第8話 市役所はどこも忙しいです
「――と、大体こんな感じでしたね」
体験した出来事に私見を添えて、タマキは語り終える。
機械じみたリズムで叩かれていたキーボードの音がぴたりと止まり、夕暮れのオフィスでシータはふうと息を吐いた。
「なるほど。報告書はこうなりましたが、いかがでしょうか」
タマキがパソコンのモニターを覗き込むと、お手本のような文章で事件の経緯と所感が、報告書のテンプレートに書き込まれていた。一応その内容を確認していると、シータはほのぼのとした言い方でこう宣った。
「それにしてもタマキ後輩の目から見た僕について聞くのは、なんだか楽しいです。後輩に慕われる素晴らしい先輩である自信が持てます」
「……」
シータの言葉に、タマキは複雑な表情で押し黙った。何しろ彼には、先輩として世話になったことより、迷惑を被ったことのほうが圧倒的に多かったので。
タマキは一呼吸置くと、わざとらしい声色で言い放った。
「えっ、アナタ、楽しいという感情があったんですか?」
「……タマキ後輩?」
目を細めて心なしか拗ねたように見える表情で、シータはタマキの顔を見る。タマキは含み笑いをしながら答えた。
「ふふ、冗談ですよ。揶揄っただけです」
「なるほど、冗談でしたか。では許しましょう。相棒と軽口を叩き合えるようになったことは喜ばしいことですし」
「そうですね。そういうことにしましょう」
ズレた返答を繰り返すシータを手のひらの上で転がし、タマキはモニターから遠ざかる。
「では、次の報告書にいきましょうか」
「はい、タマキ後輩が二度目に担当した事案といえば――」
*
トコヨ市には電話が通っている。
さすがに壁の外とのやり取りは制限されているが、市内であれば大抵の場所に電話線が張り巡らされているし、全市民のうち三人に一人はスマホを所持しているという統計もある。
つまり何が言いたいかというと――
「お電話ありがとうございます、こちらトコヨ市役所総合窓口課です。……え? 隣人の育てている植物が羨ましいから欲しい? 直接言うのは難しいからどうにかならないか? お隣の方に直接言えばいいんじゃないでしょうかねぇ! 失礼します!!」
――トコヨ市役所は、多種多様なクソ電話がひっきりなしにかかってくるゴミ溜めだということだ。
「見てください、タマキ後輩。ここが総合窓口課。市役所に押し寄せる市民さんたちからの『ご意見』を選別して各部署に振り分ける、いわばフィルターや防波堤のような方々です」
無遠慮に人を指差しながら、シータは平坦に説明する。それに対して勢いよく立ち上がって反応したのは、つい数秒前に電話をガチャ切りした年配の女性だった。
「他人事みたいに言ってんじゃねえぞ鳥羽シータぁ! テメェにだけは絶対に電話を引き継げないせいで、迂闊に『厄対』に転送できなくて困ってんだぞ!!」
「失礼ですねキイコさん。僕だって電話応対ぐらいできますよ。どうして僕に転送してくれないんですか?」
「テメェに繋いだ案件という案件が全部炎上してるからだろうが! この放火魔!」
「まだまだ伸びしろがあるということですね。褒めてください」
「ぐぎぃいいいいい!」
地団駄を踏んで悔しがる彼女の迫力に引きながら、タマキはシータに尋ねた。
「あの……あちらの方は?」
ちなみに現在、シータはタマキに職場を案内している真っ最中である。
シータは再び女性を指差すと、タマキに彼女を紹介した。
「鉤塚キイコさん。トコヨ市が厄獣指定都市になる前からこの市役所に勤めている生き字引とも言える古株です。困った時は頼るといいですよ」
「シータぁ! まさかテメェ、新入り全員にそう言って回ってるわけじゃないだろうなぁ!? あらゆる部署の新人から相談が来るんだが!?」
「はい。キイコさんは尊敬できる方なので、ちゃんと周知しています」
「シータァああああ!」
まさしく鬼の形相で声を荒げるキイコに、別の窓口に何かの相談に来ていた様子の一ツ目の鬼がびくっと肩を震わせる。
本物の鬼をも怯えさせる迫力に困惑しつつも、さすが古株は違う、とタマキは場違いに感心した。
「それではお邪魔しないように、僕たちはこれで失礼しますね。行きましょう、タマキ後輩」
「待てコラてめっ……!」
追いすがろうとしたキイコの机から、再び着信音が鳴り響いた。
「チッ、はい、もしもしぃ! お電話ありがとうございますぅ!」
鬼気迫る雰囲気が満ちた総合窓口課を離脱し、タマキはようやく一息つく。
到着早々体験した、騒がしくも価値のあるトコヨ市の日常を経て、タマキは厄獣に対しての態度を少しずつ変えていこうと決意した。
だが、壁の外では彼らは単なる害獣。駆除対象だ。
少なくとも自分は、そう教えられて今まで生きてきた。
だから何度見ても当たり前のような顔をして、普通の人間のように生活をしている厄獣にはなかなか慣れない。
今まで自分が何も考えずに駆除してきた厄獣たちにも、こうやって平穏な日々を送るだけの知性があったと見せつけられているようで。
――ダメだ。それでも俺は、厄獣の存在を受け入れるわけにはいかない。いくら厄獣が知性的な存在でも、『彼女』に対する憎悪だけは忘れていいはずがない。
東雲マドカ。俺を裏切った、実の母親だけは。