第12話 ウェルヘイムの人々
ウェルヘイムの街に長い影ができる。それを生み出すのは沈みきった太陽ではなく、かがり火だ。大通りの石畳に置かれた等間隔の灯りにより、顔色が窺えるほどに明るい。一方で路地裏は影を濃くしていた。意味もなく立ち入る者はいないだろう。
「さてどうすっかな。手持ちの金で何ができるか……」
旅立ちの際に養父クラッセンが渡してくれたのは銅貨5枚ばかりで、現在は4枚を残すのみ。初めての街にして初の外泊だ。無闇に左右をキョロキョロ見回してしまうが、宿が必要であることは、一応理解している。そこから先のプランは思いついていない。考えようにも、ここまでの疲労が祟って思考は空回りを続けた。
「どこに何があるか分かんねぇしな。城門があって露店が並んでて、ちょっと行ってギルドと飲み屋街……宿屋はどっちだ?」
夜は多少マシとはいえ、人通りは少なくない。むしろ酔客の団体がみられるようになり、横に広がって騒ぐので、昼間より歩きにくかった。
「いったん路地裏に向かうか……うわ!?」
1本奥へ入った所でつまずいた。勢い余って転がってしまう。すぐに身を起こそうとしたのだが、顔を持ち上げるなり、目にした光景を疑問に思う。
それは闇夜にきらめく足首だった。
「なんだってこんなもんが……?」
白い肌に沿って目を上に向けると、それは美しい曲線を描いてゆく。白い素肌のふくらはぎ、そして肉質のあるフトモモ――そこまで視線が泳いだ所で怒鳴り声が響いた。
「勝手にジロジロ見るんじゃないよ。払うもん払ってからにしな」
「払うものってなんだよ……」
アーセルが起き上がると、正面には妙齢の女性の姿があった。彼女は薄手のローブに厚いストールを羽織っている。スカートには深い切れ込みがあり、それが腿の高くまでをあらわにしていた。化粧は濃い。赤い口紅がことさら太く塗られていて、界隈の流行らしかった。
眺めるだけでアーセルは腹が充血したようになり、鼻息を荒くした。それとは対照的に、女の態度は冷たい。
「なんだい。いっとくがアタシは安売りしてないの。貧乏人はお断り、冒険者だけがお客さんさ」
「えっ、オレ冒険者だけど!」
「はぁ? アンタが、ほんとに……?」
いぶかしむ女に冒険者証を見せつけた。Dの刻印は指で的確に隠しておく。早くも肩書が役立ちそうで、喜びがこみ上げてくる。
女は顔をしかめつつも、話を続けた。
「まぁ金を持ってるならお客さんだよ。2枚で気持ちよくしてあげる」
「気持ちよくって、どんなの……」
「野暮なこと聞くんじゃないよ。わかるだろ?」
女の指が誘うように伸ばされ、アーセルの頬をなでた。たったそれだけで理性は消し飛び、あり金を財布ごと取り出す。彼の頭からは、清廉や魔術云々の事など完全に抜け落ちていた。すっきりさせて貰うまでは正気に戻らないだろう。
もちろんサラマンドが警告を叫ぶ。「お前分かってんのか、童貞を捨てたら――」その声は、肩を払う仕草でサラマンド本体ごと追いやった。
「わかった、すぐいこう、金ならあるから頼むよマジで」
「待ちな。前金だよ。踏み倒されたら堪らないからね」
「もちろん。じゃあこれで」
アーセルが袋から銅貨を取り出して、2枚手渡した。受け取った女はそれを握りしめると、震える拳でアーセルの頬を殴りつけた。
「このバカ! 銀貨に決まってんだろ!」
「えぇ! そんなの一言も!」
「じゃあ何か、アタシの価値は銅貨程度だって言いたいのか!? 夜の蝶をナメんじゃないよ!」
「いや、そんなつもりは……!」
「はぁ〜〜。アンタも冒険者なら、体張って稼いできなよ。あの人みたいにさ」
女がアゴで示す先には、人だかりが出来ていた。そして黄色い声が上がる。「おじさま、今晩は私と付き合って〜〜」
その中心には虎髭の男がいて、人々は彼に群がっているようだ。
「なに、あれは?」
「冒険者グラムスだよ。Bクラスの実力者で、この街をエビルプラントから守ってくれてるんだ」
「ずいぶん羽振りがいいんだな。まるで貴族様じゃねぇか」
「これは噂だけど、領主様のお気に入りらしいよ。冒険者のリーダーも任されてるから、稼ぎも段違いだってね。このストールも彼が買ってくれたのさ、良い品だろ?」
「うん。分からんけど、良いんだろうよ」
「ともかく、帰った帰った。アタシの仕事を邪魔しないでくれる?」
銅貨の2枚は押し付けられるようにして返された。それから女は他所を向いた。もう話に応じてはくれそうにない。
それからアーセルはウェルヘイムの中をさまよった。そして気づけば最安値の宿を訪っていた。一晩素泊まりで銅貨1枚という破格の値段だった。
