに不自由はないように見えた。
「あぁ、ミリアム! この子は無事なのかい!?」
アーセルは人差し指を自分の口元に当てては、夫人を黙らせようとした。とたんに立ち止まる夫人、そちらへ歩み寄るとミリアムを委ねた。恰幅のよい身体が、少女を包み込むように抱きしめた。
「良かった、この子ったら! バケモノが暴れてるのに畑を見に行くって!」
「間一髪ってやつだ。でも生き残ったぞ」
「それにしても不思議なもんだねぇ。アタシは石化したんだろ? それがすっかり元通りだもの。これは神様の御業ってやつなのかい?」
アーセルは、視線をノエイラに向けた。ノエイラはそっと微笑んでは、手のひらを差し出す仕草を見せた。好きにしろという意味だった。
「オレの魔術が成功したみたいだ。無我夢中だったから、詳しくは覚えてないが」
「なんてこと、アンタは街の救世主じゃないか! こんなに強いのを隠してただなんて、もう、人が悪いじゃないか!」
コーウェン夫人は、片手でミリアムを抱きかかえると、空いた手でアーセルの背中を叩いた。むせるほどの衝撃で、視界に星が飛ぶようだった。
夫人はアーセルの偉業を褒め称えるが、彼の功績はこの程度では済まなかった。それはウェルヘイムの街へ向かった時に判明する。
「うわ。エビルプラントの檻が……」
無数のツタが折り重なって街を覆い尽くしていたが、それも今となっては無い。街路樹の枝や草原の雑草が途方もなく伸びては、ツタを絡め取り、力ずくで地面に引き倒していた。力付くでこじ開けたような光景だった。
それらのツタは力尽きる寸前だ。締め付けられ、引きちぎれた個体から順に、光の粒子を吐き出していく。すると、街のあちこちから人の声が聞こえるようになった。
「ここもだ。石化の呪いが解けていく……」
その時アーセルは閃いた。石化が解けるのであれば、ミリアムの父ランドも救えるのではないか。
「おばさん、ミリアムを頼む。オレはちょっと野暮用ができた」
「えっ、それは構わないけど。少しくらい休んだらどうだい?」
「それが、思いの外元気が余ってんだ。頼んだぞ。それからコーウェンも治ると思うから、迎えにいってやれ。キャンプ地だ」
声を裏返して喜ぶ夫人を置いて、アーセルは崩落地に向かおうとした。だが遠出する必要はなかった。エビルプラントが地中から貫いた穴が、そこかしこで開いている。そこを飛び降りるだけで十分だった。
アーセルが再び鍾乳洞に落ちた。無明の闇を明るく照らすのは、サラマンドの役目だった。
「ちいっと崩れちゃいるが、まだ保ちそうだな」
ところどころで岩石が山を作っているが、大きな変化はなかった。石化して取り残された人々も、1人ずつ順番に、元の姿が取り戻されてゆく。
「さてと、ミリアムの親父は奥の方に……あっ!」
アーセルは叫ぶとともに身構えた。壁際に萎んだ球根を見たからだ。エビルプラントの本体に間違いない。全てのツタを失ってはいるが、まだ余力を残しているようで、頭の先から細い触手を生み出していた。
「禍根は断たなきゃな、根元からってやつだ!」
右手を突き出してアニマを集めようとするアーセルに、待ったの声がかかった。ノエイラだ。
「アーセル様、お気持ちは理解できます。しかしここは見逃してはみませんか?」
「はぁ? 何言ってんだ、出来るわけないだろ」
「魔族とは全てが大なり小なり波動を放つものでして、今はそれを利用すべき時と存じます」
「分かるように言え」
「今のウェルヘイムは著しく損耗しています。ここで新手の魔族が押し寄せたとして、撃退は出来ますでしょうか? 被害は甚大になるのでは?」
アーセルは崩壊した城壁を思いだし、頷く。街は広く、住民も多いが、その割に兵士の数が少ない。冒険者たちは逃げ去ったようだし、ご自慢のバリスタも城壁の崩壊に巻き込まれて使えない。
「確かに、今はヤバいと思う。だがな、それとエビルプラントに何が関係してる?」
「ダンジョンの主は、強烈な波動を放ちます。それが別の魔族を遠ざける効果もあるのです。ここは討ち果たすより、生かして使うが最善かと」
「よく分からんが、魔除けになるってこと?」
「その解釈で合っております」
「だがよ、こいつを野放しにしたとして、また復活したら? 今日の二の舞になるんじゃないか?」
「はい。その場合は速やかに討伐すべきでしょう。しかし何百年という時を要します。それまでは、他の魔族を遠ざける仕事をさせましょう。いわば守り神のような」
「とんだ神様だな、そりゃ」
「要するに何を選択し、いかにして安定させるかです。最善の策を何卒ご検討願います」
ノエイラが両手を捧げ持つようにして頭を下げた。その弾みで、大きな胸が塊となってプルンと跳ねた。まじまじとノエイラを見つめると極めて魅力的な体型をしている。ボンと膨らんで突き出た双房を支えるように、腰紐を高く結ぶ。そのピークポイントに飛びつきたい、顔から飛び込んでむしゃぶりつきたい――という念がこみ上げると、口から『ママぁ』という台詞が飛び出しそうになる。
