『加護』
フルーセル侯爵家の一室では、再び当主夫妻、コンスタンス、オリヴァーが集まっていた。
「オリヴァー、報告を」
「はい」
オリヴァーは几帳面な字で書かれた書類を侯爵に手渡した。そして口頭でも報告する。
「ヘレナ・ヒギンズ。ヒギンズ男爵家の一人娘です。昨年デビューした十六歳、賞罰特になし。男爵家自体の領政も問題なく、男爵夫妻の人物も、悪評などは特に聞かれませんでした。特筆すべきことと言えば、奥方が隣国出身だということくらいですね。ヘレナの珍しいピンクブロンドはその遺伝だと考えられます」
「ふむ。令嬢本人に接触もしてみたのだろ?」
「はい。私が見た限りでは、令嬢自身も問題のある人格とは感じられませんでした。接触を重ねれば、何か不審な点が見つかる可能性もありますが。……しかしそれより気になったのは、周囲の男の常軌を逸した様子です」
侯爵は眉を跳ね上げる。
「常軌を逸した? 穏やかではないね」
「そうとしか申しようがありません。およそ理性ある貴族男子がご令嬢にとるとは考えられない振る舞いでした」
オリヴァーは、彼がバラ園で目撃したことを話す。その上で、本人から聞き取った話をもとに追加調査を行ったことも添えた。
「ヘレナ嬢が名前を挙げた数人の若者についても探ってみました。いずれも彼女と同等か、それよりも位の高い貴族の男子です。すると、彼女の申告の通り、社交の場で許容範囲を超えて彼女に近づこうとしたり、既に婚約者のいる者に関してはその相手を邪険にしたり、といったことが聴き取れました」
コンスタンスがアイリスに聞いてきた話の通りである。
侯爵はちら、と妻に目配せする。今度は彼女が口を開き、娘を促した。
「コンスタンスは? その顔は、何か聞いてきたことがあるのでしょう」
「……はい、アデルさんに若い人たちの様子を聞いてきました。だいたいオリヴァーの言ったことと同じですけど……アデルさんから見て、ヘレナさんは困っているようにも見える、というのと、あとは、二ヶ月ほど前に外国から帰ってきてからそうなった、って」
「そうなのね。……オリヴァー?」
「はい。確かに今年の初頭から半年ほど、ジグタフに滞在していたと、私の調査にもありました。先ほど言った奥方の生国ですね。見聞を広めるといった理由で、親戚の家に」
侯爵は腕を組み、うなる。
「ジグタフ……精霊信仰が盛んな国だね」
夫人も頷いた。
「妖精を見た、という人も、過去から現在に至るまで多くいる国ですわね」
そして、若い二人に目を向ける。
「コンスタンス、オリヴァー。いい機会でしょう。あなたたちに伝えておくことがあります」
──加護、というのを聞いたことはあるだろうか。
夫人はそう切り出した。
「ええと……神様や精霊に見初め……認められた? 人が授かる、不思議な力のことでしたっけ」
「『この国では馴染みがない概念ですが、世界では珍しくはあれどあるところにはある』。そんな風に教わりましたが」
どうやらオリヴァーは『仕事』の関係でコンスタンスより一歩先の知識があるようである。……これはコンスタンスの勉強不足ではない、たぶん。
「ええ、そうね。そして、私の祖国は『あるところ』でした」
母は微笑む。
神や精霊が、人を気に入って、力を与える。
母の国では、特に皇族にその力を与えられる例が多かったという。
「祝福であり、正しく使わなければ呪いともなる……。そんな力を、私も与えられています」
「えっ」
コンスタンスは反射的に声を上げ、オリヴァーも目を見開いた。
「代々、皇族を守護している神様に、目を掛けていただいたの」
今まで黙っていてごめんなさいね、と元皇女は続けた。
「私の力は『縁』を結ぶこと。この国にお嫁に来られたのはそのおかげでもあるわ。……もちろん、加護をいただいた皇女を国から出すのはどうかって反対もあったのよ。でもね、旦那様との出会いも『加護』──神の導きの一部ではないか、と」
加護持ちの身に起きることは神や精霊の意志の一端であり、邪魔をするべきではない。祖国にはそんな考えがあるという。
「それに私の力は『縁』ですから、最終的には、国と国の仲をとりもつことを期待されてね」
「なるほど……」
コンスタンスは何度もうなずいた。突然壮大なことを告げられた気分だが、言われてみれば腑に落ちるところもある。
母親が帝国の皇女だということは知っていたが、異国のいち外交官であった父のもとにどういうやりとりがあって嫁いできたのか、今までは詳しく知らなかったもので。
縁の加護があると聞けばそこは納得だし、母がこの国の社交界でいきいきと活躍しているのにも頷ける。
「当然、私の加護のことは王家もご存知です。王家は外交上、他国の風習にも精通していなければなりませんしね。もちろん、あるところにはある『加護』についても」
「そうだったんですね……」
咀嚼しているコンスタンスの傍らで、オリヴァーといえば、はっと身じろぎした。
「今、そのお話をしてくださったということは、まさか」
侯爵が頷く。
「ああ。我々はその令嬢が、加護持ちではないかと疑っている」
「二人で彼女と周囲の殿方の様子を観察してきました。専門家の鑑定がまだですが、ほぼ間違いないと思っているわ」
夫人は困ったように首をかしげる。
「加護は、個人差がありますけど、だいたい十六歳ぐらいの頃に授かることが多いの。年回りもちょうどそのころだし、さっき言ったように、あの子が訪れていたのがジグタフなら、精霊と接触することもあったかもしれないわ」
なるほど。コンスタンスは納得しかけて、ふと気になった。
「……本人が困るようなことでも、加護が原因なんですか?」
「そうね。呪いにもなる、と言ったでしょう。使い方を知らないと、周囲に不幸をまきちらしたり、本人が身を持ち崩したり、といったことも起こりうるわ」
うわあ。
「怖いですね……」
「そう、怖いのよ。……ここできちんと対処しないといけないわね」
「はい」
さて、と侯爵が話をまとめにかかった。
「とりあえずこの件については、陛下にご報告申し上げる。それから」
「ええ。祖国に連絡を取ってみるわ。できれば専門家を招聘したいわね」
コンスタンスも気合いを入れ直した。今日は水を向けてもらう前に申し出る。
「私にも何か、できることはありませんか?」
「そうだな。年が近い方がいいこともあるだろう。令嬢に話をしてみてくれないか?」
……よし。