第16話 箱を解かなければ
仲良し大作戦が功を奏した――かは分からないが、ともかくミリアムとの距離は縮まった。以前よりも会話が格段に増えている。話題はおおよそが、箱の解法に関するものだった。
「その左のボタンを押したらどうなる?」
「別の板がスライドしたり、逆に止めたり、いろいろ」
「動かせるパーツが滅茶苦茶多いな。複雑すぎて、見ただけじゃサッパリわからねぇ」
選択肢が押し引きだけならば、さほど迷うこともない。しかし板を回し、傾けてスライド、時にはボタンを押したりと、複雑怪奇と呼ぶしかない。それを手足のごとく動かして見せるミリアムは、とても賢そうにみえた。その彼女ですらまだ解法を知らない。
(難しすぎだろ。子供に与えるオモチャとは思えねぇが)
アーセルは目まぐるしく動く箱を眺めるうち、目がくらんでしまう。首筋を伸ばす仕草ののち、立ち上がった。
「ミリアム。これから街のギルドに行ってくるが、お前は?」
そう告げると、ミリアムはついていくか迷った。そしてテーブルの保存食や、油の残りを見ては、首を横に振った。「いってらっしゃい」それからもベッドに腰掛けては、箱をまさぐりつづけた。
結局はアーセル1人で家を出た。ウェルヘイムに逗留してかれこれ1週間ほどになる。道に迷うことはなかった。
「最初は右も左も分からんかったが、慣れるもんだな」
街の城門をくぐりぬけたところで、サラマンドが言う。
「最初に来た時はハシャギまくってたよな。恥ずかしいくらい」
「思い出さすな。つうか、それくらい構わないだろ」
「楽しかったか、年甲斐もなく?」
「歳は関係ない。知り合いのモウロクじじいは、市場の珍しい雑貨を見ただけで小躍りしてたぞ」
「それはかなりの逸材だな」
手始めに冒険者ギルドへ赴く。報酬の薬草の量は変わっておらず、ミリアムとの親密度は関係なかった。まだ幼いのにシッカリしている。頑固と言ってもよいかもしれない。
「アーセルだ。薬草を買ってくれ」ギルド受付の小太りは、顔を合わせるとたいてい機嫌が悪い。この日も例に漏れなかった。
「いい気に草集めか、四十路ルーキー。先輩方は身を危険に晒しながら街を守ってんぞ」
「じゃあ討伐の契約をさせろよ」
「ナマイキ言うな、駆け出しの分際で。下積みからだろうが」
「だからこの通り働いてるぞ」
「口の減らねぇやつ! 嫌味を言われるのも下っ端の仕事だ、口答えすんじゃねぇ!」
報酬は満額でもらえるし、少なからず実績にもなっている。しかし罵倒されるのは納得がいかない。
銅貨3枚を受け取ると、そっと呟いた。真価を示せ――。
すると突然ズボンが発火したギルド受付が、飛び跳ねた。その拍子に辺りの花びんや燭台が倒れる。アーセルは白々しい台詞を残して立ち去った。
「なんだ、灯りを消し忘れたうえにケツまで燃やしてやがる。火の扱いには気をつけろよな」
アーセルは騒がしいギルドを出て、街なかを歩き回った。気晴らしに散歩でもと考えた。しかし世情はどちらかというと暗く、今もネガティブな光景が目に飛び込んできた。
「なんだか人だかりが出来てるな。治療院のあたりか?」
路地裏に人だかりを見つけて、アーセルは呟いた。サラマンドも答えた。
「見ろよアーセル」
「あぁ。また犠牲者が出たらしいな」
下働きが病人を担架に乗せては、治療院に駆け込んでいく。それは2人の男女で、どちらも身体の半身が石化していた。付き添う老婆が泣きながら懇願した。「先生、どうか子供たちを!」
白衣のローブを着る治療士は、渋面を隠さずに言う。「ともかく奥へ」そして病人たちは担架に乗せられたまま、病室へと運ばれていった。
「サラマンド。ひとつ聞いていいか?」
「なんだよ改まって」
「石化の治療法は見つかってるのか?」
「厳しいな。石化は毒物と違って、呪いの部類なんだ。解毒薬や薬草なんかじゃ治せない」
「どういう原理だよ」
「石化は特殊な魔力を取り込むことで発症する。対象とされた生物が持つ健康なアニマを、それと交換する形になるんだ。そうすると呪者は良質なアニマを手に入れて、石化のアニマを押し付けられた被害者は、さっき見た通りになる」
「例の霧を吸うと起きる? ツタが裂けて吹き出したやつを」
「そう思う。他にも手段はあるかもしれねぇが、とにかくあのエビルプラントのツタが原因なのは確実だ」
「それで、治療法は?」
「おおまかに2つかな。呪者をどうにかしないとダメだ。たとえば呪者を説得して全てを解除する、あとはそいつを殺すか」
「説得って、バケモノ相手だろ。倒すしかなさそうだな」
「まぁ、そうなるわな」
いつしか集まった群衆がはけていった。アーセルも立ち去ろうとしたところ、不意に声をかけられた。コーウェンだった。
「よぉ。何してんだい?」
綺麗に剃った頭、逞しくも柔らかな笑みに、何か救われたような気分になった。
