第15話 仲良し大作戦
ミリアムとの『契約』が成立したことでアーセルは安堵した。深い森の傍らにある農園は目立たないので、通行人を見かけることはほぼない。魔族の襲来も考えられるが、草相手なら楽勝だと高をくくっていた。
だが蓋を開けてみれば重労働だった。アーセルは農園の保護を申し出たのだが、その『保護』の範囲が両者で食い違いがあった。
「水やり。早くやってね。次は草取りだから」
農園の朝は早い――朝日が昇りきらないうちに叩き起こされたアーセルは、気だるい身体でダラダラと働いた。
「おいミリアム、せめて何か食わせろよ。こちとら何も口にしてねぇぞ」
「そんなの知らない、アタシは食べたもん。ねぼすけが悪い」
「なんつう底意地の悪いガキだ……」
ミリアムの指示は子どもとは思えないほど的確で、人使いも荒い。アーセルの脳裏に奴隷商という言葉がよぎった。
「そもそもオレはさ、外敵から守るイメージで提案したんだが。なんで雑用までやらされてんの」
「敵なんて来ないもん。だったら暇でしょ」
「グゥの音もでんわ」
「手が止まってるよおじさん。早くして」
広大な農地を管理するのは生易しくなかった。仕事は単純だが膨大すぎる。日の出から始めて、太陽が中天に差し掛かるまで、雑用を延々と押し付けられてしまった。
だからミリアムの「今日はおしまい」という言葉を聞いた時は、飛び跳ねるほどに嬉しかった。
「しんどかったーー! そんじゃ今日の報酬を頼むわ」
そう言いながらアーセルは、頭の中で目まぐるしく計算した。農地の薬草は膨大で、全て収穫したなら倉庫から溢れるほどの量だ。概算でも50袋ほど。一袋あたり銅貨3枚でギルドに売れる。もし全てを譲り受けたら銀貨どころか金貨に匹敵する額面だ。
「あの娼婦は銀貨2枚で買えるんだよな。やべぇよ、釣りの方が大きいじゃねぇか」
期待に胸を膨らませるついでに、いかがわしい妄想も広がる。だが手渡された薬草は少量。おおよそ一袋分だけだった。
「おい、それはケチすぎるだろ。あんなにコキ使っておいて!」
「枯れそうなのはこれだけ。他はだめ。まだ元気だもん」
アーセルにとっての誤算はミリアムの頑固さだった。思いのほか彼女はしっかりしており、融通もきかない。予定より多めにもらおうという魂胆もあったが、完全な空振りに終わった。
交渉の余地はなく、その場でミリアムは背を向けた。去り際に告げられた言葉も別の話題だ。
「じゃあアタシは買い物してくるから」
「おい、金はあんのか?」
「パパが置いていったのがあるもん。ご飯を買えって」
ミリアムはそう言い残すと、ウェルヘイムに向かって歩き出した。アーセルも街のギルドに用事はあり、目的地は同じだ。しかし2人が肩を並べることはなく、アーセルが後ろから追う形になった。
「まいったな。一筋縄じゃいかない」
アーセルとしては、1日も早く旅立ちたいところだ。セフィラは遠い王都にいるはずで、今すぐにでも駆けつけたい。ウェルヘイムに長居するつもりなどなかった。
「手っ取り早く稼ぐには、ミリアムを懐柔するべきだよな。もっと仲良くなれば薬草を多く譲ってくれるかも」
すると隣のサラマンドが呆れ声をもらした。
「子供に頼るとか、最高に情けないプランだな」
「なんとでも言えよ。オレは金がいるんだ」
「まさかとは思うが、脅したりしないよな? それくらいのモラルはあるよな?」
「見損なうな。そんな外道じゃない」
「ガキにねだる時点で、もう最底辺に滑落してんだよお前は」
「まぁいいから見ておけよ。オレは長い孤児院暮らしで、ガキの扱いには慣れてんだ。仲良しになるのに半日もかからねぇって」
ミリアムは大通りからすぐに路地へ曲がった。アーセルもつかず離れずの距離で追跡した。その最中に観察することも忘れない。
「背丈は平均的よりやや低い、痩せ型。右利きで猫背ぎみ。発育は……」
「やめろよアーセル。あどけない少女まで解析すんな」
「仲良くなろうにも、相手を知らなきゃ始まらねぇだろうが」
「不要なモンまで拾うなよ。何が発育だコラ」
