ガーデンパーティーでの遭遇
翌週。ブレイダムの一行の到着を受けて、予定通り王太子ジュリアンの名で歓迎会が開かれた。
王宮の庭を開放しての、若い貴族男女を集めたガーデンパーティーである。
コンスタンスは、会場の一角にいた。
階級順に案内されたため、コンスタンスがいるのは高位の子女が集まっているエリアである。
アンナやオリヴァーはもっと下座のほうに離れている。
さきほど、ジュリアンから紹介があったばかりのブレイダムの面々を観察してみる。
茶色い髪の若者が、先頭に立ってジュリアンと会話をかわしている。彼がリヒャルト卿ということだ。
彼と同じくらいの身なりの青年が一人、あとは従者よりはちょっと高級くらいの服装をした者が四人ほどいる。男爵や騎士の子息だろうか。
そんなところかと当たりを付けていると、誰かが近づいてくる気配がした。
「コンスタンスさん、ご機嫌よう」
アデルだ。ビアンカも一緒にいる。
「ご機嫌よう。お二人とも、今日のドレスも素敵ですわね」
二人とも昼のパーティーに合わせて露出は少なめだが、アデルのほうはリボンをバラの花の形にして縫い付けた、美しい赤のドレスだ。ビアンカにはクリーム色の、装飾が少なめのドレスが長身によく似合っている。
「ありがとう。コンスタンスさんもきれいだよ」
さらっとビアンカが褒め返してくれる。コンスタンスの今日のドレスは、薄い水色の布地をふんだんに使った、ドレープが多めの一着だ。
デビュー前で、本来はこのような席に出られる立場ではないので、格好だけでも大人っぽく仕上げてみた。
「ありがとうございます」
お礼を言って微笑みを交わす。
……と、アデルが表情を引き締めてささやいてきた。
「コンスタンスさん、小耳に挟んだのだけど……」
アデルは侯爵家の令嬢である。父親の役職も国の上層部になるから、ブレイダムの一行の本当の目的も耳に入っているのだろう。
「……まあ。いたずらにお耳汚ししてしまいましたわね。でも、ご心配には及びませんわ」
コンスタンスは安心させるよう、にっこり笑って頷いてみせた。
アデルはほっとしたようで頷き返してくれる。
ビアンカは、王太子と声を交わしている、ブレイダムからの若者を気にしているようだ。
「あの青年……」
「リヒャルト卿?」
「そう。かなりの遣い手だね、彼は」
へえ、とコンスタンスは感心した。
遣い手だという青年、それとビアンカの武人らしい観察眼の両方に。
そこに、もう一人少女が近寄ってくる。
先日知り合った、聖女見習いのヘレナだ。
「あら。ご機嫌よう、ヘレナさん」
「ご機嫌よう」
「やあ。しばらくぶりだね」
コンスタンスたちが口々に挨拶すると、ヘレナは軽く礼をとった。
「ご機嫌よう、皆様。コンスタンス様、先日は大変お世話になりました」
わざわざ感謝を伝えに来てくれたらしい。
「まあ、お気になさらなくてよろしいのに。その後、お勉強は順調でいらっしゃるの?」
「はい、おかげさまで。シルヴィア様にも大変よくしていただいて、お礼は言葉では言い表せません」
ヘレナは現在、王城で『加護』の専門家から講義を受けているそうだ。
かつて、コンスタンスの母、シルヴィアも師事した教師だという。
「何もかも新しく知ることばかりで、難しくはありますが、やりがいも感じております」
「それは何よりですわ」
少女たちが、微笑みあったその時。
「────不味い! 不味いな、おい。ネコのしょんべんか、このワインは?」
すぐそばで、がなりたてる男の声が響いた。ヘレナが身をすくめる。
振り返ると、ブレイダムの一行の中でも下位の衣装を着た男が、赤ワインのグラスを片手に悪態をついていた。
あたりをきょろきょろ見回した男と目が合ってしまったコンスタンスは、さりげなくヘレナをかばえる場所に立ち位置を移す。
男はコンスタンスを標的として、罵倒を続ける。
「おい、女。アルベリアってのは、どんだけ田舎もんの国だ? こんなもんを客に出して平気かよ。ブレイダムじゃこんな酒、農民でも呑まねえよ」
そんなはずはない。今日用意されているのは、それこそブレイダムや帝国にも輸出されている、最高級のワインだ。
まあ、コンスタンスは未成年なので、まだ飲んだことはないのだが。
──というような反論をぐっとこらえて、コンスタンスは貴族的な微笑を作った。
「あら、そうでしたの。お口に合わず残念ですわ」
「ああん?」
「よろしければ、お国の方がお持ちになった、スパークリングワインもございますわ。そちらをご用意させましょうか?」
近くで固唾を飲んで見守っていた給仕に目配せする。
ちょうどその盆の上に、ブレイダムの一行が手土産として持参したスパークリングワインが載っていた。
