流れはこちらにある
コンスタンスはお茶会の片隅にいた。あの作戦会議の翌週、母の開いたフルーセル侯爵家でのお茶会である。
今回は春の花が咲き誇る庭に、小さなテーブルをいくつか設置するといった趣向で、同年代だからという口実でパトリシアと一緒にしてもらった。
パトリシアはコンスタンスより一つか二つ上の伯爵令嬢だ。茶色の髪がよく手入れされた、きりっとした印象の令嬢である。
同じテーブルにはもう一人、事情を伝えて協力してもらっているアデルがいる。
二対一にはなってしまうけれど、二人だけで話して万一にも誤解を与えたりしたら大変だし、仕方ない。
案の定、パトリシアはどことなく緊張している雰囲気で、ティーカップに触れながら視線を彷徨わせている。これは、例のうわさを耳にしていると考えた方がよさそうだ……。
「…………」
アデルがこっそりと目配せを送ってきた。小さくあごを引いて肯定を示す。
ふふ、と笑ったアデルが口火を切ってくれる。
「コンスタンスさん、わたくし、小耳に挟んだのですけど」
コンスタンスもにっこり笑った。
「あら、どんなことを?」
「何でも最近、殿方からお花を贈られたとか」
「まあ、お花どころか、根も葉もない噂よ。私がお相手探しに苦労しているの、アデルさんならご存知でしょう?」
花に引っかけたジョークで笑い飛ばしてみせる。アデルは苦笑した。
「ええ。……やっぱりそうよね? 殿方と親しくしてらっしゃるなんて聞いたものだから、わたくしにもご紹介いただいていないのに変な話ね、と思ったの」
「やだ、その噂、本当に広がっているのね? ……どうやら私にとても似た方がおいでのようなの」
そこでさりげなく二人はパトリシアをうかがった。ティーカップの取っ手に指をかけたまま、呆然としているようだ。意外な話が目の前で始まったからだろうか。
アデルがだめ押しをする。
「まあ、ふふふ。不思議な話ね。自分に似ている人が、この世には二人はいるって聞いたことがあるけれど……ね、パトリシアさん」
「……えっ? あ、……は、はい」
急に我に返ったようなパトリシアに、コンスタンスは苦笑してみせる。
「パトリシアさん、お久しぶりね。去年の夏、ペイトン侯爵家のガーデンパーティーにお呼ばれした時以来かしら。フィリップ様やご家族ともあれきりお会いしていないし……、皆様はお元気?」
「はい……、いえ、ええと、ということは、コンスタンス様は」
パトリシアは勘がいいらしい。言葉の裏にこめた意味に、即座に気づいたようだ。
「事実無根です。信じていただける?」
「……はい!」
「ごめんなさいね、こんな妙な噂が流れているときに突然お呼び立てして。でも、これは早めにお伝えしておきたかったものだから」
「いえ、こちらこそ、ご配慮ありがとうございます。すっきりいたしました」
パトリシアは令嬢にしてはかなりはっきりした性格だったようだ。コンスタンスとしても今回はそのほうが助かる。
さっそく、今回の目的である情報収集に取りかかる。
「ええと……立ち入ったことをお聞きしてもいいかしら? フィリップ様は、この噂について何かおっしゃっているの?」
「……何も……と申しますか、ここしばらくは、会うこともできておりません」
「まあ」
「ひと月ほど前でしょうか、その日は観劇の予定があったのですが……、出かける直前、急に行けなくなったとご連絡がありまして。その数日前に我が家でお茶をしたのが最後になってしまいました」
「そう、ひと月も……。お手紙なんかは交わしていらっしゃらないの?」
「こちらからは何度か差し上げました。お返事も、なくはないのですが、走り書きのような印象で……とても込み入った話をするようでは」
「あらまぁ……それは心配ね」
アデルが頬に手をやってため息をつく。コンスタンスにとっては、手がかりになるかもしれない情報だ。
「……あの、他に気になることがあったら教えていただきたいの。もしかしたらお力になれるかもしれないわ」
そう切り出すと、パトリシアは瞬いた。
「気になること……ですか? ええと……」
しばらく考え込んでから口を開く。
「そういえば……、フィリップ様の妹にあたる方が……、コンスタンス様はお会いになったことがあると思いますけれど。私、ずっとあの方と文通をしてまして、留学中のブレイダムからも月に二回は手紙が届いていたんですが、そちらも一ヶ月以上届いておりません」
「ブレイダムからのお手紙だったら、一週間ほどで届くはずね。……それも心配になるわね」
アデルの言うのにうなずいて、パトリシアは続けた。
「それに、ペイトン侯爵ご夫妻も。いつもだったら社交シーズンの頭には王都にいらしてこういった会にも積極的に参加されてるはずなのに、まだ領地からお戻りになっていないと聞きました」
