20.送信
ガレズがレイリーンをここへ閉じ込める時も「念は送らないように、と注意していた」なんて話を、ついさっき聞いたばかりだ。
思いがけない名前が出てびっくりしていたので、その辺りのことがすっかり頭から飛んでいた。
しかし、レイリーンは小さく首を振る。
「あるけど……たぶん、今はできないと思う。ここへ来てから、力が抜けてゆくような感じがするの」
「ああ……ここ、ちょっと寒いもんねぇ」
二日近くもこんな薄暗くて寒い場所にいれば、力うんぬんより体調がまず崩れてしまう。
「何でもいいから音楽をMAXの音量で流したら……階段の上まで届くのは無理かな。あたし達がうるさいって感じるだけよね」
扉にスマホをくっつけて音を流したとしても、階段のすぐそばまで来なければ音に気付くのは難しいだろう。
「その道具を使えば、声が送れるの?」
「うん。そのはず、なんだけどね。圏外で……えーっと、どう言えばいいのかな。スマホの……あ、これスマートフォンって言うんだけどね。この道具から、声が見えない道を通って相手に届くはずなんだけど、その道がここにはないの。あたしの世界なら、あるんだけど……」
「……あたしが手伝えば、道ができるかも」
スマホをじっと見ていたレイリーンが、ぽつりとつぶやいた。
「え、できるの?」
「あたし一人じゃ声は送れないと思うけど、コトネさんのスマホと一緒なら、少しは送れるんじゃないかしら」
「できそう? なら、やりましょ」
レイリーンは自信なさげな口調だが、できそうなことがあるなら今は何でもやってみるべきだ。
早くここから出ないと、遼太郎や誠一郎、それにデューロウがガレズに騙されて、何かされてしまうかも知れない。
デューロウはどうするか予想できないが、あの二人なら何か仕掛けられればきっと抵抗する。その時に、ケガしてしまわないか心配だ。
遼太郎は、足を傷めた高二の冬まで柔道をしていた。誠一郎は体育会系ではないが、運動神経はかなりいい。ケンカは負けたことがない、と本人達は豪語している。
お互いの人数や状況、何をもって決着したのかなど、詳しく聞いたことはないが、負けたことがない、というのはおおむね本当だろう。
そんな二人に何かしようとして、かなわないと悟った相手が、刃物などの凶器を持ち出したら……。
凶器などなくても、相手は琴音達が持たない力で攻撃することも可能だろうと思われる。
琴音は、それが怖い。彼ら自身が傷付くことと、正当防衛であっても彼らが誰かを傷付けてしまうことが。
「んー。電話だと、途中で通話が切れた時に困るよね。完全に切れなくても、途切れ途切れになったら、説明してもわかんないだろうし。メールの方がいっか。文字化けしないことを祈って。レイリーン、ちょっと待ってね」
琴音はすぐに、遼太郎と誠一郎あてにメールを打ち始めた。
まず、ガレズが闇に囚われていること。レイリーンを見付けたこと。二人一緒に閉じ込められたことを手短に打つ。ほとんど電報みたいだ。
しかし、全ての文字がちゃんと送れる保証はないし、とにかく重要な部分をわかってもらわなければ。
「ねぇ、この倉庫のことを教えたいんだけど、何て言えばわかる?」
「地下倉庫」
単純な答えが返ってきた。そのまんまだ。
「それだけ?」
「地下倉庫は、一つしかないから」
「そっか。楽でいいわ。えーと……よし、打てた」
画面に、送信するかどうかのメッセージが出る。ここまでは、オフラインでも通常通りに作動してくれた。
「レイリーン、お願い」
「はい」
少女の小さな手が、琴音の手に触れる。ずっと地下にいたせいだろう、冷たい手だ。
その冷たい手から、温かい何かが流れてくるのを感じる。
今だっ。
これ、というきっかけが見えた訳ではない。だが、琴音は自分の中では「ここしかない」というタイミングで、メールを送信する。
お願い、届いて。
画面には「送信中」の文字。
それを睨み付けるように見ていた琴音だが、やがて「送信完了」の文字が現われた。
☆☆☆
廊下を走る。名前を呼ぶ。だが、求める姿は見えず、応える声も返らない。
「遼兄、いたかっ」
「駄目だ、こっちにはいない」
遼太郎と誠一郎は、琴音が戻って来ないことにしびれを切らし、琴音が行ったはずのトイレへ行ってみた。だが、誰もいない。
琴音が方向オンチなのはよく知っているので、すぐに「またやりやがったな」と思った。
だが、その直後に「迷子ではないかも知れない」と思い直す。
