妖精国からの訪問者
第二部スタートです!
その日、王都にあるガードナー家の邸宅は、みずみずしくもやわらかな花の香りで満たされていた。
「わ、お花が届いたの?」
コンスタンスは声を踊らせた。部屋を訪れたオリヴァーは、ピンクやイエロー、薄いブルーなどとりどりの色の花を生けた花瓶を捧げ持っている。貴婦人のドレスの裾がはためくような、軽やかなシルエットの花だ。
「ええ、今年も見事な出来でしたよ」
王国の貴族の間では、新年を迎えてひと月した今ぐらいの時期、農業国ジグタフから取り寄せたこの花で屋敷を飾るのが習わしになっていた。最近では、城下の民も花を模した飾りを軒先に飾るという。
「ジグタフからは一週間もかけてやってくるんでしょ? それでもこんなにみずみずしいなんて、どんな技術を使ってるのかな」
窓際に据えられた花瓶をしみじみと眺めながら、コンスタンスは思いを馳せた。オリヴァーも同調する。
「ええ。我が国の王宮を彩り、貴族の家々にいきわたるとなれば、それだけですさまじい量になりますしね」
「そうそう」
「話によれば、数十年前にこの花を我が国に輸出するようになってから、ジグタフでは安心して年を越せるようになった農家がかなり増えたとか」
「……そうなんだ……」
目の前の可憐な花に、民の命がかかっていた。
……いや、貴族として、知っておくべき事実でもある。
「陛下は、それもご存じの上で毎年花をおとりよせになっているんでしょうね」
「勿論、そうでしょう。花は必要不可欠のものとは言い難いですから、あちらに恩を売る形になっているでしょうしね。──とはいえ、風習が廃れてしまえばそれまでです。ジグタフの側も、他に売り込めるものがないか、模索していると聞きますよ」
「へえ……ジグタフの、特産品?」
農業国なのだし、やはり農産物になるのだろうか? 思いを巡らせていると、絶妙なタイミングでオリヴァーが口を開いた。
「気になりますか。では、お会いしてみては? 今年は若い貴族がお見えになっているそうですよ」
「えっ」
驚いて反射的にオリヴァーの顔を見上げてしまった。が、いつもと変わらぬ平然とした素振りである。
「なんでも、なかなかの好青年だとか。──我が国の貴族家と結びつくべく、ご縁を探しているとも」
「…………」
人の縁談をさんざん妨害しておいて、これである。また何かの企みだろうか?
……いや、勘ぐっていても始まらない。ここは、のってみるの一択しかないはず。
「うん、会ってみる」
「では、手配いたします」
コンスタンスが頷くと、オリヴァーはそう返して部屋を出ていった。
……その背中を見送り、しばらく、呆然としてしまった。
「……何、あの顔……」
会ってみる、とコンスタンスが告げたとき。いつものふてぶてしい顔つきだったはずのオリヴァーは、瞬間、ほっとしたように笑ったのだ。
*
翌々日には、コンスタンスはジグタフの青年貴族とお茶をご一緒することになっていた。かなりの速度感である。
これは、彼らとしてもこの国の貴族とつながりを持つことに本気なのだろう。
待ち合わせの場所は、ジグタフ一行が逗留しているという高級宿のティールームである。
一行を率いる貴族の青年は、ロドリ家のレオナルドと言った。伯爵家の長男で、年の頃はオリヴァーと同じくらい。貴族らしく整った顔立ちで、よく櫛を通された明るい金髪に清潔感のある服装と、なかなかの好印象を受けた。
挨拶を交わしてすぐ、コンスタンスは花の輸送について切り出してみた。
「まるでついさっきまでお庭で咲いていたような、みずみずしさで……。どのように運ばれているのでしょう?」
「王都の近くまでは、水運を利用しております。農家から納められて、皆様のお宅に届けられるまで、一週間ほどの旅になりますね。ちょうど、今ぐらいの頃に花の盛りとなるよう、つぼみの状態で収穫するのですよ」
レオナルドははきはきと答える。ジグタフの言葉はほぼ我が国と同じだが、アクセントが少々違うそうだ。
「まあ、そんなに長いこと旅して、お花って元気を保てるものですの?」
「ええ。もちろん、通常の方法では無理でしょう。ですが……、」
そこで少し言い淀む。
「あら、秘密の方法かしら」
コンスタンスが茶目っ気を見せると、レオナルドもそれにのってくすっと笑った。
「いえ、そういうわけではないのですが。ただ、アルベリアの方に申し上げて、信じていただけるか」
アルベリアとは、この国の名である。
コンスタンスはぴんときた。
「もしかして、『妖精のご加護』?」
レオナルドは目を見開いた。
「ご存知でしたか? 失礼、アルベリアでは加護は一般的ではないと聞いておりましたので、てっきり」
ええ、一般的ではないでしょうね。コンスタンスはうふふと笑って誤魔化した。レオナルドはますます饒舌になる。
「お察しの通りです。植物の妖精のご加護をいただいた者を何名か船に乗せ、花の世話につかせております」
「まあ、何名も」
