花ひらくとき
翌日の午後、コンスタンスはとある伯爵家を訪問していた。今日の目的は社交ではなく、フルーセル侯爵家のコンスタンスとしての訪問なので、お供はオリヴァーである。
その屋敷、モーリス伯爵邸に着けばすぐに、当主が待つ客間に招き入れられた。
「やあ。昨日は見苦しいところをお目にかけてしまったね」
出迎えた老人は、昨日とは見違えるぐらい立派な衣装に身を包んでいる。
「いいえ、お体の方はいかがでしょう?」
「随分いいよ。あのあとすぐに医者に診てもらったが、骨に異常もないし、安静にしていればすぐ元通りだそうだ。体を冷やさなかったのがいいと褒められたよ」
「それはよろしゅうございました」
そう、昨日の老人こそ、モーリス伯爵その人。商業ギルドの先代の長にして、元は男爵家であったが、その功績で最終的には伯爵位を与えられた人物である。
コンスタンスとは旧知の間柄だ。
「いや、若いときの気持ちのままで、ついふらふらと動いてしまって、いけないね。石畳の割れたところに杖を引っ掛けてあの通りさ」
「まあ」
「それも、はじめは誰も知らんぷりだったからね、心細かったったらない」
「皆さん、薄情でしたのね」
「まあ……あのようなみすぼらしい格好でいたんだ、厄介事に巻き込まれまい、という民の気持ちも理解できるがね」
「そういえば、いつにも増して質素な格好でおいででしたわね。……いえ、立場や身分にとらわれずにお忍びを楽しみたい、というのはわたくしも同じ考えですけれど」
「そうだね、お忍びのやり方も一考しなければならないね」
お忍び自体をやめる気はさらさらなさそうな伯爵である。
「まあさしあたっては、あんな無様をさらしたんだ、腹いせに道の補修を陛下に奏上してもいいかもしれないね」
茶目っ気たっぷりにウィンクをするので、コンスタンスはうふふと笑ってしまった。
「それで、今日は? 老体の見舞いだけが用事ではないだろう?」
どう切り出そうか、と思っていたところに、向こうから水を向けてくれた。さすがの嗅覚である。
「……そろそろ、昨日のお嬢さんについてお調べになっているころかしら、と」
「ああ、あの気立てのよい子だね。訛りからすると、ジグタフの出だろう?」
「ええ。特産の花を運んでこられた商会のお嬢さんで、カティア・チェスティさんとおっしゃいますの」
「カティア・チェスティ……ジグタフのチェスティ商会、なるほどね。いや、心細いところに声をかけられたときは女神……もとい、妖精かと思ったね」
モーリス伯は頷きつつ、ジグタフの風習になぞらえた冗談を口にする。
「それで? まだまだあるんだろう?」
「ご明察ですわ」
そしてコンスタンスは、カティアについて──レオナルドの目的も含め、洗いざらい、オリヴァーが調査したことを伝えたのである。
*
それから数日後。夕刻、コンスタンスはガードナー家所有のカフェにいた。バルコニーつきの特別席には、レオナルドとカティアを招いている。
二人とも、その表情には困惑を隠せていない。まだまだ若いなあと、自分の年齢を棚に上げて、そんな感想を持つコンスタンスだ。
「気楽になさって。もうそろそろ花火が上がる時刻ですわよ」
マーケットの最終日、商業ギルドの有志がスポンサーとなって、花火を打ち上げるのが恒例となっていた。
「でも……」
レオナルドとカティアは顔を見合わせる。なぜここに二人揃って呼ばれたのか、と疑問に思っているのだろう。そろそろ解消してあげよう。
「あ、ご婚約おめでとうございます」
「! どうしてあなたがそれを?」
コンスタンスはにっこりと笑った。
「カティアさん、黙っていてごめんなさい。実は先日のお爺さんとわたくし、以前からのお知り合いでしたの。──お忍び仲間、とでも言えばよろしいかしら?」
「まさか──」
レオナルドはぴんときたようだ。
