第06話 初めての罰
「逃げないと……!!」
ホーロスの街の北東部。そこら一帯を見渡せる小丘の上の広場にて、私は化け物のような生物に遭遇した。
「くっ……何故、こんなところにコカドリーユが……っ!!」
フィレーナさんは、その巨大な鶏の怪物を【コカドリーユ】と呼んだ。その姿は空想上の生物であるドラゴンのような巨大で爬虫類調の羽を持ち、恐らくは手と同じ役割を担っているであろうその器官と一体化して羽ばたいている。また大きな嘴と鶏冠があり、鳥類特有の四本の趾が大地に突き刺さっていた。
そして、その生物が最も異様で異形であったのは尾として生えているだろう三匹の蛇である。彼らにはそれぞれの意思があるのか、バラバラに得物を探しながら舌を伸ばしていた。
「なっ……なに、あれ……フィレーナさんッ!!」
「…ッ……下がって、パンドラ。アイツはコカドリーユと呼ばれる”魔獣”だ。どうやってこんな街中まで入ってきたのか知らないけど、近づくのはあまりにも危険すぎる!」
私を庇うように、彼女は片手を水平に上げ後退を促す。けれど、私にはこんな時にまで優しくしてくれるフィレーナさんの温かさを感じている余裕は無かった。
丘へと続く石階段を踏みしめ、砕き、ここへ上ってくる雄鶏。人が余裕を持って通れるくらいの木の柵を難なく踏み倒し、嘴の隙間から緑色の涎を垂らしながら一歩一歩こちらに近寄ってくる。
特に、私の恐怖を煽るのがそれの眼だった。少し出張った真ん丸の目玉は、左右が同じ方向を向かずに焦点が定まっていない。ぐるぐると、周りの様子を見ているようで、本当は何も見ていないんじゃないかと錯覚させられる。ぐるぐる、ぐるぐる、と。
それが一層、奴の不気味さと理解不能故の恐怖を増長させていた。
「クワッッ――――コオオォォォーーー!!!」
雄の鶏のような何かが鳴く、雄叫び。
大地を揺るがす程の大きな振動で、私の鼓膜を責め立てる。五月蠅くて、我慢ならず両手で耳を塞ぎ、ついでに目も瞑る。怖くて、恐ろしくて、小さく纏まり蹲ることしか出来ない。そんな臆病で無力な私は、鳴き声の響きが収まった後でも変わらず震えが収まらなかった。
「――パンドラっ!しっかりして!……怖いのは分かるけど、ここに居たら僕達二人とも助からないッ!」
けれど、そんな私を彼女は奮い立たせる。
その場に座り込んだ私の手をまた掴んで、ちゃんとしろと引っ張り上げてくれた。
「フィ……フィレーナさん……」
「……いいかい、よく聞くんだパンドラ。僕が今からヤツの注意を惹く。だから君はその隙にヤツの後ろの階段から街に降りるんだ」
「えっ……」
小声でひそひそと話すフィレーナさんの言葉に、私は耳を疑った。
しかし、そんな私の戸惑いも無視し彼女は続ける。
「街に出たら、さっき一緒に見に行った衛兵の詰め所に行って助けを呼んできて欲しい。大丈夫、これだけ大きな魔物なら恐らく既に他の衛兵たちの耳にも入っているはずだ。だから君は只詰め所まで走って、ここにヤツが居ることを伝えてくれればいい」
「そっ、そんなの……ま、待ってください!私、そんなこと出来ないですっ!一人でなんてそんな……それに、フィレーナさんはここに残ってどうするんですか!アレの注意を惹くなんて……あんなのと、戦えるわけ……」
ごちゃごちゃと言葉を並べるだけの私は、自分が酷く愚かで弱い存在であると思ってしまった。けれど、そんな私でもフィレーナさんを一人ここに残していくのが良い判断でないことだけは分かる。あんな目を疑うような怪物を相手に、私と同い年ぐらいの女の子が一人挑んだところで勝機などあるはずがない。……なのに、彼女は私を勇気づける為真っ直ぐこちらを見てくれていた。
「――大丈夫だよ、パンドラ。何も心配なんていらない、なんたって僕はこの街の衛兵なんだから。……この街を守ることも、友達を守ることも、この国の戦士として生きてきた僕の務めだ。だから君は何も考えず、振り返らず、ただ走ればいい。……走って、生きてくれればいい」
そう言って私を握ってくれる彼女の手は、少しだけ震えていた。
その時、私は初めて知った。強くて、かっこよくて、優しいフィレーナさんだって怖がっているのだと。アレを恐怖の対象として見ていて、恐れていたのだ。あまりにも当然のこと。
