第9話 生活安全課はとりわけ物騒です
「……タマキ後輩? 顔色が悪いです。疲れてしまいましたか?」
「えっ?」
ハッと我に返ると、自分よりも少しだけ上背のあるシータが、腰をかがめてこちらの顔を覗き込んできていた。
感情が読み取りづらいその顔に浮かんでいるのは、ほんの少しの心配だ。
「……いえ、少しぼんやりしてしまっただけです。ご心配いただきありがとうございます」
「そうですか。先輩ですから、後輩の面倒を見るのは当然です」
いまいち噛み合わない会話をしながら、二人は生活安全課へと帰還する。
市庁舎の二階奥に位置する生活安全課は、総合窓口課とはまた違った緊迫感に満ちた場所だ。
生活上の「お困りごと」を解消するというのが、一般的な生活安全課の役割だが、このトコヨ市においてはその解釈の幅はさらに広がる。
「先ほども説明した通り、トコヨ市には警察もいなければ法律もありません。文字通りのアウトローです。あるのは行政から独立した複数の自警団と、市役所と彼らの間で締結された協定だけです」
「だから、生活安全課は本来警察が行うべき業務も対応しているということですね」
その情報を知った上で改めて生活安全課を見回すと、彼らの纏う雰囲気はただの市役所職員というよりも、歴戦の刑事のようにすら見える。
どこにでもいそうな普通のおじさんやおばさんが刑事じみたオーラを放ちながら仕事をするのに感心していると、「普通のおじさん」という概念の塊のような人物――安穏室長が、マグカップ片手に声をかけてきた。
「実際、生活安全課だって名乗れば多少の無理は通るからね。『動くな、生活安全課だ!』ってさ。刑事物みたいでかっこいいよねー」
そう言って能天気に笑う安穏からは、他の生活安全課の面々が有している強者の雰囲気が一切感じられなかった。
本当に、どこからどう見ても、ただの冴えない中年男性だ。
「二人ともお疲れ様。市庁舎内の案内は終わった?」
「はい、終わりました。完璧です」
「完璧に頭にたたき込みました!」
キリッと答える二人に、安穏は苦い顔になる。
「二人そろって完璧と言われると不安になるなあ。まあいいや、二人が案内に出ている間に、タマキくんの机を用意したよ。あとで確認しておいて」
「はい、ありがとうございます!」
「もう少し声量は控えめにね。他の職員もいるんだから。上司相手だからって声を張らないでもいいよ」
「はい! ……以後、気をつけます」
つい癖で元気よく返事した後、タマキは縮こまって反省する。周囲の職員たちは、ぎろりと険しい目をタマキに向けていた。
居心地悪そうにしているタマキをまあまあと慰め、安穏は小さなピルケースを差し出した。
「それからこれ、飢餓の抑制剤だよ。定期的に支給されるから欠かさず飲んでね」
「抑制剤……」
複雑な面持ちでタマキはピルケースを受け取る。
飢餓を発現し、抑制剤を投与されて、自分はこの町に追いやられた。だが、抑制剤を打っていたのにもかかわらず、自分は初日から飢餓に飲まれてしまいそうになった。
今、手の中にある小さな錠剤が、本当にあの衝動を抑え込んでくれるのか。
そうやって無条件に信じることができないのも仕方ないことだった。
「大丈夫ですよ、タマキ後輩。この抑制剤はトコヨ市で開発された特別製です。極端なストレスに晒されない限り、飢餓に飲まれて暴走することはありえません」
「そう、ですか。……そんな薬があるなら、外にも出回っていそうなものですが」
「ああ、それは――」
シータは何かを言いかけたが、それを遮るように安穏は大声を出した。
「あーあー! それより! タマキくんにやってもらわなきゃいけない一番大事な最初の仕事があるんだけどー!」
突然の大声にシータは動きを止めると、冷静に安穏に返した。
「室長、うるさいですよ」
「うっ……誰のせいだと……」
周囲の職員からの冷たい目から逃れるように、安穏は早口でタマキにまくしたてる。
「一番大事な仕事っていうのはね、関係各所との顔合わせだよ。僕たちは人に接するのが仕事だからね。まずはご挨拶に伺って信用を勝ち取らないといけないんだ。というわけで君には今日、一緒にトコヨモーターに行ってもらうね」
「ト、トコヨモーターですか?」
その会社名は、さすがのタマキでも知っていた。
トコヨ市に大穴が空く以前、トコヨ市に本拠地を置いていた超巨大製造メーカー、トコヨモーター。
自動車から大型船舶まで、ありとあらゆる輸送機器を開発していたトコヨモーターは、かつてトコヨ市の経済の七割を担っていたと言われており、国内のみならず海外でも高い評価を得ていた。
だがトコヨ市が厄獣指定都市となって以降は、その勢いは見る影もない。
ある意味では厄獣の存在で起こった変化によって、一番のあおりを食らった存在だと、外の世界では認識されている。
「トコヨモーターが、まだこのトコヨ市にあるんですか? ここは封鎖された厄獣指定都市ですよ?」
「タマキ後輩、トコヨモーターなんだからトコヨ市にあるのは当然ですよ」
「それはそうかもしれませんがそういう話ではなく」
いまいち納得できていないタマキに、安穏は苦笑を向けた。
「まあ、事情については道中に話すよ。多少、込み入った話題だし」