「なるほど……」
貴重なほぼ身内からの情報だ。ジェームスにしっかり報告して検討しよう。
そう思いながら紅茶に口をつける。なんとなく全員でそのようにして、お菓子に手を伸ばす時間となった。
パトリシアがいくらかほっとした表情になったところで、最後の質問を投げてみる。
「それで、パトリシアさんとしては、フィリップ様のことをどのようにお考えでいらっしゃるの?」
「……はい、私としましては」
最初よりはずいぶん打ち解けた雰囲気のパトリシアは、このことについてよく考えていたのだろう。すぐに答えてくれた。
「今、コンスタンス様からうかがったお話も合わせまして、何かご事情があるのだと思っております。打ち明けていただけないのは心苦しいですが、早く解決するように願っております」
「ありがとう。参考になったわ」
*
「──参考になりました。お嬢様、助かります」
お茶会の直後、ジェームスを父の執務室で見つけて情報を共有する。
「パトリシアさんは、フィリップ様の不実とは考えていらっしゃらないようだったの。やっぱり実直な方だって印象の通りだよね」
「そのようですな。そしてフィリップ様は今、王都でお一人だと……。ブレイダムにはもう人をやりましたが、領地でも何事か起こっている可能性がございます。……ベンからの報告のとおり、王都での噂の流し方は杜撰すぎますからね。何らかの陽動と見たほうが自然です」
ジェームスは肩をすくめた。
「そうだね……。ペイトン侯爵家の領地って、どんなところだっけ? 確か、王都から半日くらいだったよね」
「然様です。ご領地自体は侯爵家にふさわしい賑わいの地域ですが、国防上のことを申し上げれば、領都がカイオン造船所のすぐ近くであるのも気になりますな」
「──あ!」
カイオン造船所は王立の軍船などを開発している施設だ。王家が管理する土地にあるが、ペイトン領から近いと言われれば確かにそうである。
「機密の塊だね……」
「ええ。すぐにそちらにも人員を回しましょう」
ジェームスがうなずいた時、開きっぱなしだったドアを軽くノックする音がした。オリヴァーである。
「報告です」
ペイトン侯爵家の屋敷の見張りに回されていたオリヴァーは、街の人のような服装のまま部屋に入ってくる。
「どうした」
「侯爵家から例の、客人の従者の男が一人で出て行きました。尾行したところ、街の酒場でよからぬ風体の数人組と接触しました」
「かかったか。話は聞けたか?」
「はい、警戒されたのか、たいしたことは言っていませんでしたが。『うまくいっている』『手はず通りに』といったやりとりです。従者の男はもう屋敷に戻りましたが、数人組のその後の足取りを追わせています」
「よし」
「それから、男の不在の間に、チャーリーさんが──」
オリヴァーが報告した内容に、ジェームスはにやりと口の端を上げた。名家の執事らしからぬ極悪な顔をしている。
「でかした。……お嬢様の誕生会までは一週間。まだ予断が許される状況ではありませんが、どうやら流れは我々にありそうですな」
*
男は、明日に迫った『その日』のために、入念な準備をしていた。
フルーセル侯爵ガードナー家をターゲットとすることは、主からの指令の一つだった。何でも過去に、面子を潰されたことがあるらしい。興味がないので詳しいことは聞かなかったが。
主によれば、ガードナー家にちょっかいをかければこの国の諜報機関が動き出すとのことだ。そこで、人質を取った侯爵家の男を使ってガードナー家の娘の悪評を流してみた。
その成果と言えそうなものがようやく出たのがここ数日である。
奴らもこちらの動きに勘づいたようで、ぐるりと逗留している屋敷の周りを監視している。街に出ればあからさまに尾行してきた。
そんなことで尻尾を出すような素人ではない。打ち合わせなど、とっくの昔に済んでいる。街でただ、買い食いなどをして無駄足を踏ませてやった。
そう。フィリップを使った策は陽動、諜報員の目をこちらに引きつけるためのものだった。本命は別にある。
この国の開発中の軍船。最新鋭の技術を用いたそれを奪取するか、破壊することが目的だ。
既にフィリップを通じて情報は抜いており、ドックの出入り口を爆破するだけの爆薬は用意してある。手勢はペイトン侯爵領に集結させた。
あとはフィリップに、コンスタンスの誕生パーティーで騒ぎを起こさせるだけだ。
聞けばその会には王太子を始め、アルベリアの名だたる重鎮が顔を揃えるという。
そこでスキャンダルを起こし、貴族どもの目を集めた隙に──どかん。
主がどうしてガードナー家にご執心なのかは知らないが、今頃動き出しているようでは、ブレイダムにとっては敵ではないだろう。
流れはこちらのもの。あとは明日のパーティーを待つだけだ。




