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侯爵令嬢の内緒の特技


 それから数日後。そろそろ日付も変わろうという深夜である。

 コンスタンスは、貴族街のとある屋敷の塀のそばにいた。

 いつものドレス姿とは裏腹に、黒ずくめの、ぴったりとした衣装をまとっており、母親譲りの美しい銀髪もきっちりまとめて被り物に押し込んだ。

「じゃ、手はず通りに」

 乗ってきた馬ともう一頭の手綱を持つ、『庭師』のトム爺に声を掛ける。

 人通りがないことを確認して、塀を乗り越えた。


 この屋敷は、くだんの悪い噂のあったご令嬢のいる、ファロン伯爵家のものだ。

 まずは庭から建物を観察する。表門の裏側には門番の詰め所のような一角があったが、無人だった。不用心だなあ、と自分を棚に上げて考える。

 入り口から見て左手に大きな木があり、バルコニーに枝がかかっている。

「(あった。あの部屋だ)」




     *




 その日の昼間、例の釣書の相手とのお見合いの席で。

「以前の婚約者とは、どのような?」

 ……およそお見合いで発することのないような質問である。……いや、よほどの訳ありならあり得るかもしれないが……。

 そんな不躾な問いかけをしたコンスタンスに、フィンドレイ伯爵家の三男坊は悲しそうに微笑んで、フローレンス嬢との様々な思い出を教えてくれた。

 幼い頃はとても仲良くしていたこと、母君が病に倒れてから笑顔が少なくなり、ついに天に召された後は二人で会うことも叶わなくなったこと。


「二人で会えない、とは?」

「父君がすぐに後妻の方をお迎えになってね」

 出た、継母。

「その連れ子という……フローレンスには義妹に当たるのかな、が、常に同席するようになったんだよ」

 非常識な話である。だがそれも昨年までのこと。

 今年に入ってからはいつ行っても本人には会えなくなり、義妹だけが出てくる有様になってしまったので、訪れをやめた。

「体調がすぐれないなら見舞いをさせてくれと言っても、結婚前に男を令嬢の私室に入れることは出来ない、の一点張りでね。おかしいよな、母君が亡くなられるまではどの部屋にも自由に出入りさせてもらっていたのに」

 未来の婿として親しく扱われていたのが、うって変わってこうである。

「何度、窓を破って侵入しようと思ったことか」

「令嬢のお部屋が一階に? 珍しいですわね」

「いや、二階だけどね。庭に大きな木があって、彼女の部屋のバルコニーまで枝が伸びているんだ。二人で駆け回っていた頃に途中までのぼってね……メイドに見つかって、母君に雷を落とされたっけ」

「仲睦まじくしてらしたのね」

 言外に、ではなぜ、婚約破棄を? との問いを含ませてみる。

「……まあ、そんなことが続いているうちに、うちの爺様の耳に入ってね」

「法務大臣を務めておられる?」

「うん。曲がったことが大嫌いな人でね。先方を問い質したんだ」

 そうしたら、『長女は病弱で心根も悪く、代わりに次女をどうか』などとふざけた返事がきたという。

「爺様はかんかん」

 即座に破談と相成ったらしい。




     *




 さて、深夜の伯爵家である。


 コンスタンスはバルコニーの手すりにロープを引っかけ、するするとのぼった。

 バルコニーの出入り口は、両開きの大きなガラス窓になっている。施錠はしてあったが、この程度たいした障害ではない。

 数秒で突破し、そっと部屋に滑り込む。

 ……人の気配はない。そして、一歩踏み入った途端に違和感を覚えた。

 年頃の令嬢の部屋にしては、物も少なく、がらんとしすぎだ。カーテンも古くさい。

 家具も最低限に満たず、かろうじて寝台はあるが……。

「(固い掛け物が乗せられているだけ──)」

 とても人が生活しているような様子がない。

「(部屋を間違えた? それとも、既に彼女は)」


 その時、家の中のどこかからギッと蝶番のきしむ音がした。

 コンスタンスはすっと扉に身を寄せて、気配を探る。




 足音は屋根裏のほうから、使用人の階段を使って階下に向かった。そっと時間を開けて追うと、一階の厨房から明かりが漏れている。

 扉は半開きのままだ。閉めるときに音を立てるのを避けたのだろう。ありがたく覗かせてもらう。

 厨房の中では、粗末なワンピースを着た小柄な娘が、戸棚や鍋の前で何かごそごそとしている。やがて作業台に出したものを置くと、立ったまま「いただきます」とつぶやいてカトラリーを手にとった。

「(食べ物だったのね)」

 コンスタンスの方からは横顔が見えている。

 仕事が長引いて、夕食を食いっぱぐれた使用人だろうか?

