第09話 絞殺
……開いた瞳の先、見えるのは真っ白な世界。
何もなく、音もしない。
さっきより少しばかり薄暗く、陰が掛かっているような感覚。否、それは自分自身の心理状態からくる錯覚かもしれない。また或いは、さっきの台座を地面の上と定義したとき、ここはそれと比べて遥か上空の世界に位置しているような様態だった。
――だが、ともかく私はまた”この場所”に来てしまったのだ。
「……。」
けれど、そんなことを悲観するほどの余裕は今の私には無かった。
ただただ呆然とし、漠然とした喪失感に襲われる。無理解さと不条理さが混じり合って、状況を飲み込もうとする気さえ失せてしまっていた。
「……一体……どういう、こと……」
ひたすらに浮かぶのは、”分からない”という無力感。今自分の身に降りかかっている現実を理解できずに、ぐるぐると先程の光景だけが瞼の裏を巡る。……フィレーナさんに剣を向けられた、あの光景が。
――――『違えるな』
だがしかし、そんな私に対しても奴は優しくなどしてくれない。薄っすら見つめる視界の先で、ぼんやりと光る文字たちがそれを物語っていた。
「……今度は……なに……?」
再び現れた恨むべきその悪字を見て、私はようやく自身の現在の状態に目を向け始めた。
まず第一に、私は今首から上以外が身動きできない状況だった。両足は何かに縛られているように揃ったままで、両手は胸の前で組んだ状態で動かせない。更にその上から白い布をぐるぐる巻きにされて、例えるならミイラやツタンカーメン王のような様態であった。
加えて、そんな私は木製の高見台の上に立たされているようで、周囲を見渡してもその場所以外の足場は存在していなかった。まあ底が見えたところで、ここから微塵も動けないんだけど。
……そして、極めつけはこれ見よがしに私の首に巻かれた太い縄。私の視界に移る茶色い髪に混ざるように存在するそれは、異様な圧力を感じさせる。どこからそれが吊るされているのかさえも明らかでは無く、その先端にはギリギリ頭が通らない程度の輪っかが結ばれ、私はそこに首を通していた。
ここまでご丁寧に状況を整えられれば、どんな馬鹿でも流石にわかる。――これから、私に一体どんなことが起きるのか。
「…ッ……やだ……やだっ」
ここまで冷静で、というより放心状態で自分の置かれている事態に何の感情もわかなかった。
しかし、ほんの僅かな時間の経過の中で徐々に気持ちの整理がつき始め、かと思ったら今度はこの状況に絶望する。私には、これからまたあの時の様な苦しい運命が待ち受けているのだ……そう理解した時、身を捩らずにはいられなかった。
「やだッ!!やめてっ!やめてよッ!!さっきのは、私悪くないでしょっ!!」
自分のこれからを知り、私は助けを乞う。だが、何故か首から下が動かせずこれっぽっちも抵抗できる気配が無い。まるでそういう形の型に身体を嵌められているみたいに、逃げ出すどころか身を揺らすことさえままならなかった。
せめて首に掛けられている縄だけでも振りほどこうと藻掻いても、穴に頭を通しているというよりは首元をロープで縛られている状態故にそれすらも叶わない。
「なんでっ!……なんでよッ!!言う通りにしたでしょっ!?私何も話してないじゃん!!!」
動けぬ体を引っ張るように、必死に頭を振る。少しでも苦痛に塗れた運命を変えようと、その理不尽に抗った。……されど、その結果が足元の処刑台を軋ませるだけに留まるのは本当に残酷過ぎないだろうか。
――――『罰を与える』
ひたすらに許しを訴える私の前に、無慈悲にもその文字が浮かんだ。ぼんやりと光って、まるで私を責め立てるように。その悪字は罪人に罰を求めた。
「やだっ!!やだやだやだやだやだッ!!!なんでッ、助けてよ!!ごめんなさいごめんなさい……どうして、どうして私を殺して……!!!」
必死に叫んで、嫌がって。涙を流して、謝って。泣き叫ぶ私はさも滑稽であった。
しかし、それでも生を諦めきれない。手放してはならない、捨ててはならない。命はたった一つしかなくて、大事なものだから。むやみやたらに人から奪っていいものでは無くて、誰もが持つ当然の権利なのだから。
……だが、そんなものは奴の前には到底関係の無い話である。
「あっ―――」
訴える私を無視して、突然ガタンと足元の板が外れた。高見台という名の処刑場は、備え付けられた私に刑を執行する為その効力を発揮したのだ。
――最初に訪れたのは、得も言えぬ浮遊感。
