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第二話『不穏の萌芽』

 私たちは重い足取りで、街の地下深くに隠された魔法少女協会の天原支部へと帰還した。

 清潔で無機質な廊下は、泥と謎の体液で汚れた私たちを歓迎していないように感じる。それぞれの個室シャワールームへ向かう途中、炎の魔法少女・紅蓮寺ほむらが忌々しげに舌打ちした。


「クソッ、あのゲテモノの体液、ベトベトして気持ち悪ぃ……。早く洗い流さねぇと」

「ええ……。私も、なんだか肌がピリピリするような……」


 水の魔法少女・水無月しずくも、自分の腕をさすりながら同意する。その言葉に、私は自分の肩に触れた。確かに、破れた衣装から覗く肌に付着した敵の体液は、乾いているはずなのに、まるでまだ濡れているかのようなぬめりとした感覚を残している。


 個室のドアを閉め、私はため息と共に魔法少女の変身を解いた。

 鏡に映るのは、傷だらけのスレンダーな身体。細い手足や腰のくびれには、痛々しい切り傷や青痣がいくつも刻まれている。今日の報酬で、高性能な回復軟膏を買わないと。痕が残ったら最悪だ。


 熱いシャワーを浴びながら、ごしごしと肌をこする。あの淫魔の体液を、一滴残らず洗い流してしまいたかった。だけど、いくらこすっても、妙な感覚は消えない。まるで薄い膜が肌に張り付いているような、いや、もっと内側から……皮膚のすぐ下で、何かが疼くような、ぞわりとした悪寒。


(まさか……)


 脳裏に、あの先輩の姿がフラッシュバックする。虚ろな瞳、膨らんだ腹、そして医務室に満ちていた甘く腐った匂い。あの匂いが、今このシャワールームに漂っているような錯覚に陥り、私は思わず身を屈めた。


「っ、う……」


 違う。気のせいだ。疲れているだけ。

 私は自分にそう言い聞かせ、乱暴にシャワーを止めた。


 シャワーを終え、ラフな私服に着替えた私たちが談話室に集まると、そこには既にひかりが買ってきたコンビニのスイーツがテーブルに並べられていた。こういうマメなところが、彼女がリーダーとして慕われる所以なのだろう。


「はい、みんなお疲れ様! とりあえず糖分補給しよ!」

「お、気が利くじゃんリーダー」

「ほむらちゃんはプリンね。しずくちゃんは抹茶のロールケーキ……っと。そよぎは、これでしょ?」


 ひかりが私に差し出したのは、期間限定の高級フルーツタルト。私の好みをしっかり把握しているあたり、ちょっとだけ絆されそうになるから厄介だ。


「どーも。ま、これくらいじゃ今日の働きには見合わないけどねー」

「こら! 少しは感謝しなさい!」


 軽口を叩きながらタルトにフォークを入れる。その裏で、私はポケットのスマートフォンを操作していた。まずは魔法少女専用アプリを開き、討伐報酬の振込通知を確認。


(……よし、入ってる。やっぱ即日払いじゃないとねぇ。『振込は三営業後ポム』とか言ってた毛玉を急かした甲斐があったわ)


 次にブラウザを開き、検索窓にキーワードを打ち込む。

 『色欲の醜鬼ディスト』『淫魔 改造』『魔法少女 苗床』。

 表のニュースサイトには決して出てこない、アングラな情報掲示板をいくつも巡回する。ヒットするのは、おぞましい噂話や真偽不明のリーク情報ばかりだ。


『ディストに捕獲された少女は、精神を破壊され、快楽にしか反応しない肉人形にされる』

『改造され、淫魔の瘴気を凝縮した"種"を常に受け入れられる身体になるらしい』

『産み出された子供は、より強力な淫魔となって光の世界を脅かす』


 情報の取捨選択をしながら、文字の上に視線を走らせる。


 ふと目に留まったのは、とある魔法少女の専用スレ。

 知ってる名前だった。何度か一緒に戦ったこともある、ベテラン魔法少女だ。

 妙に盛り上がっていたので不思議に思い中を覗いてみる。


 理由はすぐにわかった。

 彼女が、行方を眩ませた、らしい。淫魔との交戦中、劣勢の中で仲間を逃がすために殿を務め、それ以降消息が掴めない。お通夜ムードのログを見た限り、そういうことらしい。


(あらら、ご愁傷様……)


 仲間のために命を張った彼女に仄かな敬意を抱く一方で、『馬鹿なことをしたな』と冷笑する自分もいる。

 何事も、命あっての物種。一番に可愛がるべきなのは、いつだって自分自身。そうじゃないと、この戦場では生き残れない。それがそこそこ長くなった魔法少女生活で私が学んだ真理だった。


「……今日の奴、本当にしつこかったな」


 ほむらがプリンをスプーンで突きながら、吐き捨てるように言った。


「あのヌメヌメした触手、マジで気持ち悪かった。一瞬、腕に巻き付かれた時、変な感覚が……」

「分析データによれば、過去の同タイプの個体より、明らかに捕獲への執着が強く見られました」


 しずくが冷静に、しかし声のトーンをわずかに落として続ける。


「まるで、獲物の身体に『何か』を確実に植え付けようとするかのような……執拗な動きでした」


 ひかりが「で、でも、ちゃんと倒せたんだから! 大丈夫だって!」と慌てて場を和ませようとする。その笑顔が、ひどく痛々しい。

 私はスマホの画面から目を離さず、口元だけで笑って見せる。


「ま、どんなにしつこい男も、金払いが良ければ許してやんよー、ってね」


 その時だった。

 談話室の隅で、おっとりとした大地の魔法少女・花里みのりが「あれ……?」と小さく声を上げた。彼女の隣に座っていた快活な雷の魔法少女・雷電アキラが「どうしたん、みのりん?」と顔を覗き込む。


「ううん、なんだか腕のところが、ちょっと痒いなって……」


 そう言って、みのりは自分の右腕の袖をまくり上げた。

 私たちは、息を呑んだ。


 彼女の白く柔らかな二の腕に、見慣れない痣が浮かび上がっていたのだ。

 それはただの痣ではなかった。まるで黒いインクを滲ませたかのように、禍々しい紋様を描いている。そして、その紋様の中心が、まるで呼吸をするかのように、ごく僅かに……脈打っていた。


「な、に……これ……?」


 みのりの震える声が、やけに静かな談話室に響く。

 ひかりが買ってきたスイーツの甘い香りに混じって、あのシャワールームで感じた、甘く腐ったような匂いが、ふわりと漂った気がした。


 私の背筋を、冷たい汗が伝う。

 始まったのだ。

 色欲の醜鬼が仕掛けた、甘美で残酷な、蹂躙のゲームが。

 そして私たちは、もう既にその盤上に乗せられてしまっているのかもしれない。

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