第八話『帳尻合わせ』
轟音と、全てを薙ぎ払う暴風。
私の意識が途切れる寸前。脳裏を焼いたのは、仲間たちの悲鳴とディストの驚愕と苦痛に歪んだ顔。
(ざまあみろ。私のファーストキスを奪った報いだ、ばーか)
満足感と、ほんの少しの罪悪感。それらをない交ぜにしながら、私の意識は深い闇へと沈んでいった。
……どれくらいの時間が経っただろうか。
身体を揺さぶる衝撃と、誰かの叫び声で、私は無理やり意識を引き戻された。
煙と瘴気が立ち込める、半壊した工場。天井は崩れ落ち、剥き出しの夜空が覗いている。
私が放った無駄に燃費の悪い大魔法の凄まじい威力を、その光景が物語っていた。
「そよぎっ! しっかりしろ、そよぎ!」
私を揺さぶっていたのは、ほむらだった。その顔は煤で汚れ、必死の形相をしている。
「……うるさいなぁ……もうちょっと、寝かせろっての……」
「馬鹿野郎! 寝てる場合か!」
ほむらに支えられ、なんとか身体を起こす。
魔力を根こそぎ持っていかれたせいで、指一本動かすのも億劫だ。皮膚の裂傷もひどく、満身創痍とはこのことだろう。最近こんなのばっかりだ。
……というか、あまり揺すらないで欲しい。こちとら呪印のせいで感度が……ちょっと敏感なのだ。
さすがに仲間の腕に抱かれながら醜態を晒すのは御免こうむりたい。
予期せぬフレンドリーファイアを下唇を噛んで耐えながら、周囲を見渡す。ディストが召喚した四体の上級淫魔は、暴風の余波を受けたらしい。その巨体は見るも無残な無数の断片となって散らばり、両断面からは粘ついた体液がじわじわと滲み出ていた。
六人がかりでやっと倒した上級淫魔を、たった一発の魔法でミンチにしてしまうとは。我ながらおっかない魔法を使ったものだと肝を冷やす。
……ん? これって私が倒したってことでいいんだよね?
上級淫魔は一体につき500万だから、計四体で2000万……ちょっと興奮してきた。
「おい、そよぎ。いい加減目ぇ覚ませ。まだ終わってねぇんだぞ」
ほむらは私に語りかけつつも、その双眸は別の何かに向けられていた。
彼女の視線を追う。風に破砕された瓦礫が散乱する大魔法の爆心地。
そして、その中心には……。
「……まじかぁ」
思わず、乾いた声が漏れた。
嵐の中心にいたはずのディストが、そこに立っていた。
片腕を失い、身体のあちこちが抉れ、黒い血を流してはいる。だが、その瞳にはまだ、憎悪の光が宿っていた。死んでいない。
「……おのれ、よくも……よくも、この私を……!」
ディストは、憎悪に満ちた声で、私を睨みつけていた。
その表情には、もはやかつての余裕など欠片もない。
(あれでも死なないのかよ……バケモノめ)
私の捨て身の最大火力。とっておきの切り札だったというのに。
だが、奴も無傷ではない。魔力の大部分を私に吸い取られ、さらにその魔力で内側から破壊されたのだ。大幅に弱体化しているのは、間違いない。
それでも、今の私に、奴と戦う力はもう残っていなかった。
「……じゃ」
私は、支えてくれるほむらに寄りかかりながら、へらり、と笑ってみせた。
そして、ディストと対峙しているひかり、アキラ、しずくの背中に向かって、声をかける。
「あとは、よろしく」
まるでコンビニへおつかいを頼むような、軽い口調。
だけど、その一言で十分だと思った。
私の狡猾さも、覚悟も、彼女たちならなんとかするだろうという不本意な信頼も、全部その言葉に込めたのだから。
私の言葉に、ひかりが振り返った。
その瞳には、一瞬だけ涙が浮かんだが、すぐに力強い決意の光に変わった。
「……うん、任せて!」
「クソッ……! 覚えていろ、魔法少女ども…!」