でも、私が居るから強がっていた。この街の衛兵として、彼女には勤めがあるから、この街と見知らぬ今日出会ったばかりの私を守る為に彼女は勇気を出し、私を勇気づけてくれていた。……そんなフィレーナさんの想いに、私は応えなければならない。
「ッ!……危ないっ!パンドラ!」
「!!」
突然、フィレーナさんに手を引っ張られて私は大きく体勢を崩す。その場から思い切り横に跳んだらしい彼女に連れられて、私も一緒に大きく左に倒れた。
――そして直後、私達が先程まで立っていた場所に火の放射が飛び去った。
「……え、は?」
何が起きたかわからず、私は地面に倒れ込みながら只々放心する。
しかし、今この瞬間に私が悠長に状況を理解できるような時間は無い。
「怪我は無いか、パンドラ?!……コカドリーユ、やはり凶暴な魔獣だ……」
私と違って、状況を理解していたフィレーナさんは倒れずに既に低い体勢を保っていた。しかしその内の片方の手は、倒れた私が頭を地面に打ち付けないようにそっと後頭部に添えられている。まずいっ、私がいつまでもこうしてたらフィレーナさんが動けない。
「あ、あの、今なにが……あ、いや、ありがとうございます、フィレーナさん……」
「気にしなくていいよ。それよりも、無事そうなら直ぐに立った方が良い。……ヤツは今、”火を噴いた”んだ。僕達を目掛けて、あの鋭そうな嘴からね」
そう言う彼女の視線の先に居たその化け物は、口から黒い煙を焚いていた。信じ難いことではあるが、状況証拠とフィレーナさんの発言的にそれは事実であるらしい。私達が街を見下ろすため立っていたその場所は、地面や柵を巻き込んで黒く焼け焦げている。所々火の粉が舞っていて、周囲に比べそこら一帯だけが異様に温度が高くなっているのが傍から見ているだけでもわかった。
「クハァァァ……コッコォ――――!!」
どういう理屈かはわからないけど、恐らく肺かどこかに溜まっていた熱気をソレは吐き出す。そして、鶏特有のあの鳴き声を上げながらこちらに向かって走り出した。
「ッ!来たっ!!……パンドラ、行ってくれ!!」
どたどたと地面を慣らし、全身を震わせながら怪物は走る。否、走るというにはあまりにも不格好で、不規則且つ不効率な歩み。ふらふらと千鳥足のような足取りで、羽をバタつかせ飛んでいるつもりなのだろうか。されど、そんな些細なことはヤツの大きな体躯の前には関係のないことだった。
そして、私達に迫るコカドリーユを前にフィレーナさんも腰の剣を抜く。
「えっ、あ……は、はいっ!!」
私と、恐ろしいそれの間に彼女は立ち塞がる。自身の中に湧いているはずの怖い気持ちを押しのけて、フィレーナさんは私を守ろうとしてくれていた。――その彼女の心意気に、何としても応えたい。その一心で、私も走り出した。
「いいかいパンドラ、僕の言った通りにするんだよ!僕とこの街を救えるかは君に掛かってる!――――頼んだからねっ!!!」
「はいっ!!」
脇目も振らず、振り返らず、私は力一杯に駆けだす。
助けを呼びにいかないと。早く、速く。もしかしたら、私が凄く急ぐ急げばフィレーナさんを助けることが出来るかもしれないから。
「いいかいパンドラ、僕の言った通りにするんだよ!僕とこの街を救えるかは君に掛かってる!――――頼んだからねっ!!!」
「はい!!」
そうだ、私に掛かってる。この街にとって存命の危機ともいえる魔獣の出現、それをいち早く他の衛兵さん達にも伝えなければいけない。でないとコカドリーユによる被害はどんどん大きくなって、フィレーナさんが助かる可能性も低くなってしまう。
「いいかいパンドラ、僕の言った通りにするんだよ!僕とこの街を救えるかは君に掛かってる!――――頼んだからねっ!!!」
「えっ?あ、はい!わかりました!」
まずはこの広場を出て、北側に進もう。衛兵の詰所の場所は確か、噴水のあった広場を更に進んだ先にある街役場の隣だ。それにここに来る途中も要所要所で衛兵さんのような人達を見かけたし、きっと皆が助けてくれるはず。
「いいかいパンドラ、僕の言った通りにするんだよ!僕とこの街を救えるかは君に掛かってる!――――頼んだからねっ!!!」
「……ん?……あ、はい。わかりましたよ?」
必死に走っていて、更には危機的状況も相まって私は気付かなかった。それどころでは無くて、今は只々急いでこの広場を出ることだけを考えていた。
……しかし、それでも流石に確かな違和感を感じる。なんか、フィレーナさん……さっきからおかしくない……?