「何度もレイリーンに似てるって、間違われたもんな。琴音が単なる他人のそら似と思わなかった奴がいたんじゃ……」
「少なからず関係あり、と疑われても無理ないな」
最初に会った闇に囚われた三人の守扉者以外にも、琴音をレイリーンと間違えた者が数名いた。
琴音のフードが取れた時だったり、外出許可が出ていると知らず、デューロウを連れ戻そうと駆け寄って来た者達だ。
闇に関係なく、誰もが琴音を見て驚き、何か言いたそうにしていた。
こんな時になぜ、こうも似た娘がここにいるのだろう、というところか。自分達も彼らと同じ立場なら、きっと同じことを思う。
落ち着いた顔で会話する二人だが、どうしようもない後悔に襲われていた。
どうしてこんな世界で、琴音を一人にしてしまったのか、と。
彼女が方向オンチなのは、昔から知っていること。デューロウに教えられたトイレまでの道は特にややこしいものではないが、それすらも間違うのが方向オンチなのだ。
琴音がショッピングモールや遊園地などのトイレから出た時に「どっちから来たっけ」などと言うのを、二人は何度も聞いたことがある。
それを知っていながら、一人で行かせてしまった。
さらに、今は普通とは言えない状況なのに。
行方不明の少女に酷似しているらしい琴音を一人にするのは危険だ、とどうして考えなかったのだろう。
まして、闇に心を囚われている者が何人もいる、と聞いていたのに。味方のフリをした敵がうろつく中、エサを放り出したようなものだ。
絶対に守るんだ、と思っていたのに、最悪のミスを犯してしまった。
「迷子なら、少なくとも階段を使ったりしないよな」
「迷子なら、な」
平坦な廊下を歩いて行ったのに、戻る時に階段を上り下りしていたら、さすがにそれは方向オンチを越えて記憶障害だ。
ただ、曲がってもいない角を琴音が曲がったことを、二人は知らない。
「外へ連れて行かれたと思う?」
「そうする時間は、十分にあった。でも、ことを連れてだと、そんなに遠くまでは行けないはずだ。こんな暗い中じゃ、移動するにも限度があるだろうし。ことの意識があるかないかでも、変わってくるだろう」
窓の外は真っ暗だ。いくら星明かりがあると言っても、遼太郎達の世界のライトや外灯とは明るさが全然違う。
この世界の人間がどれだけ闇の中の移動に慣れているか、なんて知らないが、目に赤外線カメラ内蔵……という訳ではないはず。
かと言って、自分達が外へ行こうと思っても、こんな闇の中をどこへ向かえばいいのか。
ぱたぱたと足音がして、デューロウがこちらへ駆けて来た。
「鍵のかかってない部屋は、一通り見たけど……コトネさん、どの部屋にも」
デューロウも、あちこち捜し回ってくれていた。しかし、いい報告はない。
三人で手分けして守院中を捜したが、どこにも琴音はいなかった。やはり、外へ連れ出された、と考えるのが妥当だろうか。
「デューロウ、明かりを用意してくれないか。外へ出てみる」
「いくら闇に囚われてたって、人間一人を抱えて窓から出るってことは、たぶんやらないよな。外の地面はアスファルトやコンクリじゃないし、どっちへ向かったかの足跡くらい、何とか見付かるはずだ」
レイリーンの時と違い、琴音が連れて行かれたと仮定して、それはついさっきのこと。後を追う手掛かりになるようなものも、見付けやすいはず。
「うん、わかった」
デューロウがうなずき、また走り出そうとした時。
どこからか、音楽が聞こえた。しかも、別々の曲が同時に流れているようだ。
「な、何……この音?」
デューロウが戸惑う横で、遼太郎と誠一郎は顔を見合わせる。
短い曲が終わった次の瞬間には、それぞれがデニムのポケットからスマホを取り出していた。
「メールぅ? どうして異世界で、メールが届くんだ」
「遼兄、かたいこと、言うなって」
どちらも戸惑いつつ、画面を見る。
「琴音からだっ。……この場合、あいつ以外から届くとは思えないよな」
「ああ。……何だって……」
「ウソだろ、おい」
デューロウは二人の緊迫した様子を見て、さっさと明かりを持って来るべきなのか、もう一度彼らの指示を待った方がいいのか決めかねている。
遼太郎がそれに気付き、琴音の居場所がわかったことを告げた。
「いい知らせと、悪い知らせって奴だ。いい知らせは、ことと一緒にレイリーンがいる。悪い方は……ガレズさんも闇に囚われているそうだ」
レイリーンの名前を聞いてほっとしたデューロウだったが、悪い知らせを聞いて青ざめた。





