表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

第六話『最悪の幕開け』


 鏡に映る私は、我ながらゾクゾクするほど悪くない顔をしていた。

 頬は上気し、瞳は熱っぽく潤んでいる。唇には、これから始まる宴を期待するような、不敵な笑みが浮かんでいた。


 選んだのは、黒のボディコンシャスなミニワンピース。

 胸元が大きく開き、背中も大胆にカッティングされている。普段なら「ちょっとやりすぎかな」と躊躇するようなデザインだが、今の気分にはぴったりだった。


 普段はあまり拘らない化粧も忘れずに行った。ディストに気に入ってもらえるように、念入りに施す。

 腕の呪印は、もはや隠しようもなく黒々と肌に浮かび上がり、まるで精巧なアクセサリーのように、私の肌を妖しく飾っていた。


 ……ほんの少し前までなら、こんな服を着て誰かを誘惑する自分を、思い切り馬鹿にしていただろう。


 けれど、今は違う。


 着飾って、毒を塗り、舞台に踊り込む。それもまた、私の生き方なのだと――

 そう言い聞かせるたび、胸の奥で微かな震えが広がる。


 逃げるためのトランクは、ベッドの下に押し戻した。

 もう、選択の時は過ぎたのだ。

 私は逃げも隠れもしない。

 むしろ、この状況を最大限に利用して、愉しんでやる。

 堕ちるなら、とことん堕ちてやろうじゃないか。


 部屋を出ると、廊下は妙に静まり返っていた。

 おそらく、ひかりたちはみのりの部屋に集まって、今後の対策を話し合っているのだろう。お優しいことだ。

 私はその集団には加わらず、全く逆の方向へと歩き出した。

 目指すは、ただ一つ。

 この呪いの元凶――『色欲の醜鬼ディスト』の根城だ。


 ポムが解析したデータを頼りに、私は一人、夜の天原町へと繰り出す。

 腕の呪印が、北極星のように進むべき方向を教えてくれている。疼きが、道標だ。

 ディストが、私を呼んでいる。

 より上質な餌が、自らその顎の下へ向かっているのだから、彼も喜んでいることだろう。


 旧工業地帯は、街灯もまばらな廃墟だった。

 錆びた鉄骨が巨大な獣の骸骨のように夜空を突き、割れた窓ガラスが虚ろな眼窩のように闇を覗かせている。

 普通の人間なら近寄りもしないだろうが、今の私には、この退廃的な空気が心地よかった。


「……ここか」


 ひときわ大きな廃工場の前で、私は足を止めた。

 入口には、禍々しい瘴気が渦を巻いており、素人目にも強力な結界が張られているのが分かる。

 ひかりたちが正面から突っ込もうとしていた結界だ。

 だが、今の私には、この結界はもはや壁ではなかった。


 私はおもむろに、自分の右腕を掲げた。

 呪印が刻まれた腕を。

 そして、その腕を結界の表面に、そっと押し当てた。 


 まるで鍵と鍵穴が合ったかのように、結界が音を立てて歪む。

 瘴気の渦が私を避けるように左右に割れ、道を開けた。

 『同類』だと認識されたのだ。

 私は嘲笑を浮かべ、なんの抵抗もなく結界を通り抜けた。


 工場内部は、想像を絶する空間だった。

 壁や床は、まるで生きている肉塊のように脈動し、歩くたびにじゅくり、と柔らかく沈む。

 吊り下がった触手が私の髪を撫で、粘液の滴が肌に冷たく弾ける。

 呼吸のたびに、腐った果実と熱病のような瘴気が喉を焼く。

 そして、その中央。

 巨大な肉の玉座のようなものの上に、奴はいた。


「――ククク……来たか、小鳥」


 人間の男の姿を模しているが、その本質は異形だ。

 引き締まった筋肉質の身体には、私やみのりのものと同じ呪印が全身に這い回り、その瞳は欲望の炎で爛々と輝いている。

 にたり、と裂けた唇から覗く牙。

 あれが、『色欲の醜鬼ディスト』。


「待ちかねたぞ、六華が風、翡翠そよぎ。我が新たなる花嫁候補」

「花嫁、ねぇ。ずいぶん気の早いことで」


 私は恐怖を押し殺し、わざと挑発的に笑って見せた。