「ええ、先代の商業ギルド長、モーリス伯爵とおっしゃる方ですの」
「それで、モーリス伯爵家から、カティアに養女の話が……? ……いや、だとしても、なぜ私との婚約まで?」
コンスタンスが何か知っているとにらんだのだろう、レオナルドはこちらに向き直って身を乗り出した。
「モーリス伯はギルドの重鎮として、若い方の商業活動への支援も行ってらっしゃいます。それで、あなたがたの活動のことも調査されていたようですよ」
なんて言って、実はその情報はほとんどフルーセル侯爵家、もといオリヴァーからの横流しなのだが。
そこには対等な取引になるようなこちらの利もあったのは、また別の話である。
「それに、カティアさんはこちらに商会の代表として来られるほど商いに精通しておいでです。レオナルド様の秘書的立場としてのお仕事も長くていらっしゃるのでしょう? モーリス伯がジグタフとの取り引きを考えられたとき、サポート役としての働きも期待できる、とお考えになったようです」
カティアは目をぱちぱちさせた。自分の詳細なことまで調査されているとは、意外だったようだ。レオナルドもコンスタンスの言ったことを吟味している。
「そうですか……。それでは……伯に私たちの後援をしていただけるとのお話も、ありがたくお受けしてもいいのでしょうか」
「ええ。自信をお持ちくださいな」
オリヴァーが調べて、モーリス伯がお墨付きを与えた彼らの商業計画は、手堅く、じゅうぶん将来性があるものだった。
足りないのはそれこそ、アルベリアでの知名度や信用といったものぐらいである。
それに。
「……それに、お二人は幼い頃、将来を誓った仲でいらしたのでしょ? わたくし、心から祝福いたしますわ」
「そんなことまで……?」
レオナルドは言葉を詰まらせ、カティアも絶句したまま、ほんのりと頬を赤くした。
マーケットでレオナルドたちと会ったとき、その反応に、もしかしてと思ったコンスタンスはオリヴァーに確かめてみた。
そして、出てきたのがこれである。
子供の頃から商業に興味があったレオナルドはカティアの家の商会に出入りし、仲を深めた。
しかし二人が結ばれるためには、身分の差が立ちはだかっていた。
一時は弟たちに家督を譲って、商会に婿入りすることも考えていたようだ。……だが、彼の才能は貴族社会でこそ輝くと考えたカティアが強く反対した。
貴族の結婚は商機でもある。そう説得されて、結果、レオナルドは自分の縁談を、ジグタフに富をもたらすために使おうと考えた。それが今回の旅の目的の一つだ。
二人の仲はそれまでだった。……それでも、いかに優秀な秘書役とは言え、結婚するまでは、と彼女をそばに置き続けたのはレオナルドの甘さであっただろう。
「(そのくらいはチャームポイント、と言ってもいいかもしれないけどね)」
二人について聞いたモーリス伯は、その場でカティアを養女に迎えることを決めた。「何、元は男爵家だったんだ、他国の優秀な平民を養子に迎えても文句は出るまい。家は息子が継いで、既に孫もおるし」とは彼の弁である。
その横でオリヴァーが、チェスティ家に数代前に入ったジグタフの貴族の血について冷静に言及したりしていた。
とはいえ、アルベリアの王都とジグタフには距離がある。今はまだ、モーリス伯爵家とレオナルド、カティアだけの内々の話だ。様々な手続きはこれから日数をかけてのことになるだろう。
名ばかりではあるが、突然アルベリアの貴族令嬢になったカティアにも何かと苦労はあるかもしれない。
コンスタンスは、改めて問うてみる。
「……今ならまだ、お断りすることもできるかと存じますが」
「…………!」
その言葉に、レオナルドは唇を引き結んだ。カティアは、その横顔を見上げると、──手を伸ばし、幼馴染が卓に置いた手に添え、そして、ぐっと力を込めて握った。
