第4話 迎え火は焚かれました
そしてトコフェス初日、17時45分。
トコヨ神社内に設置されたトコフェス運営本部で、生活安全課の面々は最終調整を行っていた。
皆の前に立つのは結城フタバ課長。彼女に睨みを効かせられたトコヨ神社周辺担当の職員たちは、皆、背筋を正して傾聴の姿勢を取っている。
そんな集団の隅っこに、安穏とココは「場違いじゃないかなあ」という顔で立っていた。
「この後の流れを確認する。18時、大穴を塞ぐイワヤド門をヤトが開き、『客人』をトコヨ市に招き入れる。同時に、『托卵』の巫女たちが迎え火を携えた神馬に乗ってそれを誘導する。18時15分頃、運営本部のあるトコヨ神社へと『客人』行列が到達する。我々の最初の仕事は、『客人』たちが行列から外れた時、市民に被害が出る前にそれに対処することだ。……安穏室長、名簿の手配は終わっているな?」
「は、はいっ! もちろんです、もちろんですとも!」
急に話を振られた安穏は、声を裏返しながら返事をする。その情けない姿を嘲るようにフタバは鼻を鳴らし、話を続けた。
「厄獣対策室によって術式に組み込まれた名簿は、トコヨ神社を経由した『客人』に追跡マーカー付きの首輪をつける。誠に忌々しいことだが、首輪のついた『客人』はトコフェス中の市内での行動が自由になる。本当に、腹立たしいことだが」
苦虫を噛み潰したような顔で、フタバは言う。生活安全課の面々は、うんうんと頷いてそれに同意した。
「だが安心しろ諸君。市民に危害を加えようとする『客人』には、我々生活安全課が処分を下してもいいという権限が与えられている。ゆえに、非常時は迷わず撃て! 敵を見逃すな! 私からは以上だ! 解散!」
「はい!」
上司に檄を飛ばされ、職員たちはきびきびとした動きで各自の持ち場へと散っていく。ここにいない生活安全課の職員たちも、今頃は大穴の近くで配置についていることだろう。
ようやくフタバのプレッシャーから解放された安穏は、へにゃりと眉を下げながらココに問いかけた。
「まあそういうわけで。ムラサキカガミの件でタマキくんが抜けてのスタートになるけど、ココちゃんのほうは問題ない?」
「はーい、なんとかなりますって。どうせ不測の事態が連続するのがトコフェスなんですから」
「縁起でもないこと言わないでよ! 今年は滞りなく終わるかもしれないじゃん!」
「ははは、ないない」
軽い調子で会話をする二人は、緊迫した空気を醸し出す周囲からは浮いている。他の職員たちからは邪魔者を見るような目を向けられていたが、だがそんなどうでもいいことを気にするほど、安穏とココのメンタルは繊細な作りをしていない。
「室長、出店の食べ物で何が好きです?」
「ええー? イカ焼きかなぁ、最近食べれてないけど」
「タマキくんたちが買ってきてくれることに期待ですねぇ」
安穏たちはほのぼのとした会話を繰り広げながら、トコヨ神社の本殿へとたどり着く。
トコヨ神社は、トコヨ市に大穴が空いてから作られた建造物だ。神社としては最低限の造りしかしておらず、建築された所要時間も、外の世界の建売住宅程度のスピーディなものだ。
仮にもトコフェスという重大行事の会場となる場所が、どうしてそんな造りをしているのかというと答えは一つ。
トコヨ神社は、毎年何かしらのイレギュラーで破壊され、建築し直されているからである。
「今年はトコヨ神社、何日保つと思います~? 私は二日目に壊れるのに賭けます」
「縁起でもないなあほんとに。初日に半壊して、三日目に全壊かな」
「じゃあ、当たったほうがジュース奢るってことで」
「はいはい、仕事するよー」
ココの提案を軽くいなし、安穏は本殿の奥の扉を開ける。そこには顔を布で隠した術者が数名控えていた。
木張りの床に書かれた複雑な文様を囲むように、五人の術者が立っている。文様の中心に置かれているのは、『客人』たちに首輪をつけるための呪具と名簿だ。
儀式場の奥に続く扉は開け放たれ、外へとつながっている。ここに入ってきた者は呪具の上を通って、向こう側に抜けることができる構造になっている。
いくつか置かれた燭台には火が灯され、術者たちの影をゆらゆらと揺らしていた。
「お疲れ様です。今年もよろしくお願いします」
「お願いしまーす」
安穏たちが頭を下げると、術者は口を開かずに仕草だけで挨拶を返してきた。
彼らも問題なく準備を進めていると判断した安穏たちは、部屋の隅に向かい、固唾をのんで開始の時を待ち始める。
誰一人喋らず、静寂な時間が過ぎていく。衣擦れの音どころか、呼吸の音を立てることすら後ろめたく、安穏とココは石のように固まったまま、視線だけを動かして外の様子を気にしていた。
外から響いてくるお祭りの喧騒は、まるでこの場が分厚い膜に覆われているかのようにひどく遠い。
