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侯爵家の食えない皆さん

「お帰りなさいませ、お嬢様」

「あら、お帰りなさい」


 執事と母の声が重なった。二人は玄関ホールで飾り付けか何かの相談をしていたようだ。

 家用の比較的地味なドレスを着ている母は、それでも今日も輝いている。コンスタンスと似た容姿だが、銀の髪と睫毛は豪奢にカールしていた。

 母国では高貴な身ながら、若き日、海外赴任中の父と大恋愛の末この国に単身嫁いだという、見た目に似合わずなのか、その通りなのかいまいち判別のつかない武勇伝を持った母である。


「首尾はどうでした?」

 首尾。……首尾かー。

 コンスタンスは肩をすくめる。


「まあ、(わたし)はともかく。先方は十分に勝算がおありのようでしたよ」

「あらまあ、そうなの。ふふふ」

 母までこれである。例の『二つ名』は、どうやらだいぶ広まっている。……先に教えてほしかったなあ。


 半笑いになっていることを自覚しつつ、傍らに控えている男に声をかけた。

「オリヴァー。()()()の勝算じゃなく、彼の勝算だからね」

「心得ております、お嬢様」

 慇懃に礼をするのはいつぞやの従僕だった。


「まったく、お嬢様は愚息などよりよほどしっかりしておられる。こやつのほうが四歳も上とはとても思えませんな」

 などと言いつつ完全に声が笑い含みなのは、彼の父親でもある執事だ。

「……あなたもオリヴァーみたいに、『もう少し子供でいてもいいのに』、とか言うつもり?」

「いえいえ、そんなことは」

 

 じと目で見やれば否定されるが、その含み笑いは本当に息子にそっくりだ。髪こそ白髪が目立ち始めているが、傾きかけた陽の光が入り込んで煌めく、その緑色の瞳も。

 はぁー。コンスタンスは大きく息を吐いて、腰の両側に手を当てた。居丈高に言ってやる。


「ウェルトン公爵家のご令嬢と一緒だよ。これでも跡取り娘だからね。

 早いとこ立場を固めて、家のことをもっと勉強したいんだ。

 婿ぐらい捕まえられるようでなきゃ、お祖父様やお父様も、お前たちも安心できないでしょう?」


「そうなの、ふふふ」

 従僕は賢明にも沈黙を守り、大人たちは肯定も否定もせずに笑った。

 なんだかついさっきの自分たちのようだな、なんて思ってしまい、コンスタンスも一緒になって苦笑するのだった。

 



     *




 断りの知らせはそれからすぐだった。

 エリオット直筆の添え状には、世話になった()()()()()()のますますの発展およびコンスタンスの()()を祈る言葉と、次期公爵夫妻の盛大な結婚式には、ぜひパートナー同伴でいらしてください、と綴られていた。

  



     *




「逃がした魚は大きい、というやつかの?」


 侯爵家の応接間の一つ。家族の団らんにも使われる部屋で、四人の大人たちがグラスを傾けていた。

 髭を撫でながらつぶやいたのはこの場での最高齢、前侯爵だ。

 

「どうでしょう。コンスタンスもわかっていたようですよ、お相手がかなりの狸だということは」

 侯爵夫人はおっとりと微笑みながら、顔に似合わぬことを言う。慣れているのか周囲は平然としているが。


「それで躍起になって捕まえておこうというわけでもないのですから、お嬢様はあくまでもご自分の力で我々を掌握しよう、ということなのでしょうな」

 まるで家族の一員のように寛いでいるのは執事だ。……名をフルーセル子爵、ジェームス・ソーンフィールド。

 執事でありながらフルーセル侯爵家に関わりの深い分家の当主にして、家業の補佐役でもある。


「『家のことをしたい』だったか……。そんなに慌てることはないというのになあ、私が家業のことを朧げに知ったのは十五の時だったぞ」

 憂いを帯びた声でぼやくのは現侯爵。……この四人が、当代における国王から任じられた、諜報機関の元締めである。

 