 それにしては姿勢もよく、カトラリーを扱う手つきもしっかりしている。

「(……もしかして!)」

 頭の後ろで一つ結びにしている髪は、腰ぐらいまでありそうだ。あそこまで伸ばすには時間も手間もかかったことだろう。

 他に気配がないか探る。大丈夫そうだ。半開きの扉を引き開け、すばやく部屋に滑り込んだ。

「ごきげんよう」


 少女はパンを手にしたまま、目をまん丸にして固まっている。さもありなん。

「お食事のさなかに失礼。そのままお続けになって」

 促してみたが、首を横に振られた。

「……い、いえ……」

「そりゃそうか。えっと、お初にお目にかかりますわ、フルーセル侯爵家の者ですの。ご存知でいらっしゃる?」

「……ええ、ご家名を聞いたことなら……」

 今度は首を縦に振ってくれる。

「まあ、話が早くて助かりますわ。それで、あなたは……フローレンス様、ね?」

 パンが卓の上に、ぽとり、と落ちた。


 推定フローレンス嬢は、フィンドレイ伯爵家の三男に話を聞いた、と告げるとすぐに落ち着きを取り戻した。

 このようなこそこそとした食事をとっているならば大声を上げて騒ぎにしたりはしたくないだろう、と目論んではいたが、さすがである。

「伊達にファロン女伯ではおられませんわね」

「そんなことまで……」

「あら、貴族年鑑に目を通していれば、誰にでも分かることですわよ」

 怪しい格好の小娘にこんなことを言われて、説得力があるのかどうかは未知数だったが、フローレンスは納得してくれたようだった。


 そう、法務大臣の怒りを買ったのは、何も猫の子をやるように上がダメだから下はどうか、と言ったからだけではない。

 そもそもファロン伯爵家の当主は亡母だった。当然、継承権はその娘にのみある。

 伯爵家からすれば他人である父親や後妻、さらにはその連れ子がどうこうできる話ではないのだ。

 さらには婿入りするはずだった三男坊の相手をすげ替えるなど、王国法や貴族の相続についてきちんとした知識があれば、とうてい受け入れられるはずもないのである。


「まあ、そんなお話になっていたのですか……」

 コンスタンスから詳細を聞いたフローレンスは呆れかえっていた。なんでも、義妹から婚約者さまに捨てられたなどと吹き込まれていたが、だいぶ事実をゆがめて教えられていたそうである。

「ええ。フローレンス様は……使用人部屋から下りてこられたようにお見受けしましたけど、御身に危害などは加えられていませんか?」

 母親が亡くなって自動的に女伯の立場となっているはずの少女は苦笑した。

「まあ多少は。ただ、使用人が陰から助けてくれますし、立ち回りを工夫したりして何とかやりすごしております」

 そう言うと、服の下から首に下げていたものを取り出した。当主の正式な書簡に封蝋するための印だ。

「これだけは守れと、母の教えですの。取り上げられそうにもなりましたが、領地運営に関わる雑用をすべてやるからと言いくるめて手元に残すことができました」


 領地を預かる家令は母の代からの忠義者だという。屋敷の上級使用人は父親や継母が都合よく扱える者に置き換わっているが、領地を田舎と蔑む彼らの魔の手はそちらには及ばなかったようだ。

 運営に関わること以外は彼らの言うように諾々と押印しているおかげもあって、まだ取り上げられてはいない。使用人の半分もこちらの味方だった。

「それでも、表立って助けてもらえば使用人に折檻がされますし、外部の(かた)に助けを求めようにも、どちらに訴え出ればいいのか心当たりもなくて……」

 そう感じても仕方ないだろう。実際、法務大臣を務める婚約者の家でさえ、婚約破棄という道をとったのだ。


「でも、このようなこと、いつまでも続けられるはずがありません。私のデビュタントは母の喪中ということにして繰り延べたようですが、何度もその手を使うわけにはまいりませんもの。いずれ王家の方にでも怪しまれれば、それでおしまいです」

 そう言うとフローレンスはにっこり笑った。話題に似つかわしくない完璧な笑顔の前で、コンスタンスは悟っていた。


──ああ、だからあの釣書が我が家に来たのか。


 大きく息を吸って、吐く。

「……わかりました。今のお話を、書面にしていただくことは可能ですか? ああ、多少の証拠書類もあると、なおよろしいわ」

「え?」

 怪訝そうにするフローレンスに、こちらも笑い返した。

「わたくし、王族の方々とはちょっとした顔見知りで。特別に『おじさま』と呼ぶことを許されておりますの」

 影としての役得である。

 いや、フランクすぎる呼び方については、母親が皇女であることの特典のようなものだったが。


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