「いいかいパンドラ、僕の言った通りにするんだよ!僕とこの街を救えるかは君に掛かってる!――――頼んだからねっ!!!」
「いや、はい、わかりましたって。そう何度も言わなくても理解できてますよフィレーナさん……ん?」
幾回も繰り返されるその言葉に、私は疑問を抱く。そして、その疑問の根源である彼女の様子を窺おうと走りながらに後ろを振り返った。
――だがそこで、ほんの一瞬視界に電気のような何かが走ったような気がした。
「いいかいパンドラ、僕の言った通りにするんだよ!僕とこの街を救えるかは君に掛かってる!――――頼んだからねっ!!!」
後ろを振り返ると、変わらずフィレーナさんは勇ましい姿のまま剣を抜きその場に立っていた。今まさに彼女に迫ろうとする巨大な鶏を前に、一歩も引かぬ覚悟を見せている。
……だが、どういう訳かその両者の距離は一向に縮んでいる様子が無かった。
「いいかいパンドラ、僕の言った通りにするんだよ!僕とこの街を救えるかは君に掛かってる!――――頼んだからねっ!!!」
それだけじゃない。
よく考えてみると、この間もずっと走り続けているはずの私はいつまで経っても丘の上の広場を出られずにいた。コカドリーユが通ってきたはずの石階段を目指して全速力で走っているにも関わらず、私はそこに辿り着けない。
「いいかいパンドラ、僕の言った通りにするんだよ!僕とこの街を救えるかは君に掛かってる!――――頼んだからねっ!!!」
また、電気が走った。
フィレーナさんが同じことを言うほんの少し前、世界というか空気というか、目に見えるけど見えない空間に僅かな痺れが入る。いや、電気というよりビデオを巻き戻したときなんかに見える”アレ”と言った方が近いのかも。
昔、おじいちゃんにドラム缶テレビに繋がったビデオデッキで、ビデオテープを見せてもらったことがある。それは今で言うところのDVDみたいなもので、その中にあるテープに焼いた映像を何度も繰り返し見ることが出来た。で、それを見てる最中に突然画面に黒い稲妻のようなものが映り込む時がある。それは決まってビデオを停止させた時か、あるいは巻き戻した時に見られていた
そして今、私の視界の端で映るそれは正しくそんな現象の様に思えたのだ。
「――いいかいパンドラ、僕の言った通りにするんだよ!僕とこの街を救えるかは君に掛かってる!――――頼んだからねっ!!!」
もう何度目になるかわからないフィレーナさんの警告に、私はもはや言葉を返さなかった。一体、何が起きているのだろう。あまりに非現実的なこの状況と、怖さのあまり私の頭がおかしくなってしまったのか。
……それとも、もしかしてたった今この世界は誰かの意思によって繰り返されているとでもいうのか。再生、停止、巻き戻し。再生、停止、巻き戻し。それを誰かがリモコンを使って、世界を操っているのか……いや、そんなこと普通に考えてあり得るわけがない。
「――あれ?……あれ、なんだろ……”文字”?」
何度も送られる世界の中で、私は全ての光景の後ろで光る何かを見つけた。走る私、立ち向かうフィレーナさん、迫るコカドリーユ。そして私達が踏みしめ、風が吹き抜ける丘と、その下のホーロスの街。そしてそれらを囲む石壁と、奥に広がる森林と大空。そんな全ての景色と光景の裏側に、私はぽつりぽつりと浮かぶ文字たちを見る。
――――『逃げるな』
逃げるな、とその一言。
その光る文字さんは、確か私が森の中で池を眺めていた時にも浮かび上がっていたものだ。その時とは内容も場所も違うけど、それでも恐らく私に対して何かを伝えようとしていることだけは一致する。そして、今回文字さんが伝えようとしていたのはこの場から離れるなということだった。
