3.大怪獣、国分寺にあらわる!
その朝、国分寺の街は――音を立てて壊れていた。 空が紫がかっている。煙のせいか、光のせいか、それすらも分からない。 ビルの影がくずれ、地面は砕け、空気が震えている。 あちこちで何かが爆ぜ、叫び声が消え、次の爆音がかぶさる。
大怪獣が現れた。 高さは80メートル近く。錆びた鉄と苔のような緑の皮膚に覆われて、背中のコアが赤く脈動している。 動くたびに風が巻き起こり、音が走り、街が軋む。 それを、国分寺駅ビルの屋上から二人の男女が眺めていた。
「来るんだな、本当に」
中年の男がぽつりと言う。煙草を口にくわえたまま、どこか感心したように。
「映画とか、アニメの中だけの話だと思ってたけどね。ほんとに来るんだ」
二十歳そこそこの女が、柵に座って言う。 風が髪を揺らす。 二人は――ここで初めて会った。運悪く、 偶然にも、 同じ時間、同じ場所で。 飛び降り自殺をしようとしていた。 だが、死ぬ前に更に運の悪い事が起きてしまった。 怪獣が現れたのだ。
「自己紹介とか、必要かな?」
「うん。いらない。どうせ死ぬんだし」
「そっちが先に飛ぶ?」
「そっちが先でいいよ」
そんな他人行儀な会話のまま、時間が止まってしまったように怪獣は街を壊している。 二人とも、その光景に対して何の感情も持たなかった。
怒りも、恐怖も、驚きすら。
男は三十二歳。小さな広告代理店に勤めている。独身。離婚歴なし、子なし。 預金は順調に増えつつあるが、連絡の来ないスマホと一緒に眠るだけの生活に飽きて、今日を選んだ。
女は二十歳。大学では孤立し、家庭でも疎外され、SNSのタイムラインのように流れていく日々がしんどくて、今日を選んだ。
「皮肉だよな」
「うん?」
「こっちが死のうと思ってたら、向こうから死がやってくるって」
「……笑えるね、ほんと」
女がはにかむように笑った。 男も笑った。 けれど、どちらも目は笑っていない。 そういうふうに笑う練習だけは、人生でたくさんしてきたのだった。
戦闘がはじまった。人類の反撃がはじまったのだ。市街地に展開した自衛隊。 戦車、機動車、警察官たちの動き。 スーパーマーケットが吹き飛び、電柱が折れ、ミサイルの軌跡が空に光を引く。 それでも怪獣は倒れない。 目を光らせて進み、すべてをなぎ倒す。 しかし、二人は静かに語らう。
「これで死んだら、怪獣の犠牲者ってことになるのかな」
「そう……なるな。うん、なんか……、嫌だな、それは」
「ね。わたしたち、怪獣じゃなくて社会の犠牲者だもん」
「このクソみたいな社会に殺されましたって、ちゃんと誰かに書いてほしいよな」
風に乗って、焼けた建材のにおいが屋上まで届く。 だけど、二人とも平然としている。 どこか遠くで誰かが叫んでいるような気がする。 でも、それはこの場には届かない。 ただ、ビルの陰から這い出てきた陽光が、うっすらと女の横顔を照らしていた。
「……ねぇ」 女がぽつりと声を落とす。「なんか、めんどくさくない?」
「なにが?」
「死ぬのって。今すぐじゃなくてもいい気がしてきた」
男は煙草を地面で揉み消して、
「俺も。てか、怪獣に殺されるのって、どう考えても不本意だよな」
「うん。最後くらい、自分で選びたいじゃん」
しばらくの沈黙。 怪獣の咆哮が、遠くで木霊する。
「……飲みに行かない?」
女が言った。
「店、やってねぇだろ。電車も止まってるだろうし」
「歩けば、どっか開いてる店くらいあるかもよ」
男が笑った。 「国分寺、脱出するか」
「うん」
二人は屋上の扉を開け、非常階段をゆっくりと降りていった。 瓦礫、煙、混乱。壊れた街の中を、ただ並んで歩いていく。