そんな暴挙を止めたのは、エビルプラントのうめき声だった。アーセルは再びこの騒動の元凶を見た。やせ細った球根が、僅かな触手を足代わりにして、這いずっている。目指すのは足元に空いた穴で、さらなる地中に潜ろうとしていた。
アーセルは今も右手を掲げてはいるが、戸惑い、ついには引っ込めた。這いずる球根を眺める瞳は、少しだけ穏やかだ。
「チッ。悪運の強いやつ。せいぜい街のために働けよ」
エビルプラントが穴の中に逃げ込むのを見てから、アーセルは背を向けた。それからは目的の男へと歩み寄る。厳しい面構えをした壮年の男。彼は自身の両手を眺めては、革鎧越しに胴体に手を這わせた。
「私は、どうして……?」
「アンタがランドで間違いないな? ミリアムの親父の」アーセルが問うと、男は弾かれたように顔を向けた。
「はい、その通りで。あなたは先程の魔術師様ですね?」
ランドの視線がアーセルの頭上に向けられた。頭頂で結んだだけのボサボサ髪。大勢が住まうウェルヘイムであっても、同じスタイルの者は2人としていない。
「先ほどって、何のことだ。オレたちは初対面だろ」
「失礼。石化してる最中も意識はありましたので。見知ったつもりでいました」
「意識があったのか、それは……」
ここまでの全てを見聞きしていたのかと思うとゾッとする。ランドが見たのはアーセルとグラムスが争うシーンだけではない。エビルプラントが悪用される光景を、ここで傍観していたのか。何も出来ず、声も発せず、ただ眺めるばかりの日々。
それも辛いだろうと思う。無力さに苛まれ、運命を激しく恨んだのではないかと、同情させられた。
「まぁいいや。街へ帰ろうぜ。ミリアムが首を長くして待ってる」
「あぁ、そうです。娘は無事なのですね!?」
「もちろんだ。アンタが留守にしてる間、ミリアムは頑張ってた。たくさん褒めてやれ」
「なんという事だ! 精霊神のお導きに心から感謝を!」
感涙に瞳をにじませたランドを連れて、アーセルは戻った。向かったのはウェルヘイムそばのキャンプ地だ。いくつかの焚き火が燃えており、そのうちの1つに彼らはいた。コーウェン夫妻と、そしてミリアムが、倒木に腰掛けながら火に当たっていた。
ランドが声かけるより先に、ミリアムが立ち上がった。
「あっ! パパだ!」
駆け寄るミリアム。転びそうになりながらも、地面に手をついては、もつれる足で走る。ランドも喉が枯れそうな声で叫んでは、娘のもとへ駆け寄った。そして2人は重なった。強く抱きしめあって、頬を合わせた。
「ごめんよミリアム。寂しかったろう。辛かっただろう」
「平気だよパパ。アタシが畑を守ったから、安心してね!」
「お前が元気で居ることが一番だよ。あぁ、まさかもう一度会えるだなんて……!」
長らく引き裂かれていた親子は、容易に離れようとしなかった。抱きしめあったまま、何をした、こんな事があったと睦まじく語り合っている。
それを遠くから眺めるアーセルだが、彼はしきりに首を曲げていた。
「どうしたんだよ。何か気にしてんのか?」とサラマンド。
「いや、な〜〜んか忘れてる気がしてて……。何だっけ?」
「ポンと出てこねぇなら些細なことだろ、放っておけ。そのうち思い出すんじゃね」
「まぁ、そうかもな」
心に小さな引っかかりを覚えるが、つとめて忘れる事にした。弾けた様な笑みを見せるミリアムと、慈愛の眼差しになるランド――この光景を眺めるだけで、心が心地よく温まるようだった。
こうしてウェルヘイムの騒動は終焉を迎えた。今日までに石化した人々は、皆が元通りになり、家族との再会を果たした。半壊した街なかであっても、誰もが感激の声をあげたのだ。
――その一方。崩落地の地下深くに、蠢く陰があった。3人の男が折り重なるようにして、地面に倒れ伏している。傍らには上等な剣があるものの、半分にへし折れていた。
「おい、お前ら。無事か?」
声をあげたのはグラムスだ。アーセルの策略によって、地中深くまで落下した彼らは、満身創痍だった。返答も「足が折れた」とか「痛くて動けない」と、不安を覚えるものばかりだ。
グラムスは怒りに打ち震えた。
「あのクソ野郎! 今に見てろ、絶対に復讐してやるからな!」
その怒声に堪えるかのように、暗闇の中で物音がした。重たい何かが落下したような音だ。
「誰だ!?」
グラムスは叫びつつ胸元をまさぐった。そして手にした小石を爪先で引っ掻いて熱を与える。すると石は小さな光を生み出した。
ランタンのように暗闇を照らす――浮かび上がるのは球根の形をした怪物だった。
「エビルプラント!? どうしてここに!」
グラムスは剣に手を伸ばそうとした。しかし、身体の自由はきかず、手が届かない。指先が空を何度も掻いて、空振りを続けた後、ついに握りしめた。
だが次の瞬間、グラムスの身体に触手が突き立った。エビルプラントの身体が、赤くきらめき始める。
「やめろ、離せこの野郎!」
グラムスの身体は、またたく間に冷えて固まっていった。そして手下も末路は同じで、3人とも触手によって蹂躙された。
こうして彼らは地中深くで石化するのだった――誰にも知られることなく、ひっそりと。




