第七部 〜信用銭騒動〜
享保十三年・六月。
江戸の北、浅草寺門前の市にて、幕府公認の“信用銭”流通試験が始まった。
これは清水久志の提案による、日本初となる「貨幣の信頼性」に基づいた流通制度の試みである。
銀銭一枚=信用銭十枚というレートのもと、小売商を中心に十数店舗が協力に応じた。
久志は、緊張した面持ちで店主たちに頭を下げていた。
「どうか、この新しい貨幣が“物のやりとりを簡潔にし、人をつなぐ”ものになることを、信じてください」
町人たちは最初こそ戸惑いながらも、久志の誠意と丁寧な説明、そして藤嶋の後ろ盾により、試みに参加する決意を示した。
だが、その“順調さ”は、長くは続かなかった。
三日目の午後。浅草市の中心部。
「おい、この“信用銭”じゃ、仕入れができねえってさ!」
「うちもだ! 卸問屋が受け取らねえ!」
「これは……偽銭じゃねぇのか!?」
市場に怒号が飛び交った。
久志が急行すると、場内の混乱はすでに始まっていた。
「久志様! 問屋側が突如、信用銭の受取を拒否ししやがって……!」
「何だって!? 話は通してあるはず……!」
焦りながら久志が各所を回ると、なんと三つの問屋が同時に信用銭の受け入れを“自主的に停止”していた。
その場に居合わせたある商人が叫ぶ。
「これじゃ、うちは紙切れを掴まされたのと同じだ!誰が責任を取るんだ!?」
怒りは瞬く間に広がり、騒ぎを聞きつけた浪人たちまでもが割って入る。
「幕府が金をごまかしておると聞いたぞ!」
「また新たな年貢の一環か、ええ!?」
群衆の怒りが暴徒化しそうになったその時——
「そこまで!」
響いたのは、原田利久の声だった。
彼は役人を引き連れて現れ、人々の前に立つ。
「これは試験運用である。万が一、損が出た場合は、幕府が責任をもって補償する。……この場を荒らすことは、国を荒らすことと知れ!」
静まり返った空気の中、久志は顔をしかめていた。
「……おかしい。これは、偶然じゃない」
夜。原田家の書斎。
久志は机の上に広げた地図と帳簿をにらみつけていた。
「問題が起きた三つの問屋……全て、同じ人物が“後見”に入っていた」
原田もその名を見て、眉をひそめた。
「……嶋岡源十郎」
「彼は藤嶋さんの部下だった人ですよね?」
「かつてはな。だが、近年は稲葉側に傾いていたとも聞く……」
久志は拳を握りしめる。
「……嶋岡が仕組んだ。信用銭の信用を潰すために」
原田は頷き、静かに言った。
「……敵は、貴殿が“理屈”だけでなく、“実績”を得ることを恐れている。ゆえに、ここで潰しにきたのだ」
「けど……」
久志は天井を見上げ、呟いた。
「失敗したのは、僕の責任だ。制度を作っただけで、信用を“守る仕組み”が足りなかった」
原田がゆっくりと言葉を返す。
「ならば、今からでも作るがよい。“守る仕組み”とは、民の信と、制度の補強と、何より——」
「……味方の絆」
「そうだ」
その夜遅く。
藤嶋邸の密室にて、久志・原田・藤嶋が集い、対策会議が行われた。
「信用銭そのものの価値が否定されたわけではない。問題は、“それを保証する信用”が破られたことにある」
藤嶋は、かすかに目を細めて言った。
「ならば、保証する仕組みを一歩進めよう。幕府による“信用銭預証状”の発行だ」
「預証状……?」
久志が目を見開く。
「そうだ。市中で信用銭を受け取った者が、それを幕府に持ち込めば、銀銭や米など実物資産に交換できると証明する書付。つまり——」
「“信用の保証書”!」
藤嶋は頷いた。
「これを発行すれば、たとえ敵が流通を揺るがしても、幕府自らが“信”を示すことになる」
久志の顔に、決意の光が宿った。
「……次こそ、本当の勝負ですね」
「うむ。敵はまた仕掛けてくる。だが……負けるな、清水久志。これは、そなたにしか出来ぬ改革だ」
そして三人は、江戸を変えるための次なる一手を打ち出す——。