「はい。花の栽培においても、彼らの力は欠かせません。この時季に咲き誇る品種を産み出すのも、妖精のご加護なしには成せぬことでした」
レオナルドは先祖の苦労と工夫を語った。コンスタンスが興味を示したので、話はさらにジグタフでの加護を利用した産業のことにも移る。そのほとんどが、加護を得た職人が自らの手で何かを創り出している、といったようなものだった。
「では、このたびは、そういったものを売り込みにも来られたのですか?」
「いや、お恥ずかしいな……。そうですね、ゆくゆくは、と思っております。しかし、アルベリアの文化は我々田舎者からすれば、大変に洗練されている」
「まあ、そんなこと。ふふ」
「いえ、これは謙遜ではありません。ですからまずは、この国でどんなものが求められているのか、どうすれば我が国のものをよいと思っていただけるのか、そのようなことを少しでも持ち帰れればと」
そう語ると、レオナルドは真剣な眼差しで唇を引き結んだ。
なるほど。
「そうでしたの。興味深いお話、ありがとうございます。わたくしも陰ながら、応援させていただきたいと存じますわ」
コンスタンスが社交辞令でなくそう言ったのが伝わったのか、レオナルドはぱっと顔を明るくした。
「ありがとうございます、励みにいたします。……そうだ、サンプルとなるような品を持ってきているのです。よろしければ、ご覧になっていかれませんか?」
「あら、わたくし何も気の利いたことは申せませんけれど、それでもよろしいでしょうか」
「もちろんですよ。カティア」
レオナルドは微笑し、傍らに控えていた一人の女性を呼ぶ。眼鏡を掛けた、メイドよりは堅い、家庭教師のような服装をした女性だ。
「サンプルをお持ちして」
「はい、こちらに用意させてございます」
「ありがとう」
すぐに並べられたのは、装身具を主とした手工芸品の数々だ。
確かにレオナルドの言う通り、アルベリアで流行の様式よりはいくらか素朴だが、それでもコンスタンスの目からするとよくできたもののように見えた。
いくつかははっと目を引くものもある。
たとえばこの、薄い色ガラスをつなぎ合わせたブローチとか。
「お気に召しましたか?」
コンスタンスが目を留めているのに気づき、レオナルドがそっと問いかける。
「ええ、こちら、あの花のようですわね」
貴婦人のドレスのような花びらを思わせる、繊細な一品だ。コンスタンスぐらいの年頃の淑女が身につけるのにもちょうどいいだろう。
「どうぞ、お持ちください。本日の記念に」
レオナルドに勧められ、ありがたくいただくことにした。
*
帰りの馬車の中で、コンスタンスは窓越しに景色を眺めながら、今日のことを反芻していた。
と。
「いかがでした?」
声をかけてきたのは、付き添いの侍女である。
「え?」
「差し出がましいですが、物思いをされておいでのようでしたので。言葉にされたほうが、お考えもまとまるのではないかと」
「そうね」
コンスタンスが物心付く前から一緒にいる、アンナという名の侍女だ。気心も知れているので、コンスタンスは素直に頷いた。
「なんというか……、爽やかに野心的な人だったね?」
レオナルドの印象を口にしてみると、さらっと指摘される。
「お嫌いではございませんでしょう?」
「……うん。その野心がどちらを向いているのかもはっきりしていて、好感が持てる」
「ええ」
「サンプルの趣味も」
「ようございましたね。あれならば、しかるべき後ろ盾や意匠に関しての取り決めが揃えば、すぐにでも販路が見つかるかと」
「やっぱり、そう思う?」
コンスタンスは、もらったブローチの入った箱を横目でちらりと見た。
レオナルドが若年のコンスタンスをしっかりと大人扱いし、遠回しにアルベリアでの宣伝を依頼してきたのも快かった。
「これで、うちに婿入りしてくれるつもりがあればなあ」
オリヴァーによれば彼が縁を探しているという話でも、実際に会っている間、そのような素振りは出されなかったので、おどけて言ってみたのだが。
「あら、不可能ではないらしいですよ?」
アンナはあっさりと告げる。
「えっ?」
「なんでも、男ばかりのご兄弟でいらっしゃって、どの方が爵位をお継ぎになっても問題ないとか。もしお嬢様とご縁があって、我が国の侯爵ともなれば、ジグタフとの架け橋としては……」
「お釣りが来るでしょ、それ」
「はい」
なるほど。……なるほど……。
ところで。
「……それ、どこ情報?」
アンナは、わかっているでしょうに、とにっこり笑った。
「オリヴァーさんです」
うっ……。
まったく、どういうつもりなのだか。
「……でも、お見合いの相手として考えると、確かめなくちゃいけないことが出てくるよね……」
「あの方ですね」
「うん」
コンスタンスは、同性の従者としてアンナを伴った。それが周辺国の未婚の男女のマナーでもある。
とすると、レオナルドのすぐそばにいた彼女は、何者なのだろうか。