それもそのはず、案内されたのが馬小屋だったからだ。寝床には藁を使えと言われたきり、アーセルはほっぽりだされてしまう。
「あ〜〜ぁ。気持ちいいことしたかったなぁ」
藁に寝転び暗い天井を眺めた。そこにトカゲの顔が現れて、説教が始まった。
「お前、マジで気をつけろよ。童貞捨てたら終わりだって教えてやったろ?」
「気持ちいい事が、すなわち捨てる事になるとは限らんだろ」
「屁理屈いうな。あわよくば1本って顔してやがったくせに」
「うるせーー。つうか疲れたんだよ、寝かせろ」
空腹だ。ふて寝して目をつむる。ひもじさは手強いものの、最後には睡魔が勝った。次第に眠気が押し寄せてくる。
「ある程度稼いだら王都を目指すか。セフィラもそこに居るって聞いたし……」
寝床でセフィラを思い浮かべることに、何の罪悪感もなかった。娼婦との気持ちいい事は別腹――そんな計算式が彼の中では成立していた。
迎えた翌朝。空腹のあまりバチリと目覚めたアーセルは、身支度もそこそこに馬小屋を後にした。去り際に、芦毛馬に手を振っておいた。「邪魔したな。たぶんもう来ないから」
「仕事の前に腹ごしらえは……っと」
鼻を利かせながら早朝の街を行く。人通りは少なく、露店も準備の最中だ。しかし労働者向けの食堂は開いており、そこから温かな匂いが漂ってくる。
腸詰め肉のスープが銅貨3枚。全財産を使い果たすことに何のためらいも無かった。サラマンドが無計画さを咎めてくるが、空腹には抗えない。
「お待ちどうさま、初見さん。ちょっぴりサービスしといたから」同年代と思われる女店主が、大麦パンもつけてくれた。
「えっ、でも金は……」
「いいから。冒険者だろ、しっかり食べてみんなを守っておくれよ。頼んだよ」
アーセルは拝みたくなる気持ちとともに、まともな朝食にありついた。山羊乳ベースの温かなスープ、肉は少しスパイシー。素朴でも十分な食いごたえで、店をあとにする頃には上機嫌になっていた。
「いや〜〜美味かった! これはメチャクソ働いて恩に応えないとな!」
だが店を出た瞬間、人とぶつかった。アーセル自身は問題なく、突き飛ばされた形になったのは相手の方だ。見れば幼女とも言うべき子供で、尻もちをついて倒れた。
「あ、ごめん。前を見てなかった」
アーセルは謝りつつ保護者を探した。しかしどれほど見渡しても、それらしき人物は1人も見当たらない。
「ええと、1人だけ?」
琥珀色の短い髪に、華奢な体つき。歳は孤児院の子よりも幼いように見えて、5歳あたりと察しがついた。少女は質問には答えず、ただボンヤリと座り込んでいた。
(やばいな。泣かれるかも……!)
先ほど良くしてもらったばかりだ、騒ぎを起こしたくはない。魔の悪いことに店主も店の奥から覗き込む仕草を見せた。手間取ることも避けたかった。
そうなると必然的に、呼びかける声も柔らかくなった。
「ごめんよ可愛い可愛いお嬢ちゃん。怪我はないかな? おじさんが治してあげようか?」一応は善意からの言葉だがチョイスは最悪だ。隣でサラマンドが『クソキモ。人さらいかよ』と呆れる。
その少女はというと、アーセルの方など見ていない。視線を下げたままで短く「箱……」とだけ呟いた。
「箱って何? もしかしてアレか?」
アーセルは雑踏の中に転がる小さな小箱を見つけた。手のひらサイズの木製で、細かなフックやスライド部分がある。立体パズルだ。
「これをどうぞ、可愛いお嬢ちゃん」
アーセルが気色悪い声とともに手渡すと、少女はそっと受け取った。それからおもむろに立ち上がり、往来の向こうへ消えていく。
サラマンドは「薄気味悪いガキだな」と呟くが、アーセルは同意しなかった。少女の身なり――一枚物のローブにボロい革靴――浮浪児というほどではないが、貧しい方だと思う。
そんな子供がなぜ仕掛け箱を、とも思う。娯楽品としては高級な方だ。良家のお嬢様かもしれない、しかし独り歩きだ。もろもろが脳内で噛み合わず、理解不能に陥ってしまう。
「なんか、都会は怖いな」
ありふれた言葉を吐いて、少女の件は忘れることにした。今はとにかく金。食うにも街を移るにも必要なものだった。
「なんか出鼻を挫かれたが、働くか! 薬草採り!」
気持ちを切り替えて城門から街の外へ。南側を除いては大平原の広がる平地だった。草木の豊かな匂いが漂い、それが確かな成果と成功を約束してくれる――そう思われたが。
「おい、どういうことだこれ! 1本も生えてねえが!?」
アーセルの声が響き渡る。彼の叫びは正しく、そこで薬草を見かけることはなかった。




