誰に喧嘩を売ったのか
さかのぼること二週間前。コンスタンスの怪しげな噂を聞きつけた直後の、ガードナー家である。
「──ということで、手の空いている皆に集まってもらったの」
屋敷の一室、使用人兼腕利きの諜報員の皆さんが揃っていた。コンスタンスの部屋にいたジェームス、アンナ、ベンの他、別の仕事をしていたオリヴァー他数名だ。
首領である侯爵は王城に参上しており、「お帰り次第ご報告申し上げます。それまでに、できる手は打っておきましょう」とはジェームスの言だった。
「ね、どういう噂だったの? 詳しく教えて」
コンスタンスが尋ねると、話を持ってきたベンは了解を取るようにジェームスのほうを見た。執事が頷くのを待って、口を開く。
「はい。王都のいくつかの店に、お嬢様とフィリップ様が連れ立って入って行かれた、という噂です。……それも、親密な様子で」
アンナとジェームスが眉を動かしたりしたので、あんまりよろしくない『親密』なんだろうなぁ、とコンスタンスは当たりをつけた。
「他にも、街角の花屋でフィリップ様がプレゼント用の花を買われていたとか」
「え? わざわざお店で?」
侯爵家ともなれば、花束の一つや二つ、自前の庭園や温室で調達できるのが普通だ。
「はい。違和感がありますね」
「わざと目撃させたかったんでしょうな」
ジェームスが断じる。
アンナも続いた。
「そもそも、お嬢様はデビューもまだです。ましてや女優などでもないのですから、絵姿などが出回っているわけでもありません。……なぜ、目撃されたのが『コンスタンスお嬢様』ということになるのでしょう」
「……なるほど? いい度胸ですね」
にこやかに言い放ったのはオリヴァーである。
「我々に、挑戦──いや、喧嘩を売ってきたということですか」
……あれ、これは。
「なんか、怒ってる?」
「当たり前でしょう。どこのどいつかわかりませんが、自分が誰を相手にしているのか、しっかり理解していただきませんと」
「あ、そう……」
オリヴァーの珍しい姿に目をぱちくりさせたコンスタンスだが、言っていることは確かにその通りである。すぐに気を取り直して、頼りになる仲間たちにうなずいてみせる。
「……じゃあ、高く買ってあげましょう。うちに諜報戦を仕掛けたこと、たっぷり後悔してもらわなくちゃね」
「さて、では」
方針は決まったので、実務的なことはジェームスに任せておくのがいいだろう。執事はきびきびと指示を出した。
「ベンは、街の噂を精査するように」
「はっ。何人か声をかけても?」
「よろしい」
「すぐにかかります」
「うむ。ペイトン侯爵家の方は、チャーリーとオリヴァーが探りなさい」
「了解」
「承知しました」
「ん。私は何かできることある?」
「お嬢様は、そうですね──」
ジェームスが思案しかけたところで、アンナが提案する。
「奥様が、近々お茶会を開かれますね。そこで関係者の方と接触してみるのはいかがですか? 今からなら招待客をねじこめるかもしれません」
「なるほど。……女の社交だから……、フィリップ様はやめておいたほうがいいよね。おばさまは?」
これには執事が答えた。
「ペイトン侯爵ご夫妻は、今シーズンはまだ領地にいらっしゃると耳にしております」
「そっか。ん~、妹さんは? やっぱり領地?」
「いえ、どこぞに留学中だったかと」
「そうなんだ。確か、ご兄妹のお祖母様がブレイダムの出だったと思うから、あっちかな?」
ブレイダム王国はアルベリアと国境を接する国の一つである。両国の間にはなだらかな山脈があり、交流は盛んだが、そのぶん摩擦も皆無ではなく、互いに気を遣うお隣さん──といった間柄だ。
「かもしれませんな。いずれにせよ、ご招待するのは難しいかと」
「そうだね。……えーとじゃあ、フィリップ様の婚約者はどう?」
アンナが頷く。
「よろしいかと。手配いたします」
「お願いね。……本当は、直接フィリップ様とお話して真意を確かめられるといいんだけどね……」
「それはさすがに危険かと」
アンナからたしなめられて、コンスタンスは肩をすくめる。
「わかってる。……けど、これまでお会いした感じでは、何の理由もなくこんなことをする人じゃないって印象だったからさ」
「ふむ。ペイトン侯爵家自体の評判も実直だといったものが多かったように思いますが。若君もそういったお方ですか」
ジェームスに確認され、コンスタンスはうなずいた。