「はっ、ただいま……」
「ハァ? 何だって?」
近寄ろうとした給仕を男は一睨みで立ち竦ませ、コンスタンスに視線を戻した。
「じゃあこいつはどうする? 責任とって、てめえが飲むんだな?」
そう言って、グラスを持った手を大きく動かした。
赤ワインが大きく波打つ。コンスタンスに引っ掛けようとしているのだ。
とっさに、様々な計算が脳裏をかけめぐった。
このドレスだと、赤ワインの染みは目立つな、とか。
避けるのは簡単だけど、そうするとヘレナにかかるな、とか。
むしろ被りにいって、それを口実に破談にする手もあるのでは? とか。
ヘレナとアデルが悲鳴を上げようとしている気配がする。
ビアンカはやはり武人らしく、コンスタンスの腕を引いてかばおうとしてくれている。
いや、やっぱりここは被っておこう──
──そう一瞬で決断したコンスタンスの視界に、黒いものがひらめいた。
「おっと」
そんな気の抜けた声と共に、グラスは現れた男の手にすくい上げられた。
ワインは一滴もこぼれていない。
「!?」
「……オリヴァー!?」
下座にいたはずのオリヴァーである。
今日はいつもの従僕の服ではなく、下位ながら貴族の次期当主としての衣装に身を包んでいた。
右手にまだ水面が揺れる赤ワインのグラスを悠々と収め、左手にはどこから調達したのか、スパークリングワインのグラスを持っている。
そして、そちらをブレイダムの男に押しつけた。
「どうぞ。お口に合うとよろしいのですが。……こちらは、私がいただいておきますね」
余裕綽々のオリヴァーの笑みを見て、コンスタンスはあっこれ火に油ってやつでは、と察した。
「貴様……!」
案の定、男はグラスを受け取らずに激高しかける。
しかし。
「失礼。連れが少々酔ってしまったようで」
彼の後ろからもう一人の青年が現れ、その肩をつかんだ。
リヒャルトである。
そのまま男の耳元に口を近づけ、何かをささやいた。
「……!」
男は憤怒の表情のまま、それでも押し黙った。そして。
「興が削がれた! 俺は先に帰るぞ!」
リヒャルトを置いて、踵を返してしまった。
残された青年も苦笑して会釈し、後を追う。
「……コンスタンスさん、大丈夫でした!?」
アデルが血相を変えて心配してくれる。まずはそれをなだめねば。
「大丈夫ですわ、この通り。染み一つありません。……ビアンカさん、かばおうとしてくださってありがとうございました」
「いや、私は何もしていないよ。彼のおかげだ」
その視線の先で、オリヴァーが二つのグラスを給仕に返していた。
「ヘレナさんも、驚かせてしまってごめんなさいね」
「いえ、コンスタンス様のせいでは……。……というか、あの方」
「?」
「ネコの……とおっしゃってましたが、飲んだことあるのかしら?」
くすっ。
その発言に、周囲も含め、緊張が一気に和らいでいく。
「……確かに!」
「そうでなくてはどんな味か、わからないものなあ」
「言われてみれば、そうですわね……」
ヘレナもなかなか剛胆なところがあるなあ、とコンスタンスは新たな発見をした。
……さて。
コンスタンスは三人をおいて、襟を直しているオリヴァーの元に近寄った。
「ありがとう、助かった」
「いえ。……間に合ってようございました」
この目つきは、コンスタンスがワインを被ろうとしたのを見抜いている……。
ひやっとして首をすくめた。
ふと思いついて、別のことを言う。
「……『今は騒ぎを起こすときではありません』って言ってたよね?」
「ええ」
男にささやいた、リヒャルトの唇の動きである。
オリヴァーの距離と聴力ならば、はっきり聞こえたことだろう。
「『今は』……ねえ。それに、あの言葉遣い……」
「……まあ、さっきのが『彼』でしょうね」
「……ええ」
母から聞いていた、第三王子の振る舞いそのままである。
「手の届く範囲に来てくれたのは、好都合でもあるけどね」
リヒャルト卿の従者として潜入した、第三王子その人を相手にすることになりそうだ。
……ところで。
いつもと服装が違うオリヴァーは、それなりに新鮮である。
日頃は着ないモーニングコートは洗練されて見えるし、トラウザーズやウェストコートとのコーディネートも様になっている。
「…………」
ついじろじろ見ていると、腹から嫌そうな声を出された。
「何ですか……」
「……え? ううん?」
じゃあね、と笑顔を作ったコンスタンスは足取りも軽やかに友人たちのところへ戻っていった。
「…………だから嫌だったんだ……」
揺れる水色のドレスを見送った、そんなオリヴァーの口の中でのつぶやきを、耳にすることないまま。




