才気あふれる王太子、そして悪役従者
第一部完です。
王太子は、高揚する心を抑えきれずにとある場所へ向かっていた。──やっと私のおこないが実を結んだ。
呼び出しは、最近目をつけていた男爵令嬢からのものである。
それを見つけたのはしばらく前のことだった。一介の男爵令嬢が、明らかに複数の青年貴族を引き付けているのである。
すぐに、これはからくりがある、と考えた。社交界の風紀を乱すようなことになる前に、この目で確かめようと本人に近づいてみることにした。
ヘレナ・ヒギンズ。軽く調査させたが、本人にも家族縁者にもとりたてて企みのある様子はない。……ただ、直接言葉を交わすと──肌身離さず持ち歩いている護符が、ほんのりと熱を持った!
彼は王族である。当然、その身に与えられるかもしれない危機については念入りに教育をされている。
この護符だって王族の身を守るための、隠れた国宝とも呼べる品だ。
ということは、ヘレナは心身に影響を及ぼすような何らかの手段を持っている。──面白い!
フルーセル侯爵家の奥方は、異国の神の加護を受けているという。そういう者が、自分の手駒にも欲しかった。
それに、もし彼女よりも力が強かったり、加護の種類が違っていれば、この地には長年誕生しなかった聖女に化ける可能性もあるかもしれない。
王太子はヘレナに近づき、そのからくりと本心を明かさせることを決めた。同席する社交の場では、親しく話しかけて警戒を解くことにする。
すぐに若い貴族たちが自分たちを囲むようになったのは少し邪魔だったが、どちらにせよ人目があるところで踏み込んだ話をする必要はない。男を引き付けること自体は、ヘレナの何らかの能力がますます本物であることの証拠に思えて、それはそれで気分がよかった。
誤算といえば、ヘレナの態度がいつまで経っても固いことだったが……。
それでもこの招待が届いたということは、ついに自分の骨折りも実を結んだのだろう。
*
「──といったあたりかしら。浅はかなお考えでございますわね」
王太子はあんぐりと口を開けっ放しにしていた。
それも仕方ないだろ、と思う。何しろ呼び出された先──どこぞの侯爵家の所有しているカフェの貸し切り席には、ヘレナではなく自分の婚約者、アイリスが待っていて、しかもつらつらと自分の考えを言い当てたのだから。
しかもアイリスは冷めた顔つきのままで、とんでもないことを言い出した。
「殿下。わたくしとの婚約、解消していただきとうございます」
「──待ってくれ! 何故そうなる!?」
アイリスは持っていた扇をパチン、と閉じて、ふん、と鼻で笑った。いつもだったらやらないような、とんでもない不敬だ。
「それもおわかりにならないような、あんぽんたんでいらっしゃるからですわ。このたびのことは、わたくし、ほとほと愛想が尽きました」
「あんぽ……!?」
「ええ。失礼ながら殿下は、ご自分のことをこう思ってらっしゃったのでしょう? 『文武にすぐれ、国のことをよく思い、臣下の声もよく聞く、才気あふれる王太子』──と」
「いやっ、そんなことは……」
実際にはそこまで思ってはいない。本当だ。……だがかなり近いところまでは考えていたので、王太子は口ごもった。
「それがなんですか、今回のことは。異常に気づいたところまではよろしいですが、陛下にご報告を上げるでもなく、私情と先走りで軽挙し、配下を使って画策した結果が、下級貴族の娘を口説くだけ?」
「口説いてなどおらん! ──浮気に見えたというなら謝ろう、だがどういった意図であったかは知っているのだろう!?」
慌てて弁解したが、婚約者は取り付く島もない。
「わたくしは意図については問題にしておりません。周囲への見え方の話をしているのです」
「周囲……?」
アイリスは、大げさにため息をついた。
「ええ。本当に気づいてらっしゃらないのですか? 殿下の振る舞いのおかげで、一人の淑女が、『下心のある男性がよってたかって声をかけていい存在』に貶められていることに」
「あっ……」
王太子は、今度こそ赤面した。
「指摘されれば思い当たることがある、といったお顔ですわね。そこまで暗愚でなくて安心いたしました。というわけで、婚約は解消とさせていただきとうございます」
「……いやっ、暗愚でないというなら、挽回の機会をくれてもいいのではないのか!?」
「言われてわかるということは、これまでにも薄々感じ取っておられたということでございましょう。それでも己の独善的な考えで突き進んだ。そんな方の尻拭い、わたくし、嫌でございます」
*
「ひぇ〜……アイリス様、攻めるなあ」