「うん。特に浮ついたところもない、穏やかな人だったと思うよ」
「わたくしの目から見ましても、そのようなお人柄に思えました」
付添人として同行していたアンナも肯定する。
「なるほど。参考にいたします」
ジェームスが重々しくうなずいて、その場は解散になった。
*
ガードナー家の諜報員たちは、その日のうちに行動を開始した。
ベンは、いかにも軽薄そうな身なりで、王都の下町、古着屋に立ち寄る。
「いらっしゃい」
「これで一揃い見繕ってくれよ」
滅んだ国の銀貨を渡すと、店主は嫌そうに顔をしかめた。
「けっ。釣りは出せんが」
「構わねえよ。その代わり、しばらく休ませてもらってもいいかい」
店主はあごをしゃくって店の奥の小部屋にベンを招き入れた。このやりとりは、符丁である。
扉を閉めると、二人の男たちは打って変わって顔を引き締めた。
「何が聞きたい」
古着屋とは仮の姿。この店主の正体は、王国一の情報屋だった。
「ガードナー家について、流されてる噂があるだろ」
ベンが切り出すと、店主は眉を跳ね上げた。
「なんだ、嬢ちゃんが、どっかの貴族のボンボンと逢い引きしてるってやつかい」
肩すかしな用件だなとでも言いそうだが、どうせそのうち聞かれるとは予測していたのだろう。その証拠に、続く言葉はよどみない。
「カフェが何軒か、特にオープンテラスのある店だな。わざわざ人目につくような席で長居してたらしいぜ。あとは花屋の表に馬車を止めさせてボンボンが買い物したり、装飾品の店に腕組んで入ってったって話だな」
「ほう。女の方はどんななりだった?」
「銀の長い髪に、ひらひらした黄色と赤のドレス、つったかな」
髪の色と長さは本物に合わせてきたらしい。にしても。
「趣味が悪いな」
「同感だ。しかも毎回同じ代物を着てるらしい」
「へえ?」
貴族は、短期間で何度もドレスを着回したりはしない。
「手を抜いたか? それとも、印象づけようとしてるか……」
情報屋は肩をすくめた。
「どっちもありそうだな。坊ちゃんが宝飾店で買い与えたってブツも、見た目だけ派手な安物ばかりだったらしいぜ」
ほう。
「そもそも侯爵家の坊ちゃんが、家に店の者を呼びつけるんじゃなく、自分でわざわざ足を運ぶっちゅうのが怪しいんだよなあ……」
そんなことをやるのは我らがコンスタンスお嬢様ぐらいの話であり、それもお忍びとして下級貴族や金持ちの平民に変装してのことである。
「……そいつがお嬢だ、ってのはどっから出たんで?」
「それがな、探らせてるが、まだ出てこない」
おっと、情報屋はわざわざ手間をかけてくれていたらしい。
「そうか。あとはこっちでも探ってみるわ。助かった」
「いや、お宅さんらにはうちも世話になってるからな。この程度」
さて、それでは、今聞いた内容をもとに、めぼしい場所を仲間たちと総当たりすることにしよう。
*
夕方、ガードナー家の所有するパブの二階で遅い昼食をとるベンのところに、仲間の一人が顔を見せた。
「ベンさん」
「おう。どうだった」
「カフェの一軒と花屋で話が取れました。例の女やフィリップ卿が訪れてる時に、店員や常連客相手に『あれはガードナー家の令嬢だ』『コンスタンス様への贈り物だ』と囁いた男がいたようです」
「ああ、俺が行ったカフェでも聞いた。帽子を被った、若くも老いてもいない男、で合ってるか?」
「はい。……印象に残りづらいってことは、同業者かもしれませんね」
「多分な」
「あと、街に潜ませている者の中に、例の女を近くで見た、というのがおりました。これが描かせた似顔絵です」
「お、助かる。……やっぱり、お嬢とは全然別人だな」
「ですよねえ」
二人は苦笑した。
「まあ、判断は上に任せるが……、俺たちを相手にするにしては、何というか……雑だな?」
ベンは首をひねった。部下も考え込んでいる。
「我々を甘く見ている、とかでしょうか……?」
「それもあるかもしれないが……。ジェームスさんにも言って、ちょっと気をつけてみるか……」
「はい」
部下は頷いた。当面の仕事としてはこんなものだ。
……さて、そうなると気になるのは別働隊の働きである。
「あいつに限って心配はしちゃいないが……」
「オリヴァーさんですか?」
「そ。お嬢の体面に傷がつくような噂流しやがってって、ブチ切れてたからなー」
「うわぁ……」
コンスタンスの手前、言葉だけはそれっぽいことを並べていたが、本心では大事なお嬢様の評判を傷つけようとする企みへの強い憤りを抑えきれないようだった。