瞬間的に足場が消失し、私の足の裏は空中を泳いだ。その真下は底が見えぬ奈落が続いていて、私は恐怖と落下し始める身体の感覚に腰辺りが浮き上がった。
そして、次に感じたのは急速な自由落下運動。この場所に地球と同じ重力が働いているのか定かでは無いが、ともかく私は世界が中心に向かって働くその力によって身を下へ下へと誘われる。
だが、それも長くは続かず気が付いた時――
「――――かはっ……ヒュッ」
……気が付いた時には、私は宙ぶらりんの状態で首を吊っていた。
「ア˝…ッア˝ァ˝……ッハァ!」
息が吸えない。
喉が絞まり声を上げられず、同時に肺への空気の輸送が絶たれる。そのことに更に恐怖を覚えて、私は必死に口を広げた。
「ッハ、ハァッ!……ウ˝ッ、ハァ……!!」
苦しい、苦しい。
酸素を求めて必死に息を吸おうと努めるが、空気がそれを否定する。もはや救いようが無いと自分を見捨て、まるで嘲笑うかのようにしたから緩い風が吹き上げた。
「ア˝ッ……ア、ぁ……」
……そして、吊るされてから数秒で次の症状が現れる。それは頸動脈を締め上げられていることによる、脳の血流不足。気道が狭まり全身の酸素が足りなくなっていくというのに、更に脳への血の巡りが滞り意識が混濁し始めた。
昔、テレビか何かで聞いたことがある。日本における死刑執行は、一律首吊りで行われているという話を。その理由は死刑囚に不必要な苦痛を与えないようにする為らしく、つまり絞首は数ある死刑の中でもどちらかと言えば人道的な方法に分類されているというのだ。
だが、それでも死刑であることには変わりない。それに、ただ首を吊るだけでは今の私の様に相当の苦痛を経験することになる。よって現代日本では絞首刑の際首を吊るロープは長めに用意され、更に足場から数メートル落下させることで頸椎を損傷し死ぬ前に意識を失うという。そうすれば、受刑者に必要以上の苦痛を体験させること無く刑を執行できるというわけだ。
……だが、今の私はそうでは無かった。
「……ア˝……ァ」
足元の板が外れ、僅か十数センチ。落下というよりは、自重により縄が撓った程度であり、当然首を吊られてから今の今まで意識があった。ということはその間に訪れる苦しみもしっかり実体験しており、白目を向いて口から泡が漏れ出そうともそれが終わることは無い。
「………ァ…」
ふわふわとした感覚に、脳みその機能が不正常を引き起こす。耐え難く、悶えたいほど苦しいはずなのに、それを身体が実行しようとしてくれない。藻掻き苦しむことすら、もはや今の私には許されてはいなかった。
「――――。」
もう、何も見えず、なのにやけに五月蠅い耳鳴りが聞こえる。
暗くて、冷たく、穏やか。もう苦しくもないし、痛くもない。願わくば、ただ何も感じずに、このままそっと終わりたい……。
――――『次は、違えるな』
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――――目が覚めると、私は再び天を仰いでいた。
何処までも続く灰色の雨雲が、世界を覆っている。そこから落ちてくる尊い雨粒たちは、私の冷め切った心と身体を更に凍らせた。
「……。」
放心。
空を見上げ、顔に打ち付ける水滴に私は晒される。けれどそんなことは気にはならなくて、今は只私のこの世での所在を探っていた。
「…………ウッ……」
――刹那、私の中の何かが動いた。
より正確に言うなれば、私の身体の中の……消化器官が。目まぐるしい熱を帯びて、胃の中がぐつぐつと煮えたぎった。それが異様に気持ちが悪くて、耐えられなくなった私は遂にそれを体外へ放出する。
「ウ˝ッ……ウ˝ッ、ウ˝ォエ˝ェ˝ェぇ――――」
我慢ならず、私は嘔吐する。
胃から食道を通り、酸っぱい酸が口から吐き出された。口内が胃酸に塗れて渋みを感じ、この上なく気分が悪い。
「ッベァ……ハァ、ハァ……ウ˝ッっ――ォウ˝ェ˝ェ……!」
更に、その波は一度では収まらず幾たびに渡って私を襲う。
嘔吐いて、吐いて、また嘔吐く……ふらふらと足元がおぼつかなくなって、私は遂に立っていることすらままならなくなった。
「ハァ、ハァ、ハァ……――――」
そうして、ひとしきりに苦しんだ後私はよれよれと街の建物の壁に寄りかかる。吐いたことで体内にあった水分と酸素を激しく消耗し、再び脳の働きが混濁し始めた。視界がぐにゃぐにゃに曲がって、泳いで、上下すらもわからない。もう、休ませてほしい。
……そう思った私は、またしてもホーロスの街中……西門の近くにて、再び意識を失ったのだった。