ディストは、初めて私たちに背を向け、逃亡を図った。
弱体化した今、ここで四人を相手にするのは得策ではないと判断したのだろう。
「逃がさないッ!」
アキラが大地を蹴り、雷速でディストの退路を塞ぐ。
「私たちの仲間を害した罪、ここで償っていただきます」
しずくの放った水の刃が、ディストの足を切り裂き、動きを鈍らせる。
「クソッ……! この落とし前は、きっちり返してもらうからな、そよぎ!」
ほむらが悪態をつきながら、私をそっと地面に寝かせると、最大級の炎をその手に宿した。
四対一。
もはや、勝敗は明らかだった。
かつての絶対的な強者の面影はなく、ディストはただ、彼女たちの猛攻に防戦一方となる。
そして、最後。
全ての攻撃を受け、ついに膝をついたディストの前に、正義のヒロインが立ちはだかる。
「これが……私たちの、みんなの想いだよ!」
ひかりが天に掲げた手の中に、光の粒子が収束し、一本の巨大な矢が形成される。
それは、最初にディストに一矢報いた光の矢の、何十倍もの大きさ。
魔法少女たちの希望を、絆を、全て束ねた、裁きの一撃。
「――セントエルモ・フィナーレ!!」
放たれた光の矢は、空を切り裂き、ディストの胸を貫いた。
「おのれえええええええええええええっ!」
断末魔の叫びと共に、色欲の醜鬼ディストの身体は、聖なる光に焼かれ、塵となって、完全に消滅した。
静寂が戻る。
私はその光景を、地面に横たわったままぼんやりと見届けていた。
(……あーあ、私の復讐劇だったはずなのに。結局、おいしいところは全部持ってっちゃうんだから)
らしくないことを、考えてしまう。
でも、まあ、いいか。
たまには、こういう王道展開の、脇役になるのも。
「そよぎっ!」
仲間たちが、駆け寄ってくる。
私は魔法の箒を杖代わりにしてよろよろと立ち上がって、それを迎えた。
「みんなおつかれ。やったね、大金星じゃん」
「お前は……私たちがどれだけ心配したと……」
安堵のため息をつく仲間たち。
だけど、私たちを取り巻く空気は、ただ勝利を喜ぶものだけではなかった。
重苦しい、気まずい沈黙。
誰もが、何から話すべきか、迷っている。
沈黙を破ったのは、ひかりだった。
彼女は、私の手をぎゅっと握りしめ、まっすぐに私の目を見て言った。
「……どうして、あんな無茶をしたの? どうして、一人で抱え込んだの……!? 私たちを……頼ってくれなかったの……?」
その声は、震えていた。
私を責めているのではない。悲しんでいるのだ。
彼女は、私が正義感に駆られて独断専行したと思っているから。
或いは、呪印のことで追い詰められて自棄を起こしたとか。
私は、なんと答えるべきか迷った。
実際のところ、呪印によって窮地に立たされた私は、自棄になって一番むかついたディストを道連れにするつもりで無茶をしたわけだけど。
事の風向き次第では、その標的がひかり達に向いていた可能性も否定できない。
もし交渉で仲間を差し出せば見逃されることが確約されてたら、私は最終的にひかりたちを売り渡していたと思う。誰にも告げずに一人で向かったのは、きっとそういうことだ。その方が都合がよかったから。
でも、それを今、口にすることはできなかった。
「……ごめん」
私の口からこぼれたのは、苦し紛れの謝罪の言葉だった。
「ひかりたちを巻き込みたくなかったんだよ。上手く行くかなんて分からなかったしさ」
なんて白々しい言葉だろうか。
半分は本当だ。私の計画は、失敗すれば私一人が破滅するだけの、ただの自爆テロだったのだから。
でも、もう半分は、真っ黒な嘘だ。