「え?なに言って……」
……けれど、それは今の私にとっては出来ない話だった。私はフィレーナさんに頼まれ、今から衛兵の詰め所に向かわなければならない。どこからともなく現れたあの魔獣と戦う彼女の意思を尊重し、彼女を守るために私は行動しなければいけないんだ。それなのに、この場を離れちゃいけないなんて――。
「……そんなの、出来るわけないでs――――」
文字さんに言われた言葉を、私は思わず口に出しながら否定した。
だが否定しようとして、それを言い切る前に私の意識は世界から消滅したのだった。
******
――――――ブツッ。
まるでアナログ式のテレビの電源を落したかのように、視界の全てが黒く染まる。ブラックアウト、この現象をそう呼ぶ人もいるだろう。
停電か、はたまた突然夜がやって来てしまったのか、そのどちらとも定かではない。ただ確かなことは、世界が暗くなったとようやく自覚したときには、既に何度かのまばたきを挟み再びその角膜が明るさを感じた時であった。
「――は?……ここ、どこ?」
影のカーテンが掛かっていた視界がいきなり鮮明になり、されどそこで見た光景に私は目を見張った。何故なら、そこは私が先程まで居た丘の上から見ていた風景とはあまりにもかけ離れた場所であったから。
「な、なに……何が、起きたの……?」
理解の及ばぬ状況に、私は只々困惑する。
私はさっきまで、確かにホーロスの街の西側に立つ小丘の上の広場に居た。そこでフィレーナさんと二人で話していたら、コカドリーユとかいう魔物が突然現れたんだ。それで、フィレーナさんの提案で彼女が囮になる間に私が助けを呼びに行くという話になっていたはず……なのに、私は何故こんなところで《《寝ている》》の?
「どうして、こんなところに……って、え?!ちょ、やだ、なんで私縛られてるのっ?!」
徐々に明らかになる現状を、更に狂わせる事実。私は今、冷たく硬い台座の上に寝ている――いや、寝かされている。そしてそこから身動きが出来ないように、手足を四方に引っ張れたまま鎖で拘束されていた。
「ちょっと待って!なにコレ、外れないんだけどっ!……ん?あれ、これって……高校の制服?」
どんな状況であれ、人は何かに縛り付けられることに嫌悪感を抱くもの。それは私も例外では無く、なんとか身体を捩ったり腕を引っ張ったりしてその拘束からの解放を試みていた。
しかし、その過程でもう一つおかしな事実に気が付く。妙に着慣れた、見覚えのある衣服。私が私であることを証明し、自身の立場や位を示している正装。先程までは小洒落たワンピースにローブを羽織った装いだったのに、今の私は何故か普段から使っている高校の制服を着ていた。
否、それだけではない。自身の格好を確認する為寝た状態のまま下に視線を移すと、余計な障害物がなくハッキリと学校指定のハイソックスが見える。さっきまでは邪魔な《《凹凸》》があって足元が見えなかったのに……。
加えて、視界の端や肩にかかる髪が先程までの桃色ではなく、見慣れた明るめの茶色へと変わっていた。
つまり、これらの事実から私は今パンドラの姿ではなく、元の香取千代梨の体を取り戻したということになる。
「う、う~ん、元の身体に戻れたのはいいんだけど……それはそれなんだよなぁ。結局、ここが何処なのかわからないし……」
可能な限り首を左右に動かして、私は周囲の状況を確認する。だがそこは、平衡感覚を失ってしまいそうな程に白く、そしてどこまでも続くような広い空間であった。何故か確かな明るさは感じるのに、どこが光源であるのかわからない。熱くもないし、寒くもない。普通と変わり無く呼吸もできるし、されど圧迫されているような空気感によくわからない息苦しさがあった。