「いいえ。お受けしたく存じます」
「……そうだね。謹んで、お受けいたします」
力強くカティアが笑えば、レオナルドも覚悟を決めたように頷く。
その時のカティアは、いつもの眼鏡に地味な服装だったが、ジグタフの花にも負けない美しい姿だったなと、コンスタンスは思ったのだった。
花火の打ち上がる、ひゅうっという音が、尾を引いて響いた。
そして、満開の光の花を、三人は心ゆくまで堪能したのであった。
*
「お疲れ様でした」
花火も終わり、二人を見送ったコンスタンスに、ティーカップが差し出された。
今日も護衛として控えていたオリヴァーである。
「ありがと。特に何もしてないけどね」
「ご冗談を。……まさか、伯爵まで巻き込んであの二人を婚約させるとは、思いもしませんでしたよ」
オリヴァーは苦笑しているが、コンスタンスにしたって似たような気分である。
「それって、褒め言葉として取っていいんだよね?」
「お好きにどうぞ」
コンスタンスはカップを受け取って口をつける。……意外と言えば、こいつの行動もそうじゃないか。
「私だって、オリヴァーがもっとレオナルドと私の邪魔をしてくると思ったんだけど?」
今回縁談が成立しなかったのは、たまたまコンスタンスがレオナルドの気持ちに気付いたからである。そう言うと、オリヴァーは微笑した。
「していたかもしれませんよ? お嬢様の見えないところで」
ほんとかなあ。コンスタンスも笑ってしまった。
……それにしても。
「あんなにお似合いの二人だったのに、身分って、結構な障害になるんだね。今回は偶然が重なって乗り越えられたけど……」
そうぼやきながらため息を付くと、オリヴァーは静かに応えた。
「あなたの年や立場では、まだ実感できないこともあるでしょう」
む。
「また子供扱いした!」
「ははは、失礼いたしました」
春が来れば、コンスタンスは十五歳になる。……だがその頃、オリヴァーももう一つ年を取る。年の差はずっとそのままだ。
その事実に今更もやもやを感じて、軽やかな笑い声にさえちょっとむかついた。
……まあ、いい。今はもう少し、成し遂げたことに浸っていてもいい。
「……あの二人、幸せになるよね?」
小さく呟けば、またすぐに応えがある。
「さあ、どうでしょうね」
……。胸の中にちょっとしこりが生まれて、それでコンスタンスは、オリヴァーに「幸せになる」と請け合ってほしかったのだな、と気付いた。
それが表情にも表れていたのだろう、オリヴァーは言葉を継いだ。
「それは我々の預かり知らぬことです。……でも、あの二人……特にカティア嬢には、ガッツがあるように見受けられましたけどね」
「……そうだよね」
ちょっと突き放したような言い方は変わらなかったが、その中にもフォローの意図を感じて、コンスタンスの気持ちはちょっと上向きになった。
よし、と気合を入れ直す。
「そっか。うん、私も彼女を見習って、今年こそ相手を見つけられるように頑張ろう!」
ぐっと紅茶を飲み干す。今度は、少し間があった。
「……ええ。頑張ってください」
……む。
「なんか含みがあるじゃない」
「いえいえ、まさか。私は今後とも、お嬢様をお見守りするだけですよ」
コンスタンスはオリヴァーの顔を下から覗き込んだが、そこには穏やかな微笑があるだけだった。むう。
「へえー」
今後ともって。どうせまた邪魔するくせに。
……そう考えた瞬間、ふと違和感がよぎった。
あれ。今回は邪魔していないんだっけ?
いつの間にかレオナルドたちのことを調べ上げていたのはオリヴァーだ。その時点でどう考えても「見守っているだけ」ではない。
のだが。
…………。
まあ、いいか。深く追及しないでおこう。
コンスタンス・ガードナー、フルーセル侯爵家令嬢。
十五歳の春が訪れようとしていた。




