第四部 命を狙われた未来人―黒幕の影
江戸の夜——。
霧が濃く立ち込める裏長屋の一隅。
仄暗き灯りの下、黒装束に身を包んだ男たちが、声を潜めて寄り合っていた。
「……標的の名は、清水久志。近頃、勘定方・原田殿の屋敷に頻繁に出入りしておる、不審の男じゃ」
「異国の間者にて候、との噂にござる。奇妙なる智恵にて幕政を操っておるやに聞き及びました」
「構わぬ。上意は下された。“始末いたせ”——とな」
黒衣の男たちは、短刀と暗器を確かめ、夜の帳の中へと紛れ消えた。
——同刻、原田家。
深更の刻、久志は書斎に灯をともし、硯を前に筆を走らせていた。
町人と結託した通貨流通の実験、年貢の米から貨幣への移行計画——その一つひとつを、紙上に緻密に描いてゆく。
「……果たして、我が如き者に……世を変えるなど、成し得るのか……」
独り言のごとく、己が心に問いかける久志。
その刹那、微かなる気配が、外より忍び寄った。
「……誰か、居るのか?」
筆を止め、静かに耳を澄ます。
障子越し、月明かりが射し込む庭先にて、音もなく忍び寄る影。
——バンッ!!
突如、障子が蹴破られ、闇の刺客が躍り込んだ!
「清水久志! 命、頂戴つかまつる!」
咄嗟に衝立を蹴倒し、後方へと転がる久志。机の硯などを手当たり次第に投げつけ、間合いを取る!
「な、何者だ貴様らっ……!」
「黙れ。未来より来たなどと……戯れ言はここで終いじゃ」
——そのとき。
「久志殿、伏せられよっ!!」
奥の座敷より飛び込んだのは、原田利久。鋭き抜き身の太刀を手に、刺客の刃を払い除ける!
「原田、殿っ……!」
「小雪、佐吉、とみえを頼む! 屋敷の者ども、皆、退がれっ!」
もはや迷いなど微塵もなく、原田はもう一人の刺客に目を据え、太刀を構え直す。
「“幕政を乱す者”と申すか。笑止……それで人を斬る理が立つとでも?」
刺客は口の端を吊り上げる。
「夢物語を語る者こそ、江戸に害あって益なしよ!」
原田と黒衣の刺客との剣戟―
鋼が鋼を裂く音が響く中、久志は身を伏せながら叫ぶ。
「私の知識が……そんなに都合が悪いのかっ!?」
その声に、一人の刺客が冷ややかに振り返った。
「——知恵が“過ぎておる”のが、困るのだ」
刹那。原田の太刀が閃き、刺客の喉元をかすめた。
「ぐっ……!」
一歩退いた刺客、仲間と目を交わし、懐より煙玉を投げつける!
「……退くぞ!」
白煙が屋敷を包み、その中へと黒衣の影は霧のごとく消えていった。
やがて——静寂。
怯える小雪が久志の無事を確かめ、佐吉が静かに戸を閉める。とみえが震えながら問うた。
「まことに……狙われておるのですか、清水様……?」
久志は、破れた書状を手にしたまま、しばし黙し、やがて低く頷いた。
「……ああ。もはや戯れではない。命のやりとりだ」
原田が正座し直し、真顔で語りかける。
「久志殿。貴殿の提案、まさに幕府を揺るがす一大事にて候。しかし、それを面白からぬ者もまた、数多くおる。やがて藤嶋殿すら、老中らの疑念に晒されましょう」
久志は拳をぎゅっと握り締めた。
「それでも、引きはしません。私は……このために、時を超えたのですから」
原田はふっと目を細め、静かに頷いた。
「……ならば、この命賭して、貴殿をお守り仕る」
その言葉に、小雪も、とみえも、佐吉も、黙って深く頭を垂れた。
——翌朝。江戸城・老中屋敷。
稲葉和泉守正親の前に、黒衣の使者が膝をつく。
「……申し訳ありませぬ。清水久志、逃しました」
稲葉は扇を手に静かに立ち上がり、障子越しに庭の朝露を見つめた。
「……成る程。噂に違わぬ曲者よのう、未来人とやらは」
扇をひらりと開き、口元に微笑を浮かべる。
「よかろう。ならば今度は、“幕府そのもの”を用いるとしようぞ」
「奴を潰すには、仲間の“信”を奪うが一番よ……」
——久志の改革。その裏で、もう一つの刃が静かに研がれていた。
第二の刺客——それは、「疑念」という名の毒であった。