第5話 雑居ビルは封鎖されています
翌朝、トコフェスは二日目を迎え、町の各所で牧歌的なイベントが始まろうとしていた。
体験イベント、移動動物園、商店街のスタンプラリー。夜通し営業していた出店は次のシフト人員へと交代し、市民コンサートのリハーサルの音が朝のトコヨ市にぼんやりと響き渡る。
そしてその直前。
キープアウトのテープが張られ、祭りには相応しくない物々しさを醸し出す場所に、タマキとシータは足を踏み入れていた。
「お疲れ様です! 厄獣対策室、只今到着いたしました!」
「おはようございます……ふわぁ……」
顔にガーゼを貼り付けた状態で元気よく挨拶をするタマキの隣で、シータはぺこりと頭を下げたあとに大あくびをした。
そんな二人をはつらつと迎えたのは、民間武装会社のケイキだ。
「おう、来たか! わざわざ来てもらって悪いな! 俺は呼ばなくてもいいんじゃねぇかって言ったんだが……」
「馬鹿者。こういう時にこき使わないで何が厄対だ」
ケイキの隣で不機嫌そうに腕を組んでいるのは、この場の総責任者であるフタバだった。
そこはかとない苦手意識のある女性を前にして、タマキは自然と背筋を伸ばす。一方、隣のシータは警戒心の薄い野生動物のように、無防備にフタバへと歩み寄っていった。
「はい、こき使われるために来ました。僕たちは何をすればいいでしょうか」
「……フン! こっちに着いてこい!」
珍しく余計なことを言わなかったシータに面食らいながらも、フタバは鼻を鳴らして踵を返し、現場である雑居ビルへと入っていく。ケイキはひょいっと肩を竦めた後にそれに続き、タマキたちも慌てて彼らについていった。
雑居ビルの内装は決して綺麗とは言えなかった。
四人が上っていく狭い階段の壁は塗装がはげ、年季の入ったコンクリートがむき出しになっている。壁や階段のところどころに亀裂があり、階段の滑り止めがボロボロになっているのを考えるに、少なくとも築三十年は経っているだろう。
もしそうであれば、ここはトコヨ市が厄獣指定都市になる以前から建っている建物ということになる。
そんなことを考えながら周囲を観察しているタマキに、先導するシータが振り向いた。
「タマキ後輩、このビルが気になるんですか?」
「はい。このビルは結構古いなと思いまして。その割に各階にテナントは入っているようですし」
通りすがりに二階を覗き込むと、占いの店とスポーツ用品店の入口が見えた。どちらも立派な店構えとは言えないが、荒れ放題になっていないのを考えるに、今でも営業を続けているようだ。
「そうですか。タマキ後輩はまだまだ新入りなので説明します。聞きますか?」
「助かります。よろしくお願いします」
いちいち気に障る一言が混じるしゃべり方にも慣れてきたタマキは、素直にシータの提案を呑む。シータは心なしか嬉しそうにしゃべり始めた。
「市役所のあるここ東区には、大穴崩落以前から存在するこういった雑居ビルが残っているんです。まだ綺麗な階には先ほどのように店が入っていますし、整備されていない部屋には浮浪者の方々が住んでいたりします」
「なるほど……」
タマキは一旦納得したが、同時に新しい疑問が頭の中に浮かんできた。
「その浮浪者の方々はどうしてこんなところに住んでいるんです? 市役所ではそういった方に対して衣食住の支援を行っているし、他の地区でも貧困への対策はしているはずですが……」
この雑居ビルはハッキリ言って廃墟寸前の有様だ。雨漏りの痕跡があちこちにあるし、空調も存在していないだろう。それどころか、少し天変地異に見舞われただけで崩落してしまいそうな雰囲気すらある。
市役所や各地区のトップを頼れば、もっとマシな場所に住むことができるのに、ここの浮浪者たちはどうして敢えてこんな建物に住んでいるのか。
もっともであるその疑問に答えたのは、シータではなく、さらに前を歩くケイキだった。
「それはな、公の支援を受けて管理されたら困る奴らが、密かにたむろってるからだよ」
「え?」
そんな人々に思い至らなかったタマキは、理解できずに目を丸くする。
タマキがこれまでの人生でそういった存在に出会ったことがないのだと察したケイキは、苦笑しながらも続けた。
「要するに反社会勢力だな。五つに分かれた地区のどこにも所属したくない奴らが、こういう廃墟寸前の場所にアジトを作って暗躍してるってわけだ」
「反社会勢力……ヤクザということですか?」
「はは、ヤクザならまだ話が分かるんだがな」
乾いた笑いを浮かべるケイキの話を、シータは引き継いで説明する。
「こういうところにいるのは、反体制主義の過激派さんたちです。爆弾を作ったり、有力者の暗殺をもくろんだりしているんです。テロリストと言えば分かりやすいですか?」
テロリスト。
外の世界では縁遠かった存在の話を出され、タマキはあっけに取られる。
話を聞く限り、種族のるつぼであるこの町は、五芒協定によってやっとのことで作り出された危うい均衡の上にあるはずだ。
そんな薄氷の上の安寧をあえて崩そうとするテロリストの思考が、どうしてもタマキには理解できなかったのだ。
そんな話をしているうちに一同は最上階である五階に到達し、フタバは苛立ちを隠さない目を背後のタマキたちに向ける。
「雑談はそれぐらいにしろ。仕事にかかるぞ」
「は、はい!」
「はい」
「はいはいっと」
三者三様の返事を聞き届け、フタバは眉間に皺を寄せたまま五階のテナントのドアを開ける。
そこにあったのは――天井が破壊されて陽光が降り注ぐ瓦礫の山だった。




