仕上げを御覧じろ
「パトリシア・クィントン! 言い渡すことがある!」
ここはガードナー家の広間、コンスタンスの誕生日の当日である。
王太子とその婚約者も到着し、いよいよダンスが始まろうかというときに、突如声を張り上げた青年は、並み居る招待客の注目を一身に浴びた。
「何事ですの?」
「王太子殿下もおられるというのに……」
ひそひそとささやきが交わされるフロアの一角で、ほくそ笑む男がいる。
──ペイトン侯爵家に入り込んでいた、あの工作員だ。
今日は身分を偽装し、ペイトン侯爵の遠縁にあたる末端貴族として招待状を手に入れ、パーティーに潜り込んでいた。
「(いいぞ、計画通りだ。そのまま『醜聞』を始めろ)」
……もし彼が、もう少し用心深い性格だったら、この時点で違和感を持てていたかもしれない。
「婚約破棄? お相手はいったい誰?」
「無関係な夜会でやらかすなんて、フルーセル侯爵家も迷惑をこうむったものだね」
多くの貴族たちの口ぶりが、まるでフィリップとコンスタンスの噂など耳に入っていないかのようだったことに……。
──ガードナー家によって、噂は本格的に上流階級の間で流れる前に、すっかり打ち消されていたのである。
ざわめきの中、すっとコンスタンスがフィリップに歩み寄る。
パーティーの主役が不心得者に物申すのか? 自然と周囲が静まる中、コンスタンスはフィリップに身を寄せると、何事かささやきかけた。
「────!」
フィリップは目を見開く。……ひとつ、強くうなずくと。
「──パトリシア、伝えたいことがある」
先ほどとは打って変わった、落ち着きのある声で呼びかけた。
その言葉に応えるように、茶色い髪の令嬢が進み出た。
「はい、なんでしょうか。フィリップ様」
あれがパトリシア嬢だよ、と周囲からひそひそ声がする。
フィリップは濁りのない瞳でまっすぐ婚約者と向かい合う。そして。
「パトリシア。私の力不足のせいで、不愉快な噂が耳に届いていたと思う。……君を裏切るようなことはしていないと誓えるが、そのような噂を許したこと自体が私の至らなさだ。にもかかわらず、君は何も言わずに私を信じてくれていた」
そこまで言うと、フィリップは深く頭を下げた。
「すまなかった、そして、ありがとう」
フロアはざわめいた。
「噂って、何のことですの?」
「さあ……」
「貴族男子が頭を下げるなんて、よほどのことだぞ」
頭を垂れるフィリップと対照的に、パトリシアはぴんと背を伸ばして立っていた。ふ、と令嬢らしいほほえみを浮かべ、口を開く。
「いいえ、フィリップ様。当然のことですわ」
お顔をお上げください、と促されたフィリップは、改めて婚約者に向き直った。
「そうか……、改めて、ありがとう。こんな私でもよければ、これからもそばにいてくれるだろうか」
「もちろん」
招待客たちは、いったい何が繰り広げられているのか今ひとつ理解できず、顔を見合わせあっていた。……そこに。
ぱち、ぱち。
拍手の音が響き渡った。コンスタンスである。
「素敵ですわ。お二人の新たな門出に立ち会えて、私も嬉しゅうございます」
満面の笑みを浮かべて拍手を続けるパーティーの主役の様子に、人々も、なんだかわからないけどなんとなくそうかな、という気分にさせられてきた。
誰かがホールの後ろの方で手を叩き始めた。すると、一人、また一人と拍手に参加する。
すぐにホールは万雷の拍手に包まれた。
「おめでとう!」
「よかったな」
などと、声まで飛んでいる。
一部始終を見ていた王太子は、傍らのパートナーに声をかけると、すっとその場を離れた。
仕事が待っているのだ。
*
おかしい。おかしい、おかしい!
