第18話 大人はいつも
ツタがくる。大地を突き破り、獲物を求めてさまよっては、檻を生み出す。抜けるような青空の下で、鳥たちは声を潜め、虫たちも息を殺す――その中でウェルヘイムの絶叫だけが響き渡っていた。
「この匂い、石化の霧じゃないか!?」アーセルはマントで口元を塞いだ。ウェルヘイムを襲ったツタの檻は、霧でも生じたように霞んでいる。街から辛うじて逃げ出した人々は、住民の数に比べて圧倒的に少なかった。
「とにかく今はミリアムを見つけるぞ」
「ツタを刺激するなよ。霧がでるぞ」
草原の中、声をかけながら走り抜ける。どこだ、返事をしろ――と。ツタはそこかしこに生えており、アーセルの声に反応してか、捉えようと迫る。それを避けては、農園から遠のく事を繰り返した。焦れる思いに歯噛みした。
「クソッ、どこに行ったんだよアイツは……」
その時アーセルは見つけた。丘のふもと付近に小さな檻がある。その瞬間、姿は見えずとも確信した。「ミリアム!」
駆け寄ってツタの隙間を覗く。そこには確かに、閉じ込められたミリアムの姿があった。まだ意識はあり、小さな手がこちらに伸ばされた。
「おじさん……」差し出された右手、その指先は色味を失い、灰色に染まっていた。すでに石化の呪いに蝕まれている。
「待ってろ、今助けるぞ! 息を止めてろよ!」
檻に向かって構える。アニマを込めて想像したのは刃物だ。手のひらに馴染み、切れ味の鋭いもの――それを真横に振り払った。
紅蓮に燃える剣が、檻を両断した。切り口から炎が吹き出し、ツタが狂ったように暴れ出す。
「逃げるぞミリアム!」
幼い身体を抱き上げる。少女はひどく冷たく、かすかに戦慄させられた。人肌というより岩盤に触れた感覚に近い。
暴れるツタが辺りを滅多打ちにし、霧も撒き散らす。アーセルはミリアムを抱きかかえたまま、来た道を引き返していった。しかしウェルヘイムも襲撃を受けている。戻る場所などなかった。
「どこへ逃げたら良いんだ……」
視線を辺りに目まぐるしく向ける。ツタの檻、悲鳴の小さくなったウェルヘイム、そこから逃げだす人々。ただし避難民は散らばっていない。まとまって、東の森へ向かって逃げているようだった。
アーセルもそれに倣う。そうして辿り着いたのは拓けた森の一画で、広大なキャンプ地だった。まだ昼間だが、焚き火の炎が暖かく迎えてくれた。
「ミリアム、無事だったのかい!」
キャンプ地に辿り着いたところで、駆け寄ってきたのはコーウェン夫人だった。泥だらけの顔を緩ませるが、まもなく悲痛な色に変わる。「この子も身体が! あぁ、ルミナス様!」精霊神にすがる叫びとともに、幼い身体を抱きしめた。
その傍らにはコーウェンもいた。憔悴しきった顔でも「2人が生きていて良かった」と言った。アーセルも無事を喜びつつ、経緯を尋ねた。
「ここは?」
「冒険者向けのキャンプ地だ。主に駐屯場所として使われる。最近はもっぱら宿屋に留まっていたようだがな」
「逃げてきたのはこれだけか」
見渡してみると、避難民は100人足らずといったところだ。五体満足という者は少ない。身体に巻き付けた包帯は赤黒く染まり、あるいは皮膚の一部が石化していた。そんな人々が、寄る辺もなく地面に座り込んでいる。
これでも幸運に転がり込んだ側の人々だ。この10倍以上の住民が檻の中に取り残されたと思うと、エビルプラントの異様さが恐ろしくなる。絶望と、血の匂いが漂う中、冒険者の一団が声をあげた。
「けが人はいるか、これを使え。グラムスさんに感謝しろよ」
彼らが配るのは傷薬、それと僅かな食料だった。アーセルのもとにも一式が与えられた。