そんな口論があるとは知らず、ミリアムは歩き続けた。その最中に仕掛け箱の挑戦も続けられた。かと思えば、道すがらに食品店に立ち寄っては保存食を買い、また路地裏をさすらう。
「あいつ、結構金持ってんな。オレより良いもの食ってる。ランドの親父がたんまり遺したみたいで羨ましいわ」
「それよか、仲良しプランは思いついたのかよ。いつまで幼女ストーカー続ける気だっつの」
「う〜〜ん、そうだな」
アーセルは辺りを見渡して、目ぼしいものを見つけた。そして殊更に大きな声をあげた。
「おやぁ? こんなところに美味しそうな屋台が! 串団子だってよ〜〜」
店先で声を張り上げたのだが、ミリアムには響かない。彼女は足を止める事もなく、先へ行ってしまった。
「ダメか。美味いものをシェアして仲良しプランは失敗だ」
「なぁアーセル。もしあの時、ミリアムの気を引けたらどうしてたんだ? お前無一文だろ?」
「ヤツの財布をあてにする」
「くたばれ。どうなってんだよ頭の中」
それからも仲良し作戦は続いた。散歩してる犬に「可愛いワンコ!」と絡みに行って吠えられた。花壇の花を見かけては「このステキな花は何かしら」と大げさに褒めたものの、住民の夫人から怪訝な視線を浴びて終わる。
そうまでしても、ミリアムは一度として振り向かない。一心不乱に箱をいじくり、黙々と歩いていく。
「クソッ、何か良いきっかけは……。あれはどうだ?」
苦し紛れに見いだしたのは、路上で遊ぶ子供たちだ。木の棒を並べて石蹴りを楽しんでいた。子供には子供を引き合わせるのが良い。そしてアーセルは盛り上げ役を買って出て、場に馴染みきる。
これだ、完璧なプランだ――。と思われた矢先の事だ。アーセルが動くより先に子供たちが声をあげた。「うわぁ箱女が来たぞ、あっちいけ!」
彼らは口汚く罵り、唾を飛ばしては威嚇しはじめた。ミリアムはハッと顔をあげては、立ち止まる。そして箱を決して手放さないように、それを抱きしめながら、通りを走り抜けていった。
追い打ちに罵声が飛ぶ。「ざまあみやがれ、捨て子のガキ!」そして汚い声で笑い出した。
「どこの世界でも、孤児ってのは肩身が狭いんだな……」
アーセルは苦い記憶とともに、子供たちの嘲笑を耳にした。するとだんだん腹が立ってきたので、遊びに使う木の枝をこっそりと燃やした。
炎は地面だけを焦がして消えた。大事にはならないが、突然の発火に子供たちは慌てふためいた。なんとなく仇討ちをした気分になり、胸がスッとする。
「そういやミリアムは……見失ったか」
その小さな背はすでに見えず、大通りの中に消えてしまった。雑踏の中で子供を見つけるのは難しく、騒ぎでも起きなければ至難の業だった。
ここで仲良し作戦は諦めて、雑用を片付けることにした。ギルドに薬草の納品、報酬に銅貨3枚を受け取る。空腹に負けて食堂へ向かいたくなるが、どうにか堪えて、銅貨1枚で低品質の干し肉を買った。端切れ肉で、サイズも味もばらつきのある保存食だ。
「どうしたもんかな、なんかパッとしねぇし。さっさと次の街に向かおうかな」
アーセルの足はどこへ向かうでもなく、往来の中を無意味に歩いていた。仕事を終えてしまえば暇があるだけだった。
「ミリアムはどうすんだよ。放り出していくのか?」
「別に、たいした義理もないだろ。行きずりなんだしさ」
「あの子の境遇に共感しねぇのかって。孤児みたいなもんだろうが」
アーセルはそっと空を見上げた。まだ明るく、夕暮れにはまだ早い頃合いだ。
かつての自分、まだロックヒル村に流れ着いたばかりの頃は、なかなか悲惨だった。養父のクラッセンとは馴染みきっておらず、村ではボヤ騒ぎを頻発させ、白い目で見られた。
あの時のことは思い出したくない。世界の全てが敵に回ったような感覚は、今でも心をジワリと重たくする。
「コーウェン夫妻がいれば十分だろ。あのガキのために貧困に苦しむつもりはない。もっとも、ミリアムが立派な大人で、『ステキご褒美』をくれるってんなら話は別だがな」
「最低だなお前、知ってたけど」
「そもそもミリアム本人が、オレを必要としてないだろ。安い労働力くらいにしか考えてねぇぞ」
「まぁ、そうかもな」