付き合いも長いので、自分や同僚には筒抜けである。
「あいつもこういうとこ、まだまだ青いよなあ」
にやりと笑ってベンは食後の紅茶をすすった。うん、うまい。
*
その頃、当のオリヴァーは、ペイトン侯爵家のタウンハウスの裏口にいた。あたりはもう夕方で、近所での調査は一通り済ませてある。
出入りの業者などが使う場所だ。いつもより質を一段ほど落とした、地味な従者の服装に身を包んでいる。
セールスかしら、と寄ってきたメイドに、腰を低くして話しかける。
「突然押しかけまして、申し訳ありません。こちらのお嬢様は留学しておられたと思いますが、もうお戻りでいらっしゃるのですか?」
「……あなた、何?」
メイドはあからさまに警戒する。しかしこれは想定のうちだ。
「これは失礼。わたくし、とあるお屋敷で若様の従僕を務めております。名はゆえあって明かせないのですが……、若様がこちらのお嬢様に懸想しておりまして」
「まあ」
メイドはロマンスの気配に態度を和らげた。
「留学される前に贈り物、お手紙の一つでも差し上げておけばよかった、と日々悔やんでおいでなのですよ。それで……、こちらのお宅に貴婦人用の馬車が入っていくところを見た、という人がおりましてね。わたくしが様子を見てくるように言いつかったというわけです」
馬車云々のくだりは、近隣での聞き込みの成果である。
メイドは申し訳なさそうに微笑んだ。
「そういうことでしたの……。ごめんなさいね、お嬢様ではなく、ご友人が逗留していらっしゃるのです」
「そうでしたか、残念です。いえ、さぞや親しいご友人なのでしょうね」
「さあ、それはどうだか……。お嬢様の留学先からいらしたようですけど」
「おや、それでは異国のご婦人ですか。ブレイダムでしたっけ? それは、お世話申し上げるのも気を遣われるのでは?」
「ええ、……いえ、そんなこともないのですけど。こちらの若様は気晴らしにとあちこち連れ出されていらっしゃいますけど、屋敷の中では従者と部屋にこもりがちで、お世話と言ってもたいしたことは必要ないと言いますか」
オリヴァーはもったいぶったふうに頷く。
「そうなんですね。……時に、お嬢様からのおたよりは、いかがですか? その……いつお帰りになるとか」
主が気にしておりますので、と匂わせる。
「ああ、お帰りの予定はお聞きしてません。でも、お兄様やご友人にはお手紙が週に二回は届いておりますから、予定が決まったらすぐにお知らせになるんじゃないかしら」
「筆まめでいらっしゃるのですね。主にも、お手紙を差し上げてはどうかと申し上げてみましょう」
「ええ、それがいいですよ」
「ありがとうございます、お時間を取らせてしまって申し訳ありません。それでは」
週二回、の手紙か……。
考えながら角を曲がったところで、塀の上から男が降ってきた。
「客間に女がいるようだった。黄色と赤のドレスがソファに広げてあったぜ」
先輩のチャーリー。隠密の達人である。夕方とは言えまだ日が出ているこの時刻に、堂々と屋敷に侵入して気づかれないのはさすがの腕前だ。
「お疲れ様です」
二人は自然な素振りで歩き出す。しばらくは偽装も兼ねて当たり障りのない雑談をしていたが、ふと、チャーリーが言い出した。
「お前さんも、よく抑えたじゃねえか」
「……なんですか。今更私情でへまはしませんよ」
むっつりとするオリヴァーだが、私情のあったこと自体は認めている。チャーリーはツボに入ったのか、声を上げて笑った。
「はっは。……よし、街に寄ってくか?」
「街ですか? 何か用事でも──」
「お嬢へのプレゼント」
「!」
不意打ちを受け、オリヴァーは絶句する。先輩は平然と続けた。
「今年は代わり映えのするものを、って注文されたらしいな?」
「何故それを──いえ、愚問でした」
情報を扱わせれば天下一のガードナー家である。構成員のプライバシーなど、あってないようなものだ。
「おう。ちなみに屋敷の連中は、お前さんが何を贈るか賭けを始めてるぞ」
「……賭けたんですか?」
「知りたいか?」
「やめておきます……」
オリヴァーはげんなりする。チャーリーはまた呵々と笑って、その肩を叩いた。
ガードナー家の使用人には、アンナのような「オリヴァーはへたれをどうにかしろ」派と、ベンのような応援派、チャーリーのような野次馬派がおり、総じて(生)温かく見守られています。