 フルーセル侯爵家。非の打ち所のない、伝統と格式を体現したような貴族の正体は、代々この国の『影』を司る一族だった。……狸どころか魑魅魍魎の親玉だ。


「それは仕方がないかもしれませんわ。あの子のそばにはずっとオリヴァーがいましたもの」

 当然、コンスタンスには知らされなくても、四つ年上で実務担当予定のオリヴァーはだいぶ前から従僕修行と並行して特殊な訓練を受けている。今のコンスタンスの年よりも、もっと幼かった頃から。


 前侯爵が体を揺らして笑う。

「く、く、オリヴァーのう。過保護にも程があるが、あのやり方では伝わるまいに」

「伝えようとも思っていないのでしょう。誰に似てあんなへたれに育ったのやら」

「そのくせ妨害だけは一人前ときた。譲る気はないのではないか?」


 父親たちは揃って嘆く。どちらからともなく、空いたグラスにおかわりを注ぎあって、チンと合わせ、そのまま煽った。

 影とて暇ではない。いくら将来の上司の縁談といえど、毎回潰して回るような酔狂はしない。

 そろそろ両手の指の数にもなる、コンスタンスの当て馬縁結び武勇伝は、……実のところたった一人の諜報員見習いの手によってなされていた。

 

 やけ酒の様相を呈してきた夫たちを尻目に、侯爵夫人はナッツをつまみつつ思い返す。

「本当に、お相手候補を選別する時点でそれらしき人物を残す情報収集能力、顔合わせが決まった途端迅速に元の恋人との話をまとめ上げる交渉の手腕、果ては『武勇伝』を広める情報操作能力、すべてが及第点なのですけれど。それを自分の足場固めに使うどころか、問題の先送りに全力でつぎ込むなんてねぇ」


「ソーンフィールドから我が家に婿入りした者も、その逆もおるのになあ。何を躊躇っているのやら」

 実父のしみじみとした述懐に娘の結婚を仄めかされ、現侯爵は突然酒が酸っぱくなったような顔をしたが、やはり誰も気にしていなかった。


「もしかして、あの子が早く大人になりたい理由を知らないのかしら」

「お嬢様が? それは私も存じませんな」

 けろりとした声で執事が聞き返した。いくら痛飲したとしても、泥酔するような半端な鍛え方をしている者はここにはいない。


「うふふ、それはもちろん、ずっと隣にいた相手が急に自分を置いてきぼりにして大人になっちゃったからだわ。いっときのあの子のオリヴァーを見る目といったら、恨めしげで仕方なかったもの」


 ゴッ。侯爵の頭が卓に激突した音である。

 平然とくすくす笑う母親に反して、父親はなかなか回復が見込めそうにない。

「ほう。ほう……ということか、ふむ」

 祖父は髭をひねりつつ何か思いついたようだ。


「うむ、この際だ。皆、賭けでもせぬか?」

「賭けですか?」

 そうさな、と前侯爵は指を立てつつ並べた。

「オリヴァーが腹をくくるのが早いか、コンスタンスが魔の手をくぐり抜けるのが早いか。それとも」


「……コンスタンスがオリヴァーを捕まえるのが早いか?」


 ぶはっ。

 茶目っ気たっぷりに続けた侯爵夫人に、前侯爵と執事は揃って吹き出した。


「賭けになりませんな、奥様」

「そうじゃの。それは既定路線として、時期を賭ける形にするか」

「うう……」

 泥酔するはずもない夫のうめき声を背後に、かつて自国にやってきた外交官兼諜報員のもとに最終的に押しかけ嫁に来た元皇女様は、今でも仕事にだいぶ便利な傾城の微笑みを浮かべた。


「それも案外すぐじゃないかしら。だってコンスタンスは、私にそっくりですもの」

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