王太子殿下の婚約者
その日の社交は、若い貴族が集う室内音楽の会だった。
王族もお出ましになる、男女が交流するには絶好のチャンス。
ところが、フロアの一角、アイリスが腰掛けるソファの周りには、異様なくらいご令嬢が集まっていた。
それも仕方ない。本来ならば彼女たちをエスコートしているはずの貴公子が、皆こぞって別の一角にたむろしているのである。
軽食が用意され、立ってつまめるようにされているテーブルの傍ら。
両手の指の数ほど固まっている殿方の中心に、一人の少女がいる。
ヘレナ・ヒギンズ。ヒギンズ男爵家の娘。
大きな目にふっくらとした頬はあどけなさを感じさせ、世にも珍しいピンクブロンドの髪が、ふわふわとその周りを彩っている。
背は小さめ。その仕草も令嬢としては子供っぽく、同じ女から見て惹かれるようなところはない。
取り巻きはさっきから、競うように食べ物や飲み物を手渡し、何事か話しかけている。
──あれが、今の社交界の若者の中では一躍話題を独占しているのだ。
「アイリス様……」
令嬢たちは皆、自分の婚約者や兄弟が、親鳥のようにせっせとヘレナの世話を焼くのを見つめている。
「しゃんとなさい」
アイリスは公爵令嬢である。今日の会では王族の次に位が高い。
なので、周囲を叱咤して、自分も伸ばした背筋を見せつけるように悠然と振る舞うが、彼女たちの気持ちは痛いほどよくわかっていた。
なぜなら、集団の中心近くで、ヘレナにひっきりなしに声を掛けているのは──
ジュリアン殿下。この国の王太子にして、アイリスの婚約者だったから。
*
「──といった具合ですのよ」
「……ええ」
コンスタンスは神妙に頷いた。
ここはアーヴィン公爵家のサロンである。公爵家令嬢、アイリス・イングの招待を受けてのティータイムだ。
「(内密に相談したいことがある、っていうから、どんなことかとおそるおそる来てみたんだけど……)」
席に着くなりされたのは、若い貴族男女の現状的な、以上の話だった。
コンスタンスは十四歳、デビュタントにはまだ一年と少しを残しているので、まだ縁の薄い世界である。
「それで……、ご相談というのは」
そうね、とアイリスは茶で口を湿らせる。
「……何でも、あなたは『当て馬令嬢』として、数々の若い方の悩みを取り去っているとか」
……え。
「いえ、そのようなたいしたことは」
まさかここでぶっ込んでこられるとは思わず、反射的にコンスタンスは否定した。が、このお嬢様、高貴な者らしく意に介さない。
「そこでお聞きしたいの。この状況を、何とか打開する策はないかしら」
「……ええと」
「無理は承知の上です。駄目でもともと、という言葉もあるでしょう。でも、何かお知恵があればお借りできないかしら」
……困った。
*
「──ということでした」
その日の夕刻。フルーセル侯爵邸にて、コンスタンスは両親とオリヴァー相手にアイリスから受けた話を伝えていた。
結局彼女には、当て馬事業はコンスタンスの本意ではなく、偶然の結果であることを話してわかってもらえはしたが、貸せる知恵ももちろんなかった。
偶然を狙うにしても、コンスタンスと王太子のお見合いを企てるわけにはいかない。それで残りの時間は和やかにお茶をいただいて帰ってきたのだが。
「私としましても、この話が本当なら捨て置けないなと思って……」
「ふむ」
父、フルーセル侯爵があごをさすった。
「若い人たちの間が少しざわついているのは感じていたが……。アイリス嬢が危機感を持つほどだったか」
母も頷く。
「年若いご令嬢には独特の社交もありますからね。それに、婚約者の王太子殿下が入れ込んでいるというのであれば、気を揉まれるのも仕方がないわ」
「そこも気にかかるところだな。殿下は、日頃どちらかと言えば理性的な方で、感情に流されるようなところは拝見していない。王族は国のために働かれる、ということをしっかり身につけられていて、婚約者を大切にされなければならない、というのもよくご理解されているようにお見受けしていたが」
「ヘレナさんという方に近づかれるのは、不自然なの?」
「そうだな。……およそ浮気心などといった言葉とは無縁でおられる……ふむ。よろしい」
父は即座に方針を定めたようだ。即断即決、貴族としてはやや軽すぎるフットワークかもしれないが、王国の影を務める一家の通常運転である。
「少し調査の必要がありそうだな。オリヴァー」
黙って控えていた従者がはい、と返事した。
「ヘレナという令嬢を探ってみなさい」
ベテランの影たちを動かす必要はないが、状況の把握をしておきたい。そんな采配だった。
コンスタンスは、つい、むっとしてしまった。私が持ってきた話なのに、こいつの仕事になっている……。
それを察したかのように母が笑い声をあげた。
「ふふふふっ。……コンスタンスも、ご令嬢との交流で何か耳にしたら、教えて頂戴ね」
「……はい!」