第二部 〜覚悟〜
翌朝——
江戸城西の丸。勘定方奉行頭・藤嶋時頼の執務室。
厳しい眼差しを持つ藤嶋が、机の前に座していた。周囲に控える家臣たちも、その視線の先を固唾を飲んで見守っている。
障子がすっと開き、原田利久が一礼して入った。
「藤嶋殿。例の男をお連れいたしました」
「よい、通せ」
原田の合図で、久志が入室する。和装に着替えたものの、所作にはまだぎこちなさが残る。だが、久志の目には恐れよりも強い意志が宿っていた。
藤嶋はしばし彼を見据えたのち、低く問いかけた。
「……異国の者か?」
「いえ。私は日本の者です。……ただ、未来の、ですが」
「ふん、未来とはまた……与太か、あるいは狂人か」
「お疑いはごもっとも。しかし私は、未来の経済学という学問の徒です。江戸の財政を救う知識が、私にはあります」
家臣たちがざわついた。だが藤嶋は静かに手を上げ、言葉を続けさせた。
「ほう。では、聞こう。どうやって、この幕府の赤字を立て直すつもりか」
久志は一歩前へ出て、深く一礼する。
「お許しあらば、まずは現状の帳簿と決算書を見せていただければ、問題の所在を明らかにできます。そして、財源の再設計、流通制度の整備、さらには——」
「待て」
藤嶋の声が鋭く割り込んだ。
「それは理屈の上では可能かもしれぬ。だが、この江戸には"人の感情"という不確定要素がある。百姓、町人、武士、幕閣。改革とは、彼らすべてを敵に回すことでもある。命を賭す覚悟が、お主にあるか?」
久志はわずかに沈黙したのち、静かに頷いた。
「……覚悟は、とうに決めております。もし、ここで沈黙すれば、未来の人々にも顔向けできません」
藤嶋の眉がわずかに上がった。
「未来の人々、か……面白いことを申す」
その瞬間、何かが変わった。
藤嶋の瞳に、久志へのほんのわずかな"信"が宿る。
「原田。帳簿をこの者に見せよ。そして、改めて問う。三日で案を一つ持ってこい。……それが使えるものであれば、我が推挙しよう」
「はっ。御意にございます」
久志も深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。全力を尽くします」
その夜——原田家書斎
帳簿や文書の山を前に、久志は筆を走らせていた。数字の乱れ、帳簿の不備、非効率な徴税制度……どれも、現代の目から見れば穴だらけだった。
「これは……絵に描いたような財政破綻前夜だな……」
背後で茶を淹れていた小雪が、心配そうに声をかけた。
「清水様。ご無理はなさらずに……」
「いえ、大丈夫です。やらなければならない。これが僕に与えられた使命かもしれないから」
久志の言葉に、小雪は小さく微笑んだ。
「……あなたの目には、不思議な光があります。未来を見ている目ですね」
「……そうかもしれません」
久志は静かに頷いた。
「けど、僕が見たい未来は……この江戸が崩れずに、生き延びる未来です」
その瞳に宿る光は、次第に確信へと変わっていく。
——三日後、久志が持ち込む案は、やがて江戸の財政を根底から揺るがす第一歩となる