貸し切り席とは壁を隔てた小部屋。こちらからは、特殊な仕掛けでアイリスたちのいる部屋の状況が覗けるようになっている。
フルーセル侯爵家の所有する、いろんな用途に使える店舗のひとつである。
今小部屋には、コンスタンスと母、おまけにオリヴァーが詰めていた。母は何がツボに入ったのか、さっきからくすくすと笑っている。
あれからコンスタンスはヘレナと面会の機会をもった。何故か、女装したオリヴァーも一緒である。
男を侍らせるというから警戒したので、などと言っていたが……ヘレナは男性に苦手意識があったようだったから、ちょうどよかったようだ。
「バラ園でのお礼をしたかったのに、お名前もご連絡先も教えていただくのを失念していて」
と恐縮がる彼女に、これはうちの侍女ですよ、とフォローしつつ侯爵家の加点も忘れないコンスタンスである。褒めてほしい。
そのまま、お力になりたいと申し出て聞き出したことは、侯爵家の推測を裏付けるものだった。
ジグタフから帰国してから殿方がまとわりつくようになったこと。
最初はパートナーのいない男子、その後に王太子、それから現状。
ジグタフでは特に変わったことはなかったが、滞在の最後の日に、精霊さまを祀る村の祭りに参加したこと。
その祭りで、十数年ぶりに空から花が降る奇跡が起こったこと。
「きっとそれが、精霊の祝福だったのでしょうね」とは母の言である。
「村のことも調査させたほうがよさそうだな。精霊信仰の実態などを」と父は手配していた。
コンスタンスは両親の許可を得て、ここまでの調査結果をアイリスに共有した。
すると、彼女は淑女らしからぬ憤りを見せたのである。
「加護のことはわたくしも、王太子妃教育の一環として耳にしておりますわ。でも、それならば殿下へは影響がないはず。御身を守るためのものを常に身につけておいでですもの!」
コンスタンスは、これ自分が聞いていいやつだったのかなあと思うなどした。
「あまりにもヘレナを侮辱しております! よろしいですわ、あの方がそのおつもりなら……誰かが灸を据えねばなりません。僭越ながら、陛下がたの代行としてわたくしがその役、務めましょう。殿下が踏みにじった淑女の矜持、しかと味わわせてさしあげます!」
あっそういうことなら。フルーセル侯爵家としても全面的に協力する、とお約束したのだった。
*
「ではそろそろ矛を収める手助けがいる頃合いでしょう。私はあちらの部屋の前で待機しているわね」
母はおかしそうに廊下に向かった。
アイリスとしても、本当に婚約解消をするつもりはないだろうが、淑女の怒りを知らしめるためにはあそこまで言ってやるしかなかった、というのだろうし。
ちなみにヘレナは、こんな茶番劇を知ることもなく、今頃は自宅でのんびりしているはずだ。
彼女の加護を専門家に鑑定させるための手続きは順調に進んでいる。
コンスタンスは、ふう、と息をついた。
「お疲れですか」
そっとオリヴァーからティーカップが差し出された。ありがとう、と受け取る。
「ん、ううん。いろいろあったことは事実だけどね」
笑ってみるが、オリヴァーは眉をひそめたままだった。
「……どうしたの?」
「それはこちらの台詞ですよ。──何が気にかかってらっしゃるんです。吐いておしまいなさい」
あっ、これ、だめなやつだ。
とっさにコンスタンスは思った。
あの話を聞いてから、ずっと引っかかっていたこと。今日まで、うまく隠していたつもりだったのになあ。
「えっと……」
ごまかそうと試みるが、オリヴァーの黄みがかった緑の両目は、こちらをずっと見て逃がしてくれない。
観念した。
「……その。私、『当て馬令嬢』とか呼ばれて……いろんな人達の縁結びを、結果的にしてるじゃない……?」
「ええ」
これはうまく言葉にできない、もしかしたらただのわがままなのだけど。
「それって……母様のご加護があるからなのかなって」
「『縁』のご加護ですか?」
「……そう。もしかして、どこかの神様のご意志で私はそういう定めなのかって……」
目を落とす。紅茶を一口。おいしい。
ああ、もう言ってしまおう。オリヴァーの方は見られないまま。
「他人を結びつけるだけの運命で、私自身を選んでくれる人は、見つからないのかなって」
*
オリヴァーは、強い衝撃を受けていた。
彼のお嬢様がこぼしたことは、雷に打たれたような衝撃を与えるには十分だった。
──私自身を選んでくれる人はない。
そんなことはない! お嬢様はいつか、非の打ち所のない誰かに愛され、愛し、この国の誰よりも幸福になるのだ。
……いや、誰か、だと? そんな先のことを、今のお嬢様にお伝えしても、気休めとしか思われないのでは?