「つうか帰るぞ。朝早くからコキ使われて、死ぬほど疲れてんだよ」
アーセルの居場所は農園の片隅だ。布を1枚敷いただけの寝床で、質素にもほどがある。ここを手放したとしても、全くもって惜しくはなかった。
そしてこの日の晩、コーウェンは訪ねに来なかった。あの食事は、毎日振る舞われるものではないらしい。その事実は決定打となり、街を離れる決心を固めた。
「夜中のうちに逃げるか。誰かに見つかったら面倒だし」
そうして迎えた夜半過ぎ。足音を殺して、窓から家の中を覗き見た。確かにベッドにはミリアムの姿があった。
「しめしめ、グッスリ寝てやがるな。起きるんじゃねぇぞ」
「押し入り強盗みたいなこと言うなよ」
ミリアムには何も告げずに立ち去ろうとした――その時だ。唸り声らしきものを聞いた。微かに、しかし確実にアーセルの耳元に届いた。
「なんだこれ、魔族か?」アーセルが身構えるとサラマンドが否定した。「違うな。何の波動も感じられねぇ」
だとしたら何だ。声の出どころを探ってみると、それは家からだった。再び窓から覗き込むと、ミリアムは確かにベッドにいるのだが、顔は苦悶の表情を浮かべていた。
「おい、どうかしたのか?」
思わず踏み込んでしまったのだが、ミリアムは応じない。今も眠りに落ちており、強くうなされているのだ。
「何だよ驚かせやがって。悪い夢でも見てんのか」
速やかに立ち去ろうとする。だがミリアムが「まって」と言った。驚いたアーセルが振り向くが、やはり眠っているようにしか見えない。
しばらく見守っていると、ミリアムはうわ言を口にした。
「まって、いかないでパパ……」
単なる寝言、しかしなぜか胸を強く打つ。ミリアムの頬を涙が伝う。うわ言は止まらない。ベッドのシーツは幼い手に握りしめられて、小さなシワを作る。しかし両手は固く握られており、強い想いが感じられた。
「おねがい。1人にしないで。いい子にするから。お仕事がんばるから」
「ミリアム、お前……」
アーセルはそっと瞳を閉じた。寂しさは耐え難いものだ、特に幼年期のものは。彼もクラッセンや同期の子供たちのお陰で気が紛れたものの、不意に感じる寂しさは、心を激しく苛んだ。特に冷えこみの強くなる時期は、優しさが恋しくなる。
「大丈夫か。しっかりしろ」
アーセルは、ミリアムの額に手のひらを置いた。互いの体温が混じり合う感覚がある。これに何の意味があるかは彼にもわからない。だが彼が幼い頃、クラッセンは同じように優しく撫でてくれた。
ただそれを真似しただけ――。深い意味などない、ただ単に手が伸びた。だがミリアムは、次第に寝息が深くなり、やがて穏やかな顔になった。
「ひとりにしないで……か」
家をそっと後にして、彼の足は自分の寝床に向いた。布を敷いて寝転がり、空を見上げる。今宵も空気は透き通り、星空が美しい。そんな絶景も、置き去りにされた少女には響かないのだろう。
「ひとりはな、辛いんだよな……」
アーセルは物思いにふけるうちに、眠りについた。
迎えた早朝。陽が昇った頃にミリアムがやって来た。なかば強引に起こされたアーセルの前に、スライスパンが突き出された。そして消え入るような声を聞いた。
「いっしょに食べよ」
押し付けられるように手渡されたのは、スライスパンの数切れ。まだ新しいもので、香ばしい匂いも残されている。
彼女なりの歩み寄りだろうか。アーセルは、昨日との違いに戸惑う。だが、その好意は素直に嬉しく思った。
「いいのか、もらっても?」
「うん。銅貨1枚ね」
「金とるのかよ。しっかりしてんな」
「パパのお金だもん」
「まぁ、別に良いけどさ。それよりメシの時くらい箱をいじるのはやめとけよ」
「そんなのアタシの勝手だよ」
「いいから言うとおりにしろ。何もずっと手放せとは言ってないんだから」
アーセルは、岩場に腰掛けてはパンをほおばった。隣にミリアムも、少し離れて座る。打ち解け始めたことに、かすかな喜びが感じられた。
(もう数日くらいは留まってもいいかな)
最後の一切れを口にいれたアーセルは、そんな事を考えていた。その傍らでは、頬を膨らませたミリアムが、箱の解除を再開させていた。