「なんなの、一体……私、早く衛兵さんを呼びにいかないといけないんだけど……」
本来の、元々抱いていた『家に帰る』という目的。だが今は、それよりも先にあの場所に置いてきてしまったフィレーナさんのことが気掛かりだった。もしかしたら、彼女はまだあの丘の上であの恐ろしい魔獣と戦おうとしているのかもしれないのだから。
「……あ、また”あれ”だ」
楔の解き方が分からず、途方に暮れる私。再び頭を寝かせて、脱力しながら天井を見上げた。どこまでも続く、終わりの無い空を。
――そしてそこに、再び光る文字が浮かび上がった。
『逃げるなと、言ったはずだ』
何もない空中に、それらは並んでいた。少し前に目にした時とは違い、大きくくっきりと、まるで強く主張しているかのように私の視界に映る。
「……逃げるなって言ったって、しょうがないでしょ。フィレーナさんに頼まれたんだから」
誰に言うでも、聞かせるでもなく私はそう呟く。文字さんに何と言われようと、あの時の私は自分を守るため戦おうとしてくれていた彼女の想いに応えたかった。だからあの場をフィレーナさんに任せて、私は一刻も早くあの場を離れたかったのだ。
それなのに、逃げるなだなんて出来る筈もない。
「……大体、あなたは誰で、何なの?もしかして、あなたが私の姿を変えてあの場所に連れて行った張本人?……もしそうなら、早く家に帰して欲しいんだけど」
再び、今度は明らかにその文字に向かって私はそう言った。無論、ただの文字列如きに受け答えをするような意思があるわけが無い。しかし、今こうして私に語り掛けるように浮かび、そして意味を成していることから少なくともこれを通して誰かの意思が乗っているとしか思えない。
……もっとも、それに私の質問に答えるつもりが無いのなら結果はどちらでも変わらないのであるが。
『香取千代梨、お前は間違いを犯した。……間違いには、罰を与える』
私の言葉をフルシカトで、その文字たちはそう告げていた。
「――は?なに言ってるの」
またしても、私は思った事をそのまま口に出してしまった。
しかし、そんな私の態度に構わず、罰を与えると公言した光る文字たちは次第に一点に集約し、そしてゆっくりと降下を始めた。
「……?」
小さく光る粒になったそれは、私の腰辺りを目掛けゆっくりと落下する。その眩い光は、私に近づくにつれ徐々に強さを増した。なんだかとても暖かく、例えるなら暖炉の灯りようで、大きく私を包み込む。
――――だが、次の瞬間その光は僅かに膨張して”発火した”。
「えっ?」
急に燃え出した光は、止まらず下降を続ける。
だが、発火とはつまり燃えること意味し、当然それ相応の火の熱を感じさせた。しかもそれはもう私の眼前にまで迫っていて、このままでは制服に燃え移ってしまいそうである。
「ちょ、ちょっと待ってっ!熱っ……燃えるから、燃えちゃうから制服がっ!」
迫る光に私は声を荒げて、止まるように願った。だが無慈悲にも、その火は構わず私の努力の結晶であるそれに使づいてくる。
否、燃えるのは制服だけではない。寝そべる私に、空中から飛来する火の玉。それが着弾し、制服に移った暁には漏れなく着ている本人にまで被害が及ぶ。当然そうなれば、小さなやけど程度では済まされない。
「待って……まって!待ってってばっ!!!このままじゃ私、燃え――――」
進み続ける炎の塊に、私は叫ぶ。硬い台の上では意味がないと分かりながらも、出来るだけそれから距離を置こうと腰を引いた。だがそれはほんの僅かな時間も生み出さずに、無駄な労力として終わる。
――そうして遂に、それはワタシへと至った。
「熱ッ!!!」
