第三部 〜新しき秩序への誓い〜
三日後——
江戸城西の丸。勘定方奉行頭・藤嶋時頼のもとへ、原田利久と清水久志が再び現れた。
藤嶋は巻物に目を通しつつ、顔を上げずに言った。
「……持ってきたか」
「はい。久志殿がまとめた提案、こちらに」
原田が差し出したのは、分厚い文書だった。和紙の上には、整然と筆書きされた文字と、数多の図表、貨幣の流通経路を表す模式図まで添えられている。
藤嶋はそれを手に取り、しばし沈黙。
やがて視線をあげ、じっと久志を見据えた。
「……“貨幣発行量の統制”か」
「はい」と久志はうなずいた。
「現在、幕府は金・銀・銭と三種類の貨幣を発行していますが、それぞれの価値が市場で異なり、物価も不安定です。これを統一し、流通量を調整すれば、物価の安定と信頼回復につながります」
藤嶋は目を細めた。
「ふむ……しかし、それは民の不信を招かぬか。銭の価値が変われば、蓄えを失う者も出よう」
「ですから、段階的に行います。まずは新たな貨幣“信用銭”を導入し、物々交換と併用しつつ、旧貨幣を徐々に回収する」
久志は、手元の資料を広げながら続けた。
「さらに、徴税の基準を米からこの“信用銭”へ切り替えれば、農村の過度な負担も緩和できます。税の支払いが柔軟になり、商人も農民も動きやすくなる」
家臣たちの間に再びざわめきが走った。
「米を軸とせぬ財政運営など、戯言だ……!」
「通貨をいじるなど、百姓の反発は免れぬ……!」
だが、藤嶋は手を振って静めた。そして久志をじっと見つめ、静かに問う。
「……もし、これを実行すれば、我らは多くの敵をつくるだろう。老中たちも、旗本も、商人も。清水久志、お主にはその矢面に立つ覚悟があるのか」
久志は一瞬だけ息を呑んだが、すぐに力強く頷いた。
「……はい。たとえ誰に憎まれても、この国の未来のために、私は戦います」
藤嶋は長く深い息を吐いた。
「……よかろう。まずは“信用銭”導入の試案を、私より老中に提出しよう。だが——」
彼は眼光鋭く言い放つ。
「その途上、お主はあらゆる妨害を受けることになる。それでも進むならば、私が盾となろう」
久志の背筋が、自然と伸びた。
「ありがとうございます……!」
原田も黙ってうなずいた。
その瞬間、久志はようやく“この時代の仲間”を得たのだ。
その夜、原田家の書斎。
「……ついに、始まったな」
「はい。でも、ここからが本当の勝負です」
久志は火鉢の火を見つめながら呟いた。
背後で小雪が、そっと湯呑を差し出した。
「どうか、ご無事でありますように……」
「ありがとう」
久志は湯呑を受け取り、ほのかに微笑んだ。
だがその笑顔の奥には、決意の炎が静かに燃えていた。
——その頃、幕閣の奥深く。
「ふむ……“信用銭”など、愚かな思いつきだ」
声を発したのは、老中の一人、稲葉和泉守正親。かつて藤嶋時頼と激しく対立した男である。
「清水という怪しい者を持ち上げ、幕政を乱すか。……潰すしかあるまいな」
稲葉の周囲には、影のようにうごめく者たちがいた。
「刺客を放て。久志とかいう男、消してしまえ」
——久志が知らぬところで、命を狙う者たちの影が動き始めていた。