 ここで怯えれば、奴の思う壺だ。対等に、いや、むしろ私の方が格上であるかのように振る舞わなければ。


 ディストは玉座からゆっくりと立ち上がり、私に向かって歩いてくる。

 一歩近づくごとに、瘴気の圧が強まり、私の身体の奥の疼きも増していく。

 腕の呪印が、共鳴して熱く、甘く、痺れる。


「お前は特別だ。あの脆弱な大地の娘とは違う。その気高い魂、その抵抗する瞳……それを我が快楽で染め上げ、堕とすのが、どれほどの悦びか……!」

「生憎だけど、私はあんたのオモチャになるつもりはないよ」

「クク……強がるな。お前の身体は、もう正直になっているぞ?」


 ディストの指が、私の顎に触れる。

 その瞬間、ビクンッ!と全身が痙攣し、自分でも信じられないような甘い声が喉から漏れた。


「んぁ……っ!」


 腕の呪印から、脳を直接焼くような強烈な快感が流れ込んでくる。

 足の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになるのを、ディストの腕が支えた。


「どうだ? 我が与える快楽は。抗うだけ無駄だと、そろそろ理解できたか?」


 耳元で囁かれる、粘つくような声。

 悔しい。屈辱的だ。

 でも、身体は正直に反応してしまう。

 快感に、震えてしまう。


(これが……ディスト……!)


 想定を遥かに上回る、上級淫魔とは比べ物にならない絶対的な力の差。

 体内に渦巻く莫大な魔力量が、奴が搦め手だけの存在じゃないことを物語っている。

 これでは、ひかりたちが束になってかかっても、勝てるはずがない。


「さあ、最初の儀式を始めようか。お前のその美しい身体に、我が愛の徴を、もっと深く、もっと濃く、刻みつけてやろう……」


 ディストの指が、私のワンピースの肩紐にかけられる。

 咄嗟に払いのけようとした。だけど、思いに反して腕はピクリとも動かない。

 まるで糸が切れた操り人形のように、なすがままにされている。


 呪印の影響だ。肉体が、ディストに屈服しかけているんだ。

 

 あ……駄目だ。

 抵抗できない。

 このまま、私は……。


 苦し紛れに唇を引き結び、瞼をぎゅっと固く閉じる。


 その時だった。


 工場の壁が、凄まじい爆音と共に吹き飛んだ。

 瓦礫と粉塵が舞う中、そこに立っていたのは――。


「――そよぎッ!!」


 炎の衣を纏い、怒りに顔を歪ませた、紅蓮寺ほむら。

 そして、彼女の後ろには、ひかり、アキラ、しずくの姿もあった。


「な、んで……」


 私の口から、呆然とした声が漏れる。

 なんで、ここに。どうやって結界を。


 ひかりが、悲痛な顔で私を見つめていた。


「あなたの魔力反応を追ってきたの…! そよぎ、どうして、一人で……!」

「チッ、馬鹿な奴だぜ、お前は! 死にたがりか!」


 ほむらが吐き捨てるように言う。


 彼女たちは、私の裏切りなんて微塵も疑ってない。

 私が一人でディストを倒しに来た、無謀なヒーローだと思い込んでいるのだ。

 なんと滑稽で、哀れなお人よし。


 ディストは、邪魔が入ったことに心底不愉快そうな顔をしたが、すぐに愉悦の笑みを浮かべた。


「ククク……これはこれは。ご丁寧にお仲間がお迎えに来たか。丁度いい。ショーの観客には、多い方が盛り上がるというものだ」


 ディストは私を抱きかかえたまま、仲間たちを見据える。


「見せてやろう。お前たちの仲間が、希望の星が、我が腕の中で快楽に堕ち、醜く喘ぐ様をな!」


 その言葉に、ひかりたちの顔色が変わる。

 まずい。

 最悪のシナリオだ。

 私のショータイムは、予想外の観客を迎えて、最悪の形で幕を開けようとしていた。


「やめ……」


 私が何かを言うより早く、ディストの唇が、私の唇を塞いだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