いるではないか。今、この時、すぐそばで、お嬢様を見て、心を捧げている者が。
「あ……」
かすかに声を漏らしかけて、そこで、はっと我に返った。
──自分は今、何を言おうとした。
告げないと、決めたばかりではないか。己はこんなに意志の弱い生き物だっただろうか?
何より。
──他人を結びつけるだけの運命で。
彼女をそんなふうに思わせているのは。
他ならぬ自分自身の行いのせいじゃないか。
「……お嬢様」
オリヴァーは口を開いた。こればかりは、己のためではなく、お嬢様のためになれと思って。
彼女にこんなことを言わせてしまった、その責を負えればいいと願いながら。
「……なあに?」
コンスタンスは、空になったティーカップに落としていた目を上げる。そこに、勿体ぶって言ってやる。
「異なことをおっしゃいますね。確かにお嬢様は、『当て馬令嬢』として結果的に日夜奔走していらっしゃいますが」
「えっ、日夜奔走まではしてないよね!?」
「そうですか? 呼び出されたり、忍び込んだり……じゅうぶんされていらっしゃるとお見受けしますが」
「……言われてみればそんな気がしてきた!?」
「そうでございましょう、そうでございましょう。……けれど、その原因となったお見合いやその失敗が……神々のお導きと、思いますか? 本当に?」
オリヴァーはできるだけ胡散臭く見えるよう、にっこりと笑った。その顔を、しげしげと見つめられている。
「……思わない。っていうか」
「はい」
「……初めて認めたよね!? お見合い失敗仕組んでるって!!」
「ははは、何のことでございましょう」
「……もう! 恥ずかしいこと言わせて! ぜんぶオリヴァーのせいじゃない!」
お嬢様は、可愛らしい顔を膨らませて、ついにぽかぽかとオリヴァーを軽くぶってきた。笑って受け止める。
そんなやりとりにも、幼少時以来の触れ合いに躍る心がある。本当に自分はどうしようもない。
それでも、その心を殺して言わねばならない。
「焦られますな。いつか、きっとお嬢様に相応しい殿方が現れます」
「……いつか、じゃだめなんだよ」
ぼやく声を、さらに笑って躱した。お嬢様に結婚はまだ早い。そこだけは譲るつもりはない。
「ま、いっか。次のお見合いではいい人が見つかるかもしれないし」
「ええ。せいぜい頑張ってください」
「それ、完全に悪役の台詞だからね」
自分でもちょっとそう思った。そして、自分にはそんな台詞がよく似合う。
「お茶のおかわり、いかがです?」
「ん。ちょうだい」
オリヴァーは新たな紅茶を用意した。今日ばかりはいいか、と従者である自分のものも、二人分。
誰にも邪魔されないお茶会を、今だけは。
準備していたお話が終了したため、いったん完結設定にさせていただきます。
また新しいお話ができたら、完結設定を解除して続きをお届けしたいと思っています。ブクマはそのままで!
また、これまでのお話の別視点なども予定しておりますので、機会があればよろしくお願いいたします。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。
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それでは、できるだけ近いうちにまた!