制服の裾に接触した火は、一瞬にして勢力を増す。上下で連なったジャケットとスカートを伝い、あっという間に生地を燃やし始めた。
「熱いッ!……あづ、熱ッ!!」
自身に纏わりついた火による熱気と、実際に布越しに皮膚を焼く灼熱が私を串刺す。汗でベッタリと身体に張り付いた衣類が焦げて、臭いを発しながら黒く染まっていった。
次は、私がああなる番だ。
「ゴホッ……ま、っつ…あヅいッ!」
身体を焼かれて、徐々に水分を失う私の肌は油分も混ざり合いながら溶けていく。艶を帯び、年齢に見合った美しさを孕んでいたそれは赤くぐっちゃりと爛れていく。
それでも、熱の勢力は衰えずむしろ猛進を続けた。
「やだッ!!痛いッ!あジュッ!!…ッ…なん、でよぉぉ!!」
身体を捩らせ、捻じって、少しでも熱から逃れようと足掻く。しかし鎖に繋がれて身動きが取れない状態の自分では、それほど大きな結果は得られなかった。煙を吸ってむせ返り、体を強張らせると意識の内から痛みを感じる。十分な油と人の体液が縮んで裂け始めた自身の腹からゆっくり漏れ出して、燃えているのに妙に湿り気を感じた。
――そして、間もなくして私の全身は炎に包まれる。
「アがッ!!…カハッ…ア˝…グイ!!!!……ハッ」
上から下まで赤く広がった熱が私を煽る。後燃えていないのは、手足の先くらいだろか。いや、そんなことを考えられる余裕なんてない。
苦しい。息が出来ない。炎が燃えることによって空気中の酸素が消費され、二酸化炭素が増え続ける。そうなることで私はこの場にある酸素の所有権を主張できなくなり、呼吸困難に陥る。更に、それでも息苦しさから逃れようと無理矢理空気を吸い込めば、眼下でごうごうと燃える火から放たれる熱気が肺と食道を焼いた。
「――ッ、――――。」
空気が吸えず、声帯も熱で喉に引っ付いて、とうとう声も上げられなくなった。まるで溺れているような感覚。じゅばじゅばと私の下半身辺りから遅すぎる失禁が起きたような気もするが……それは気のせいだろうか。否、例えそうであったとしてももう何もわからない。
――――ねぇ、どうして……どうして死ねないの?
火に焼かれ、もはやのたうち回ることも出来ない。だが、何故か私にはまだほんの僅かな意識があった。本来なら焼かれて死ぬか、少なくとも酸素不足で気絶しているはずだった。
なのに、どうして私はまだ確かな熱と肉と炭が焼けるような臭いを感じているのか。
もう死にたい。楽になりたい。本当ならもうとっくに終われているはずなのに。こんな地獄みたいな苦しみから、唯一私を救い出してくれる生物としての終わり。それが今の私には訪れてたっておかしくないのに、それすらも私を助けてくれないのか。
ぴゅっ。
また私の身体から、何かが抜けたような感覚がした。いや、気のせいか。そんなの、もはや感じられるわけがない。どうせ死ぬんだし、死んでる。それを感じる器官すらもう焼けて無くなっているはずだ。
――――全部、あいつが悪い。
あいつが悪い、あいつが悪い、アイツが……ッ!!あの文字が、あの文字を操っている誰かが、私をこんな目に合わせた”そいつ”が。私を知らない場所に飛ばして、知らない姿に変えて、知らない人たちに会わせた。私が苦しいのも、死にたいのも、全部全部アイツのせい。…………絶対に、許さない。許せない。いつか、いつの日か必ず、私がアイツを――――。
******
……暫くした後、そこには動かぬ黒い塊だけが残っていた。
黒く、粉々で、ジューシー。ところどころ人の指みたいなモノがあるような気がするけど、きっと気のせいだろう。
だってそうだ。今、そこにあるのは彼女であった何かと――
――――『次は、違えるな』
という光る文字列だけなのだから。