そのままの姿勢で待ち続けること数分。
不意に、外の喧騒が小さくなり、同時に燭台の炎が風に煽られたように揺れる。
続いて低い地響きのような音が聞こえ始め、『客人』行列が参道に達したのだと安穏たちは理解した。
さらに待つこと数分。蹄の音とともに神馬にまたがった『托卵』が本殿の中に駆け込んできて、儀式場に馬に乗ったまま飛び込むと、文様の中心の呪具に迎え火の松明を近づけた。
炎のほんの一部が触れただけで呪具は燃え上がり、迎え火は灯された。だが、その只中にある名簿は不思議と燃え尽きることはなく、形を保ったまま燃えている。
『托卵』は神馬を駆って奥の扉から外に飛び出る。数秒遅れて『客人』たちの群れが本殿へとなだれ込んできた。
土石流のような勢いで訪れる『客人』たちは、呪具の上を通過することによって姿を変え、かろうじて人の理解が及ぶ形状になっていく。
手足があり、胴体があり、頭がある。
人間というのは不思議なもので、たったそれだけで得体のしれない存在たちへの抵抗感が薄れるらしい。
無事に姿を変えた『客人』は首輪をつけた状態で奥の扉から出ていき、各々祭りを楽しむために去っていった。
ほんの数十秒の吹き抜ける突風のような時間が過ぎ、残されたのは息を潜めていた安穏たちと、疲労困憊の術者たちだけだった。
「お疲れ様です。外に飲み物が用意してあるので、ゆっくり休んでください」
「はい……」
「ありがとうございます……」
術者たちはふらふらしながら、部屋から出ていく。その後ろ姿を見ながら、ココはしみじみと言った。
「彼らも大変ですよねぇ。要は、あの量の『客人』がはみ出さないようにするための、ガードレール役ですもんね。私がやったら一瞬で吹っ飛んじゃいそうです」
「ほんとにね。なかなか後継者が育たなくて困ってるらしいけど」
「田舎あるあるだ~。年に一度しか出番がないから廃れるやつ~」
ケラケラ笑いながらもココは奥の扉を閉め、安穏とともに手前の扉から本殿に出る。しっかりと扉に施錠をし、安穏はその場で伸びをした。
「ふぅ、なんとか終わった終わった」
「今回は神社が半壊しなくてよかったですねぇ。室長は賭けに負けたわけですが」
「まだわかんないよ!? ココちゃんのが当たらないかもしれないじゃん!」
「あはは~」
ゆるい会話を繰り広げながら、安穏とココは本殿から運営本部へとやってくる。本部は初日の大仕事が一段落ついたという安堵で、先程よりは緊迫した空気ではなくなっていた。
安穏たちが、そのままそこで待機すること一時間ほど。
本部に顔を見せた非番のタマキとシータの姿に、安穏はひっくり返りそうになりながら驚愕した。
「えっ、タマキくん、なんでそんなボロボロなの!?」
「色々ありまして……」
苦笑するタマキの腕の中では、くだんの少年がすやすやと寝息を立てている。常に気を張っている印象を少年から受けていた安穏は、どうやらすべて丸く収まったのだろうと察した。
だが、当のタマキは誰かに殴られたようにあざだらけな顔をしており、隣に立つシータはお面や変なおもちゃや水風船を持って、今まさにお祭りを満喫してきましたと全身で表現している。
厄介ごとの気配に頭痛を覚える安穏に、シータはビニール袋に入ったお土産を手渡した。
「室長、たこ焼きの差し入れです」
「惜しいっ、たこといかの違いか~!」
「うんありがとう、シータくん。で、何があったの?」
気が抜けてしまいながら安穏が問いかけると、タマキは概要を語った。
いわく、市民とのちょっとした小競り合いがあっただとか。
いわく、道を逸れた『客人』に巻き込まれそうになっただとか。
いわく、少年が名前を手に入れただとか。
「なるほどね。その後、お祭りを楽しんで疲れて寝ちゃったってところ?」
「はい、すごく楽しそうで見てるこっちが嬉しくなるぐらいで」
そう言いながら少年を見つめるタマキの目は、立派な親の眼差しをしていた。
……まあ、これなら今後もなんとかなるかな。
安穏は自分の中で勝手にそう結論づけた。
「この後、この子をミハネさんのところに連れていくのですが、こちらは問題は起きていませんか? 必要であればヘルプに入りますが」
「ううん、ここまでは順調だよ。明日からどうなるかはわかんないけど……」
その時、安穏が首から下げていた折りたたみ携帯が明るい着信音を鳴らし始めた。安穏は携帯をわたわたと開くと、電話に出た。
「わわっ、はいはい今出ます今出ますっと……」
通話ボタンを押して耳元に携帯を当て、安穏は用件を聞く。だが話が進むごとに彼の顔は暗くなり、うんざりとしたものへと変わっていった。
やがて通話を終えた安穏は、嫌そうな顔で告げた。
「いつもの事件だ。残念ながら、明日からは地獄になりそうだよ」