「嫌なもんを立て続けに見たから、気が滅入ってた。ところで仕事中じゃないのか。たしか鍛冶師だったよな?」
「これはサボりじゃないぞ。市場に行ってたんだ」
コーウェンは買い出しの戻りで、大きな皮袋を背負っていた。中は黒光りする石ばかりで、鍛冶場の燃料だと言う。
「ミリアムの面倒を見てくれて助かる。今夜はメシをどうだい。嫁も手が空くようだし」
「いいね。また美味いもの食わせてくれ」
「あの子の様子はどうだ、変わりないか?」
「まぁな。農園を管理しつつ、箱の仕掛けを解こうとする。いつも通りだ」
「それなら良いさ」
コーウェンが立ち去る素振りを見せたが、アーセルは引き止めた。
「ひとつ聞きたい。たぶんだけど、お前しか知らんことだ」
「な、なんだよ」コーウェンは目を逸らした。
「ミリアムの親父は今どこにいる? このままじゃ箱は近いうちに開いちまうぞ」
開いた頃には戻るという父娘の約束がある。しかし今のところ、父親の帰宅時期どころか行方すら知らされていない。
「あぁ、そのことか……参ったな」
「あの箱は難解だ、明らかに子供向けじゃない。だから何年も戻らないつもりでミリアムに託した。そうだろ?」
アーセルがそこまで言うと、コーウェンはしきりに左右を見渡した。そして人目を気にして路地裏に誘い込んだ。
返答を待ちきれないアーセルは、さらに問いかけた。
「今どこにいるんだ。遠くか? いっそオレが連れて帰ってきてもいいんだぞ」
「いや、遠くはない。ウェルヘイム地方にいるはずだ」
「この街に? なんだよそれ、どうしてミリアムを放っておくんだ。父親の自覚はないのか!」
アーセルは胸の中で怒りに火がつくのを感じた。寂しさにうなされるミリアムを思えば腹が立つ。ましてや平時ではない。魔族の脅威が近くにある、戦時と言ってもよかった。
視線をそっと伏せたコーウェンからは、咎める気配が感じられない。
「ミリアムの親父は、ランドは薬師だって教えたよな」
「覚えてる。それが?」
「アイツは、エビルプラントの退治に出たんだ。薬学で対抗できるんじゃないかと考えて。オレは止めたよ。危険な事は冒険者に任せておけと。だが、ランドも頑固者でな」
「父親が出たのは半年前だろ。それじゃあ……」
「おそらく、もうこの世には。死体を見たわけじゃないが、あまりにも遅すぎる」
耳を疑う。嘘であって欲しい。アーセルの思いとは裏腹に、コーウェンはうつむいた。鍛冶師の大きな手は固く握られ、震えた。
「だからミリアムには、真実を話すことが出来てない。遠くの街の仕事だと言ってある」
「どうすんだよ。ミリアムは今も信じてるぞ。父親に会える日が来るって、仕掛け箱を解こうと!」
「わかってる」
「農園だって1日も欠かさず守ってる。朝早くに起きて、手がかじかむのも我慢して、畑の手入れを続けてる! いつ親父が戻ってきても良いように! そんな子供になんて言えば良いんだ!?」
「こっちが聞きたいくらいだ、そんな事!」
コーウェンは叫ぶと全身を震わせた。鍛冶で鍛えられた手のひらが、彼自身の顔を覆う。両手の隙間からかすかに嗚咽が漏れ出した。
重たい静寂がただよう。だがそれも束の間で、コーウェンはすぐに体面を取り戻した。
「すまん。つい気持ちがたかぶって」
「ずっと黙ってたんだな、お前は。親父が死んだ事を隠しながら、ミリアムの世話を続けていた」
「その通りだ。オレはどうすべきか分からないまま、素知らぬふりを貫こうと……」
コーウェンが「女神ルミナスよ、お導きください」と呟いては、天を仰いだ。空は黙して語らなかった。
「どうするか決めてくれよ。流れ者のオレより、アンタの方が適任だろ」
「すまない。オレにはなんとも……。妻とも話し合ってみる」
コーウェンは肩を落として立ち去っていった。見かけによらず優柔不断だ、それともミリアムを想うがゆえの迷いか――。アーセルはただ去りゆく背中を見送った。
「さてと。ミリアムにどんな顔をしたら良いんだろ」
家に戻る足取りは重たい。草原を撫でる風が冷たく感じられて、マントの首元を締めた。まだ日差しの温かな時期なのだが、寒々しさが胸を吹き抜けていく。草木の香りは心の慰めにはならなかった。
そして帰宅する。
「おかえりなさい、ねぇ見て見て!」
ドアを開けるとミリアムの明るい声が響いた。
「ここをね、同時にズラすとホラ! 邪魔な板が1つ取れるよ!」
「おぉ、そうか。また進んだな」
「もう少しで解けそうだよね。そしたらパパが帰ってくるもんね!」
達成感を匂わせる笑みだった。アーセルはどう答えて良いか分からず、ただ幼い頭を撫でてやった。
(もしかすると、箱を解けない方が幸せかもしれない。そうすれば辛い現実を知らなくて済むわけだし)
箱の解除という目標があり続けたほうが良い。少なくとも今のうちは、真実はもっと大人になってからとアーセルは考えた。
それこそが最善だと信じた――ミリアムに命の危機が迫るその時までは。




