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8.四谷裁断

 四谷駅のほど近く、靖国通りに面した雑居ビルの地下に、それはあった。

 外観には何の変哲もない、古びたビル。

 だが、その地下一階には、紙を喰う機械が唸り声をあげる、ある種の「胃袋」があった。


 俺は、そこで働いている。正確に言えば、紙を裁断する仕事に就いている。


 新型ウイルスのパンデミックで、飲食店が軒並み閉じ、俺の働いていた店も例に漏れず潰れた。失職。職安。紹介。ここに流れ着いた。


「ほら! 散らせ散らせ! 急げ急げ! もう間に合わないぞ!」


 防塵マスク越しの、くぐもった怒号が飛ぶ。先輩の猪熊さんだ。口癖のように、怒鳴っている。


 「はい!」と俺は叫ぶ。


 シュクタン、シュクタン。

 巨大な機械が紙を噛む。

 汗が作業着の背に貼りついて離れない。重なる紙は意外なほど強靭で、束のまま裁断機にかけると、刃が狂い、機械全体に歪みが生じる。それを防ぐため、俺たちは紙束をひたすらバラす。散らせ、散らせと、猪熊さんは言う。

 シュクタンシュクタン

 紙は、重ねると凶器になる。


「おい! もっと散らせ! 歯が噛むぞ!」


 この機械に誤作動が起きれば、数日分の業務が止まる。

 紙は何度か折ると月まで届く。そんな話を聞いたことがある気がするが、実際にはそこまでは折りたためないのが現実らしい。あくまでも、数学上の理論の話らしい。

 しかし、十数枚の紙の重なりが、刃を連結するシャフトを数ミリ歪ませ。このモンスターに致命傷を与える、と教えられた。

 皮肉なものだ。ペーパーレスとか、DX化とか叫ばれて久しい時代に、この国には紙がまだまだ生きている。

 裁断待ちの山。

 オフィス、学校、役所、果ては病院のカルテまで、紙たちは今日も地下へと運ばれてくる。


「ほら! 弐号便があと二十分だぞ!」


「はい!」


 声が、自分のものかどうかも分からなくなってきた。

 ここ、四谷はこの事業にはうってつけの立地とのことだ。何せ靖国通りに面していて、外苑東通りもほど近い。

 周りはオフィスだらけ、学校法人も多数ある。そして、市ケ谷の印刷屋からも、飯田橋界隈の出版社からも、そして永田町からもアクセスが良い。

 情報流出に厳しい世の中なのはわかるが、いくらなんでもどいつもこいつも紙を使いすぎだ。

 そして、シュレッダーくらい自分たちでやれ!

 と叫びたくなるほど戦争のような忙しさが続いている。

 しかし、だからこそ、俺は不満のないくらいに賃金を貰えているのも、ある程度は自覚している。

 昼休みは労基法準拠。コンビニ弁当。ビルの脇。


「この仕事、どうだ?」と猪熊さんが言う。缶コーヒーを片手に。


「いや、大変すね。でも、給料いいし、時間も短いし」


「だろ。だが、みんな続かねえ」


「なんでですか?」


「本とか読むか?」


「いえ、全然」


「ならそのままでいろ。文字を読むな。読むと、"その先に"行くからだ」


「先?」


「そうだ。分からなくてもいい。その一歩を踏み出すな。絶対に」


 言葉の意味は分からなかった。ただ、妙に説得力があった。


 春が過ぎ、夏の気配が近づくある日。

 その日は、珍しく暇だった。

 午前九時。壱号便が到着する。黒いセキュリティボックス。特殊なデジタルロック付き。運び込むと、自動でカチリと音を立てて解錠された。

 中身は、思ったより少なかった。安心した。今日は楽だ。

 手を動かしながら、無意識に紙束をさばいていく。

 シュクタン、シュクタン。

 シュクタンシュクタン

 ふと、その一枚が、俺の手を止めた。

 黒塗りの多い、一枚の書類。

 眼が、文字を追ってしまった。


 ──国分寺に出現した巨大不明生物


 ──●●●研究施設から脱走


 ──報道規制対応


 ──対象●●●に接触に成功


 ──ヤタガラス(仮称)からの報告


 ──●●●現場対応


 ──中央線沿線にて観測される怪異境界現象との関連


 ──●●、吉祥寺駅にてロスト


 ──●●●、荻窪駅にてロスト


 意味が分からない。


 いや、これは、先日、国分寺の、あの?

 いや、まさか? と思った。

 だが、確かに書かれていた。

 背筋が、粟立つ。思わず読み込もうとしたその瞬間。

 ガシッ、と腕を掴まれた。


 「おい」


 猪熊さんだった。その目は、何か深く、冷たいものを湛えていた。


「あ、あの……」


「一歩を、踏み出すな。言ったろ」


 俺は、頷くしかなかった。

 そして、手にした書類を、裁断機に落とした。

 ヒラヒラと、落ちていく、

 シュクタン、シュクタン。

 文字は砕け、意味は無に帰す。刃は今日も正確に、ただ裁断を繰り返す。

 そして、俺は決して──「その先」へ行かない。


 シュクタンシュクタンシュクタンシュクタンシュクタンシュクタンシュクタンシュクタンシュクタンシュクタンシュクタンシュクタンシュクタン

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