「傷薬なんて効くかは分からないけどさ……」
手当てはコーウェン夫人が率先した。ほのあかい液剤を手のひらに垂らし、ミリアムの身体に塗り込んだ。特に石化の起きている右手から肘関節までを重点的に。丹念に塗り込んだが、効果の程は見られなかった。
明るい兆しは一つとしてない。そんな中でミリアムに意識があるのは救いに感じられた。
「おじさん、あのね……」かすれた声でアーセルに問う。
「どうした。大人しくしてろ」
「箱をちょうだい……」
左手が虚空に伸ばされる。愛用の仕掛け箱はいつものように、ミリアムの腰紐にくくりつけられていた。
それを手にしたアーセルは、首を横に振った。
「気持ちは分かるが、今は休んでいろ。また元気になったら――」
「元気になんてならないもん」
それは悲観からくるものではない、確信めいた言葉だった。ミリアムは何かを察しているようで、瞳はうつろでも、意思の光は確かにあった。
「アタシね、このまま死んじゃうんだ。だからね、その前にパパと会いたいの。もう一度だけで良いから会いたいの」
切実な想い――それが大人たちの心を強く打った。コーウェンは拳を握りしめてうつむき、夫人は声をあげて泣き喚いた。
「この子が何をしたっていうんだよ。こんなのあまりにも不憫じゃないか。お願いだから誰か助けておくれよ……」
神にすがるしかない現状、あまりにも無力。耐え難い静寂が4人を包み込む。
それを破るように口を開いたのは、アーセルだった。箱を見せつけるように持っては、ことさら明るい口調で言った。
「お前は寝てろよミリアム。箱の仕掛けはオレが解いておくから」
「でも、アタシがやらなきゃ」
「別に誰がやっても大丈夫だろ。箱を開けさえすれば父親に会える。そんな約束だったろう?」
ミリアムは不安げな面持ちになるも、結局は委ねてくれた。彼女は今、右手が使えない。
「努力するが、時間はかかるかもな。楽しみに待ってろよ」
そう言い残してミリアムの傍から遠ざかり、森の端に出た。そして律儀に仕掛けの解除に取り掛かった。
「おいアーセル、マジで解くつもりか? そうまでしても親父に会えないって分かったら、ミリアムは哀しむんじゃないか?」
「今のアイツには希望が必要だ。生きようとする想いが」
「仕掛けを解くことに関係あるのか?」
「中に何かあると思う」箱を振ると、軽い物音がする。空ではないはずだ。「それに賭ける」
仕掛け箱の中には、父親のランドが遺した物があるはずだ。それを使ってミリアムに希望を与える。生きる活力を与える。父親なら、娘を思って何かを遺しているはず――。
すがりつく想いで仕掛けをまさぐった。あと少しで解けるはずだ。解放を阻むのは、開閉位置を塞ぐ1枚の板で、それが抜ければ箱が開く。
「ここが、こうだろ。そしたらコッチが邪魔になって……あぁもう!」
「早くしろよアーセル。ミリアムが待ってんだぞ」
「わかってんだよ、そんなこと!」
互いに怒鳴り合いながら、箱は奇跡的にも開かれた。思いの外に手間取った。太陽はすでに中天を過ぎて、西の方へ傾こうとしていた。
「そんで……肝心の中身は?」
箱を開きつつ、固い唾を飲み込んだ。ミリアムが来る日も来る日も、遊ぶ暇すら惜しんで挑んだ謎。父親が託した箱には、一体何が――。
中からは紙片が1枚転がり落ちただけで、他には何もない。文面からして、それはミリアムに宛てた手紙だと分かる。丁寧な文字で書き連ねられていた。
――ミリアムへ。
この箱が解けたということは、もうすっかりお姉さんになったんじゃないかな。賢く、根気があって、指先も器用になったと思う。
