第7話 あくまで先輩風は吹かせるつもりです
「キュイイーーーー!!」
それは、トコヨ駅で窃盗未遂をしたあの母親の厄獣だった。人間を庇った同族の姿に、テンたちは足を止める。
「キィキィ! キュイ!」
母親は手に持ったチラシを振りながら、身振り手振りを交えて同族たちを説得している。タマキはすぐに状況を飲み込めず、呆然と呟いた。
「あの時の……どうしてここに……?」
「僕たちの車の後部座席に乗って、ついてきていましたよ。同族が暴れ回っていると聞いて、いてもたってもいられなくなったのでしょうね」
「な、なんで後ろにいると気づいた時に言わないんですか!?」
「害意はないし別にいいかなと思いまして」
「ホウレンソウって言葉知ってます!?」
シータのぼんやり具合に噛みつきつつも、タマキは説得を試みている母親に視線を戻す。母親のもとには遅れて子供の厄獣がやってきて、ぎゅっと母親に寄り添いながらも声を張り上げていた。
「キィ! キュッキュッ!」
「キュア! キュイ!」
彼らの言葉はタマキには分からない。だが彼らの持つチラシから、何を言っているのかは理解できた。
『お困りの方は、まず市役所へ!』
ポップな書体で書かれたその文面の下には、市役所に通じる電話番号が記されている。
「キュイ! キュキュ! キュー!」
母親は必死になって声を張り上げるも、群衆の怒りは収まらない。不穏な空気が高まっていくのを察したのか、母親は子供を自分の背に隠した。
「キューーーーッ!」
子供を守ろうと果敢に毛を逆立てる母親。その背中に、タマキは見覚えがあった。
『大丈夫よ。タマキのためなら、お母さんは何でもできちゃうんだから』
自分を背中に庇い、決死の覚悟で敵と向かい合っていた女性。
東雲マドカ。自分の母親。憎むべき厄獣。
だけど、あの瞬間に自分を庇っていたのはきっと嘘じゃない。
複雑な感情が入り乱れるのをぐっと堪え、タマキは母親の厄獣に歩み寄った。
「……市民さん、こちらお借りします」
「キュイ?」
戸惑う母親の横を通り過ぎ、タマキは群衆の目の前に立った。つい先ほどタマキが鎌の腕を形作っていたのを見ていたせいか、群衆たちは怯んで動きを止める。
タマキはそんな彼らの前に、チラシを掲げた。
「市民の皆さん、聞いてください!」
腹の奥から発したタマキの声は、メガホンを通したシータの声よりも、朗々と辺りに響き渡った。
群衆たちは舌禍を受けた時よりも長く硬直し、自然とタマキの話を聞く姿勢になってしまう。
その隙をつくようにタマキはさらに声を張った。
「俺たちはあなたがたに危害を加えるつもりはありません! あなたがたを守りたいだけなんです!」
タマキの言葉に、群衆たちは顔を見合わせてざわめき始める。
「このままではあなたがたは駆除対象となってしまいます! 本当にそれでいいんですか!?」
ダメ押しのように問いかけると、群衆はさらに怯んだ。唯一微動だにしないのは、先頭に立つ群れのボスだけだ。
どういう事情があるかは不明だが、ボスは覚悟を決めた面持ちをしていた。離れて言葉を投げかけただけで、自分一人の力では一歩も譲歩させられないと確信できるほどに。
だが、そんなタマキとボスの作り出した拮抗を、あっさりとシータは踏み越えた。
「なるほど。窓口が分からなかったのですね」
そう言いながら、まるで散歩でもするかのようにトコトコとシータはボスに近寄っていった。
「市民さん、こちらのチラシをどうぞ」
「ギィ、キュ」
「こちらのチラシを市役所に持参していただければ、問題解決のお力添えができます」
「ギィ! ギギィ!?」
「はい、もし約束を違えたら、僕たちのことを殺してくださって構いません」
「…………はあ!?」
遠くで自分の命がついでのように賭けられたことを悟り、タマキは一瞬遅れてから声を上げる。
だが話し合いをしている二人は、そんなタマキのことなど気にせず、穏やかに話し続けた。
そして数分後。
話がまとまったらしいボスは群衆に号令をかけて、彼らを解散させた。
寄り集まっている時は巨大な生き物にすら見えた群衆たちだったが、解散の号令を受けた途端あっという間に人々の足元をすり抜けて姿を消していく。
残されたボスはのしのしとタマキの目の前までやってくると、ニヒルな笑みを浮かべて言った。
「キュイ、キュー!」
「え? はあ、そうですか」
何を言われたのか分からず無難な相槌を打つと、ボスは満足そうに去っていった。ぼうぜんとそれを見送るタマキに、シータは解説する。
「『ありがとな、肝の据わった坊ちゃん』だそうです」
その途端、タマキの表情は渋いものになった。
いい歳をして坊ちゃん呼ばわりされたこともショックだったが、それ以上に感謝をされたということを受け入れられなかったのだ。
彼らを説得した言葉は自分自身の本心ではない。シータに言われたことをそのまま伝えただけの借り物の言葉だ。だから感謝される権利なんて自分には――
「助かりました、タマキ後輩。声が無駄に大きいのはあなたの美点ですね」
「は?」
だからと言って余計な一言を付け加えて感謝されると、それはそれで腹が立つ。野次馬たちも解散して、公の目から解放されたタマキは、苛立ちもあらわにシータを睨みつけた。
無言で睨みつけてくるタマキに、シータは小首を傾げる。
「タマキ後輩、もしかして怒っていますか?」
「ええ、あなたの物言いはいちいち腹が立つので褒められた気がしません」
「そうですか。初仕事を成し遂げた後輩を素直に褒めたつもりでした。すみません」
そんなことを言いながら、シータは目に見えて肩を落とす。
「初めての後輩ができたので立派な先輩として可愛がりたかったのですが、失敗してしまったようです」
その言葉にタマキは硬直し、今までのシータの言動を思い返す。
確かにいちいち癪に触る言い方をしていたが、その内容は一貫して立派な先輩として振る舞おうとしていただけのように思える。
先輩と後輩というのを強調していたのも、弟妹が生まれてお兄ちゃんぶる幼児だと思えば腹も立たない。比較的だが。
しょんぼりと縮こまるシータを、タマキはじっと見下ろした後、大きくため息をついた。
「こちらこそ、すみませんでした。あなたに八つ当たりをしていました。あなたは俺を案じてくれていたのに」
自覚はなかったが、トコヨ市送りになったことは自分の精神に多大な負荷をかけていたのだろう。
それを自覚してしまえば、目の前の年下先輩の配慮に欠けた発言も許せる気がしてきた。
大人の対応としてタマキがそう謝ると、シータは何度か瞬きをした後に心なしかキリッとした表情になった。
「先輩です」
「は?」
「シータ先輩と呼んでください」
「……」
どうやらこの幼さを残した先輩は、先輩ぶりたくて仕方がないらしい。
だが素直にそう呼んでやるのも癪だったタマキは、偉そうに言い放った。
「アナタが尊敬できる先輩だと認めたら先輩と呼びますよ」
その途端、シータはパァッと花が咲いたような笑顔になった。
「約束ですよ? 僕はとても有能ですからきっとすぐに先輩と呼ぶことになります。その時が楽しみですね」
上機嫌そうに言ってマイペースに歩き出すシータの背をゆっくり追いかけながら、タマキは小さく笑った。