2.新宿スパイダー×スパイダー
終電を逃して、俺は新宿駅の地下プロムナードで酔いつぶれていた。
ビール、焼酎、ハイボール、そして最後はテキーラのショット。
どこで誰と何を話していたのかは、もう覚えていない。 仕事にも、人間関係にも、将来の不安とか、 とにかく、疲れていた。 冷たい床に横になって、まるでホームレスみたいだな、と半ば他人事のように思った。
次の瞬間、世界が裏返った。 俺は蜘蛛になっていた。
そう、脚が八本。目も増えて、感覚が鋭くなっている。においも音も、空気のわずかな振動さえも敏感に感じ取れる。 転生したら蜘蛛、 ラノベかよ! と思わず心の中でツッコミをいれた。
「おい、おまえ。起きてるか?」
不意に声をかけられた。 現れたのは、妙にでかいアシダカグモ。
「びっくりしたか? まぁ、誰しも最初はそうなる」
自己紹介を省略して「アシダカ先輩」と名乗った彼は、新宿駅に十年以上暮らしているという。俺のような“転生蜘蛛”も、たまに現れるらしい。
「来い、案内してやる。ここは新宿駅ダンジョン。俺たちの世界だ」
そこから、俺の奇妙な冒険が始まった。
--- 「しょしらすけ、かんべやれ……まんず、まんず……」
新潟の山奥から新幹線に紛れ込んでやってきたというトタテグモが、ぶつぶつと呟いている。 方言が強すぎて何を言っているかよくわからないが、彼の巣は美しかった。地面にトンネルを掘り、蓋つきの出入り口がある。
次に出会ったのは、芸術家たちだった。
「これは……巣?」
「巣とは、芸術ですとも。我らの誇りです」
そう誇らしげに語るのは、ジョロウグモの一団だった。 彼らは毎夜、いかに美しく巣を張るかを競い合っていた。
夜風に揺れるその糸のアーチは、まるで音楽のようだった。
遺跡のようなパイプの中には、蜘蛛の帝国があった。 その一角には、ムカデとの戦いで片脚を失ったという戦士がいた。 かつて八本あった脚が、今は七本。 「足がなくても戦える。誇りを捨てるなよ」 と、渋く言った。
この地下世界には、秩序があった。 闘争も、芸術も、歴史もあった。 アシダカ先輩が教えてくれた。
「この新宿ダンジョンの奥深くには、太古の遺物がある。おまえも案内してやる」
それは宇宙船だった。 太古の昔、蜘蛛たちが地球に降り立った時に使っていたというそれは、長年の修理を終えつつあり、再び飛び立とうとしているという。
「この星はもう終わる。そろそろ帰る時が来た」
先輩はそう言った。 俺も、うなずいた。
「帰ろう。こんなクソみたいな世界とはオサラバだ!」
--- そこで、目が覚めた。
吹き抜ける風。労働者達の靴音、車の排気音、 俺は、あの冷たい床に寝転がったまま、現実に引き戻されていた。
酔いは冷め、吐き気と頭痛だけが残っていた。時計を見れば朝の五時半。 トボトボと地上へ出る。 朝の新宿の空気は、ほんのりと冷たくて澄んでいた。
袖に何かが這う感覚がした。 見ると、小さな蜘蛛が一匹。 いつもなら、反射的に叩き落とすところだ。
でも俺は、そっと指先でそれをつまもうとした。 蜘蛛はふわりと糸を出し、すーっと空へ舞い上がっていった。
その軌道が、やけに華麗で、どこか懐かしかった。