きっとパパは遠くに行ったきり、帰ってこれなくなったんだろう。でも安心して。ミリアムはもう大丈夫、パパがいなくても生きていけるくらい成長してるはずだ。
もし困ることがあったらコーウェンおじさんに相談すると良い。僕は、いつでも空の彼方からミリアムを見守っているよ。
最愛のパパより――。
そこまで読んだ所で、アーセルは手紙を元の箱に戻した。その手は震えており、箱を閉じた後も収まることはなかった。
それは憤激からくる震えだった。
「バカ野郎……。ミリアムが、残された人間がどんな想いなのか、考えたことが無いのかよ!」
ミリアムの孤独な日々が、幼年期のアーセルと重なるようだ。みなし子、捨て子、親なし子――。ロックヒルの村人から忌み嫌われて、毎日のように泣いていた。あの頃は苦い記憶でしかない。運命に見放されたと絶望しては、泣きはらしたものだ。
大人の世界には色々ある、それは理解できる。だが巻き込まれた子供は、踏みにじられた心に、何か配慮しないのか――。そう思えば、腹の奥が煮える想いになる。
「ちょっとは子どもの身にもなってみろ、父親ならよ!」
今、アーセルの手のひらに真っ赤な光がきらめいた。それが全身へと駆け巡っていく。激情のアニマ。サラマンドですら気圧される熱量が、アーセルの身体に宿っていた。
「お、おい、落ち着けよ。こんな所でキレられても困るんだが」
「それくらい分かってる。行くぞ」
「いったいどこに?」
アーセルは答えず、キャンプ地に戻っていった。そしてミリアムに箱を手渡した。仕掛けは少しだけ巻き戻し、受け取った時と大差ない状態にしてある。
「すまねぇ。やっぱオレ向いてねぇわ。頑張ったけど解けなかった」
箱を手にしたミリアムの左手は、まだしなやかさを保っていた。少しだけ安堵した。
「これはお前が持ってろ。そして、元気になったらまた挑戦するんだ」
「でもおじさん、アタシは……」
「元気になる。必ずだ」
アーセルは、困惑するコーウェンと視線を重ねて、頷いた。そして立ち去る。背中から「ちょっと待て!」とコーウェンの呼び止めた。
「どこへ行くんだよアーセル?」
コーウェンは背後をちらりと見た。ミリアムから十分に離れたことを確認するために。
「バケモノをぶっ殺してくる。それで石化は解けると聞いた事がある」
「そんな無茶だ! グラムスたち大勢の冒険者で、やっと抑え込んでたような魔族だぞ。アンタ1人が戦ったところで――」
「神様は別に助けちゃくれないが、オレが居合わせた。それは幸運だったな」
うろたえるコーウェンを置き去りにして、アーセルは1人きり、キャンプ地を後にした。
北部の草原に出る。そこから見えるウェルヘイムからは、一切の悲鳴が聞こえない。風が静かに草花を撫でる音だけがある。ツタの檻は、膨大な人数の『捕食』を終えたのだ。
「いいのかよアーセル。言っとくが奴との相性は悪いぞ。オイラ火の精霊は攻撃特化で、呪いに対抗なんて出来ねぇからな」
「そうか」
「敵のねぐらに飛び込んで、あっさり石化エンド――ってのがオチだと思うがね」
アーセルはツタを見つけては、それを焼き払った。高火力の炎は、またたく間に炭化させ、霧を吐き出す暇も与えなかった。
「解決策は簡単だ。今みたいに思いきり焼けば良い」
この単純明快な返答に、サラマンドは腹を抱えて笑い出した。
「いいよお前、最高! やっぱ力が解決してくれるよな、うんうん!」
「行くぞサラマンド。敵の居場所は分かるか?」
「デモノイドウェーブの発信源だろ。そこさえ見つければ」
「わかった」
それきりアーセルは口をつぐんだ。激情のアニマを身にまとい、駆け抜けていく。目指すは南の山道で、崩落地と呼ばれるエリアに――。