男はホールを抜け出し、玄関へと急いでいた。
……ガードナー家の娘が近寄ってきたところまでは、確かに予定通りだった。
しかし、あの時だ。あの娘が何かをささやいてから、シナリオが狂ったのだ。
フィリップが予定にない行動をとった。何が起こっているかはわからないが、ガードナー家が絡んでいることは明らかだろう。
一刻も早く、この屋敷から脱出しなければならない。ペイトン侯爵家に残している女はどうしようか──。
廊下を早足で進む男の前に、ふっ、と人影が立ちふさがった。
屋敷の従僕のようだ。ならば、招待客である自分に手出しはできまい。
男は横柄に言い放った。
「どいてくれないか。急ぎの用があるのでね」
黒い髪の従僕は、眉一つ動かさずに言った。
「お急ぎの必要はございませんよ」
「は? な──」
何を言っている、と問い返そうとしたその瞬間。
鋭い衝撃。視界が揺れる。いや、己が倒れ込んだのだ。
「もうすべて──済んでおりますので」
その声を、天井を見上げながら聞いていた。
みぞおちに与えられた痛みのせいか、四肢が動かない。
遅ればせながら、殺気が届く。床の上でなすすべもなく転がりながら、全身が総毛立った。
王太子ジュリアンは広間を出、少し歩いたところでオリヴァーに遭遇した。
足下には制圧されて拘束された男が転がっている。どうやら気も失っているようだ。
「それが例の密偵か。無力化したのか?」
「ええ。──もう少し痛めつけておきたかったのですが、これ以上はただの暴行になってしまいますのでね」
にこやかに言い放った男に顔が引きつる。これが、コンスタンス嬢に手を出した代償というやつか……。
ガードナー家、改めて敵に回してはいけない相手である。
曲者は他の使用人たちにどこかへ運ばれていったので、こほんと咳払いをし、報告を促す。
「フィリップに伝えていたのは、妹御の安否か?」
「はい。先ほど無事に保護したとの報せが届きましたので、お嬢様を通じてお伝えしました。あとはすべて、手はず通りに」
フィリップとあらかじめ打ち合わせをしていたのは、ブレイダム側だけではない。ガードナー家もである。
密偵の男が何度か留守にしている間に、潜入の達人であるチャーリーがフィリップとの接触に成功していた。
互いの状況を伝え合い、今日のパーティーでどう動くか、念入りにいくつもプランを練ってあった。
そのうちの一つ、妹の救出が間に合った場合の通りに、フィリップには行動してもらった。
コンスタンスの動きはもとより、追従した会場の拍手、話し声のいくつかも仕込みである。
もちろん、密偵の男がパーティーに潜り込めたのも、直前まで策がうまくいっていると思わせるための罠だった。
「ペイトン侯爵家にいた女のほうも確保済みです。王都には他に連絡役などもいないようですね、舐められたものです」
オリヴァーが言うのに、ほんとになと心から同意する。
「カイオン造船所の方の首尾は?」
「そろそろ報せが来るかと。──ああ、噂をすれば」
玄関の方から、執事のジェームスが現れた。王族に対する礼をとってから報告する。
「ペイトン侯爵領に潜んでいた賊、すべて捕縛いたしました。お預かりした騎兵の半数を造船所の警護に回しましたが、そちらも異状なしとのことです。侯爵ご夫妻もご無事です」
「ご苦労」
ことは国家機密に関わっている。敵の目的が造船所ではないかと疑われた時点で、ガードナー家は王宮へ報告を上げていた。
王宮はガードナー家に秘密裏に軍の一部を預け、パーティーの準備のかたわら、陰謀の打倒が着々と進められていた。
あからさまにペイトン侯爵家を囲んでみせ、相手を油断させたりもした。陽動には陽動を、というわけだ。
「一件落着、といったところか。後始末を考えると胃が痛いが……」
今回のこれは明らかに、ブレイダムからの侵略行為だ。
表沙汰にすれば戦争が始まるし、しなくても立派な国際問題である。
とりあえず明日は、早朝から国の重鎮を集めて話し合わなくてはいけない。それを思って腹をさすった王太子だったが……。
「捕らえた者どもから、背後関係も聞き出さねばなりますまい。腕が鳴りますな」
ジェームスはそう言ってにやりと笑った。……もう嫌だ、この親子。
次回、誕生パーティー編最終話です。




