第6話 暴力だけでは地方公務員はやっていけません
――数分後、タマキとシータは暴徒と化す寸前の群衆の前で立ち尽くしていた。
群衆を構成しているのは、全て同じ種族のようだ。
胴が長いイタチのような姿をした厄獣、テン。一般的なイタチ程度のサイズの個体から、成人男性ほどのサイズを誇る個体まで、その大きさは様々だったが、彼らに共通しているのは今まさに自分たちに食いかかってきそうなほど怒り狂っていることだ。
シータの手には説得用のメガホンが握られており、厄獣対応のプロである彼が上手く使えば群衆を落ち着かせることも可能――のはずだった。
しかし現実はそう上手くいかず、二人の目の前には怒りに燃えるテンの集団がいるばかりだ。
タマキは冷や汗を流しながら、目の前の脅威から目をそらさずに小声でシータに問いかけた。
「アナタ、さっき華麗な手腕がどうとか言っていませんでしたっけ」
「言いましたね」
「俺には火に油を注いだだけのように見えたんですが」
「そういう見方もありますね」
悪びれもせずそう宣うシータに、タマキは口の端を引きつらせる。
だがそもそも、あれだけ会話するだけで神経を逆なでするような人物が交渉ごとに向かないことぐらい、少し考えれば分かったはずだ。だったら、その愚行を止められなかった自分が悪いのでは?
少々行き過ぎなぐらい責任感の強いタマキは、最悪の事態を止められなかった自分を責め始める。
一方、シータは懲りずにメガホンを構えて口を開いた。
「皆さん、【止まってください】」
シータの舌禍によって、テンたちの動きは一瞬止まる。その静寂を突くように、シータは言葉を続けた。
「無益な戦いは止めましょう。皆さんは弱いんです。ここで暴れ回ってもどうせ皆さんのほうが負けるんですよ」
淡々と告げられたその内容に、数秒間の舌禍の拘束から解放されたテンたちは、一斉に怒りの声を上げた。
「キギィーーー!」
「キュキィギィーーー!!」
あちらの言っていることは分からないが、シータが彼らの怒りをさらに煽ってしまったことは間違いない。冷や汗をかいて固まるタマキに対し、シータは肩を落としてぼやいた。
「困りました。舌禍持ちなのに口下手なのが僕の唯一の欠点なんです」
「そんな悠長なことを言ってる場合ですか!?」
ぼんやりした感想を述べるシータとは対照的に、タマキはすぐにでも始まりそうな戦闘に備えて身構える。
群衆の怒りはどんどんヒートアップしていき、もはや止めることはできない。
タマキは深く息を吸い込んで覚悟を決めた。
「もうアナタには頼りません。あいつらは俺が殲滅します」
余計なことは考えるな。自分は人間でも厄獣でもなく、ただの武器だ。目の前の脅威を排除することだけを考えればいい。それだけが自分の存在意義だ。
刷り込まれた価値観を自分に言い聞かせ、己の中に流れる厄獣の血を喚起する。
腕が鎌の形状を取っていき、戦闘開始まであと数呼吸まで迫り――
「ステイです、タマキ後輩」
シータによって襟首の後ろを掴まれ、タマキはタタラを踏んでよろめいた。
「な、何するんですか!」
「戦闘に移るのはよくありません。あれを見てください」
彼が指さした先を目で辿ると、そこには集まった野次馬や近所の商店の店主らしき人間たちが、テンの集団に物を投げている光景があった。
「迷惑なんだよ、チビども!」
「商売にならないだろ! よそでやれ!」
「キィーーー!」
口々に文句を言う人間たちに、テンも声を荒げて反論している。いくら小さな厄獣だと言っても、テンは人間よりも肉体的に強い。だというのに、人間の市民は彼らのことを一切怖がらずに真正面から抗議の言葉をぶつけていた。
「なんでただの人間が厄獣を恐れずに……」
「そうか、新入りだから知らないんですね。それは仕方ありません」
いちいち腹の立つ物言いをするシータに苛立ち、タマキは眉間に皺を寄せる。
「一体何があるって言うんですか」
「このトコヨ市において人間に危害を加えるということは、人間と厄獣社会の両方を敵に回すということなんですよ」
「両方を敵に回す?」
「人間と厄獣の有力者たちとトコヨ市役所の間で、互いの生活を守るための協定が結ばれているんです。第一条『厄獣は人間を無為に襲うべからず。人間は厄獣を無為に狩るべからず』。これを破った者は両者から一族郎等嬲り殺しにされても文句は言えません」
厄獣が理性的に協定を結び、それに従っているだなんて、にわかには信じ難い話だ。
だがシータがここで嘘をつく意味も見出せず、タマキは困惑しながらテンたちを見やった。
「だったらあの厄獣たちは……」
「人間に明確に危害を加えた時点で、両陣営から駆除対象となります。そして、それは僕たちの望むところではありません」
シータはそう言うと、真剣な面持ちでタマキに向き直った。
「人間であれ厄獣であれこの町にいる以上は行政が――市役所が守るべき正当なトコヨ市民なのですから」
誓いを立てるように堂々と、シータはその言葉を口にする。
「市民……」
ただ出会った厄獣を殺して生きてきたタマキにとってそれは、易々と肯定できない価値観だ。だが、郷に入っては郷に従えという言葉はタマキでも知っている。
自分はもう、ただ厄獣を倒すだけでいい首都防衛隊の捜査官ではない。だから、自分は変わらなければいけないのだ。
タマキは自分の中で燻る反論を飲み込むと、鎌の形にしていた腕をゆっくりと人間のものに戻していく。
「でも、だったらどうすれば……」
途方に暮れた眼差しをタマキは群衆に投げかける。すると群衆の先頭にいた、一際大きなサイズの厄獣と目が合った。
「キィ……キュキュイイーーーー!」
タマキを見て、戦闘態勢を取っていると認識したのか、その厄獣の号令で、テンたちは一斉にこちらに押し寄せてきた。
あれがテンたちの群れのボスだ。それを理解するのは一瞬だったが、タマキはどう動けばいいのか咄嗟に判断できなかった。
彼らを攻撃するのは得策ではない。だが、自分には彼らを足止めする方法はない。だからと言って、彼らの突進を避ければ、後ろにいる人間たちに当たってしまう。そんなことになれば、彼らは全員駆除対象だ。
八方塞がりに陥ったタマキは、身構えた姿勢のまま硬直することしかできない。
その時――甲高い声を上げて、一匹の厄獣がタマキたちとテンたちの間に滑り込んだ。