「それでも……! それでも、言ってほしかった……! そよぎは、一人で死ぬつもりだったんでしょ……? 私たちは、そんなの、絶対に嫌だよ……!」
ひかりの言葉に、ほむらも、アキラも、しずくも、強く頷く。
ああ、もう。
本当に、こいつらはお人好しで、馬鹿みたいにまっすぐだ。
私の腹の底にあるドス黒いものなんて、微塵も疑っていない。
「馬鹿……! この大馬鹿野郎……!」
ほむらが、顔を背けながら悪態をつく。その耳が赤いのが、夜闇の中でも分かった。
「ほんと、心臓に悪いんだよ、そよちゃんは」
「……ですが、無事で、よかったです」
アキラとしずくも、それぞれの言葉で、私の無事を噛みしめている。
その純粋さが、眩しくて、少しだけ、胸が痛んだ。
いつか私には天罰が下るかもしれない。
……その時は、まあ、甘んじて受け入れてやってもいいかな、とは思う。
「ま、結果オーライってことでいいじゃん。ディストは倒したんだし、私も生きてる。それよりさ……」
私は、このしんみりとした空気を振り払うように、わざと明るく、そして一番現実的な話題を口にした。
「お腹すかない? なんか奢ってよ、リーダー。焼肉がいいな。みのりも誘ってさ」
いつもの、飄々とした口調。
その言葉に、ひかりたちの顔から、強張りが解けていく。
ひかりは、目に涙をいっぱい溜めて、それでも花が咲くように笑った。
「もう、本当にそよぎは……! いくらでも奢ってあげる……!」
ひかりの言葉に、私は「やったね!」と軽くガッツポーズしてみせる。
「さーて、それじゃあ、さっさと帰ろっか。こんなとこ、長居する趣味もないしね」
私は箒に体重を預け、先頭を切って瓦礫の山を歩き出した。
柔らかな月光が、崩れた天井から差し込んでいる。
それは、私たちの勝利を祝福しているかのようだった。
全てが、丸く収まったはずだった。
「……っ、けほっ」
不意に、喉の奥から何かが込み上げてきた。
軽い咳払い。工場の埃を吸ってしまったのだろうか。
そう思ったのも束の間、咳は一度では収まらなかった。
「ごほっ……! げほっ、げほっ……!」
激しく咳き込む私に、後ろを歩いていた仲間たちが「そよぎ!?」「大丈夫か!?」と駆け寄ってくる。
「だ、いじょうぶ……ただ、ちょっと、煙を吸っただけ……」
そう答えようとした私の口から、熱い鉄の味が広がった。
咄嗟に口元を押さえた手のひらを見て、私は息を呑んだ。
そこには、べったりと、鮮血が広がっていた。
「そよぎ……! 血……!」
ひかりの悲鳴のような声。
それと、同時だった。
今まで沈黙していた右腕が、焼印を押し付けられたかのような激痛と共に、熱く、甘く、疼きだしたのだ。
「……っ、あああああっ!」
思わず、その場に膝をつく。
右腕に目をやれば、妖しく黒々と輝く呪印が刻まれていた。
ディストを倒せば消滅するはずだったそれは薄れることもなく、むしろその範囲を広げているようにすら見える。
(天罰、落ちるの早くない……?)
いつか罰が下るかもしれない、なんて感傷に浸ったのは、ほんの数分前のこと。
神様とやらは、思ったよりもせっかちらしい。
私は、内心でそんなくだらない悪態をつきながら、仲間たちの必死な顔を見上げた。
心配そうな、ひかりの顔。
焦燥に駆られた、ほむらの顔。
冷静さを失った、アキラとしずくの顔。
――体の芯が、燃えるように熱い。
けれど、不思議と怖くはなかった。
仲間たちの声が遠ざかる中、私はどうしようもなく可笑しくなって、心の中でそっと呟いた。
(……焼肉、お預けか。ついてないな)
脳を焼き切る激痛と快楽。全身から力が抜けていく感覚。
それらを最後に感じながら、私の意識は、今度こそ本当に、ブラックアウトした。