第17話 パパは超強いです
頭上に枝を伸ばしていた桜の一部が何の前触れもなく折れ、その真下にいた厄獣の頭に勢いよく落下した。
鈍い音と共に、桜の枝は厄獣の頭に激突し、和やかだった祭りの雰囲気は一気に剣呑なものになる。
「っでぇな! なんだいきなり!!」
厄獣は怒り狂いながら桜の枝を投げ捨て、硬直する少年をにらみつけた。
「てめぇ、何かしやがったな」
「ち、ちが、わざとじゃ……!」
ガタガタと震えながら少年は弁明しようとする。
だが、厄獣の怒りは収まらず、少年の胸ぐらを掴んで持ち上げた。
「わざとじゃなかったら何でも許されるのか、アアン!?」
「ご、ごめんなさいっ……!」
身長差のせいで完全に体を吊り下げられ、少年は必死に謝罪の言葉を口にする。
厄獣は、アルコール臭い息を吐き出しながら、そんな少年を嘲笑した。
「ははっ、なっさけねぇ声! 弱すぎて話にならねぇな! ほら、パパとママを呼べよ。慰謝料請求してやるからよ」
「い、慰謝料……?」
「子供の責任を取るのが親ってやつだろ? 可哀想になぁ、お前みたいな悪い子を息子に持って、パパたちも悲しんでるんじゃねぇか?」
ねっとりとそう言う厄獣に、少年はほとんど泣きそうになりながら言葉を探す。だが、目の前の厄獣の言っていることに、少年は反論することができなかった。
自分は悪い子だ。こんな風に能力を暴走させて、迷惑をかけて、トラブルを起こして。
やっぱり、自分はトコフェスに来ちゃいけなかったんだ。
自責の念に押しつぶされそうになりながら、少年はぎゅっと目をつぶる。
その時、頼もしい声が少年と厄獣の間に割り込んできた。
「俺が、その子の父親ですが」
恐る恐る目を開けると、そこには自分をぶら下げている厄獣の手首を、きつく握りしめるタマキの姿があった。
タマキによって握り込まれた厄獣の手首は、握力だけでミシミシと音を立てている。厄獣は一瞬怯んだ後、すぐにその手を振り払い、タマキの顔面を拳で殴り飛ばした。
「っ……!」
悲鳴すら上げられないまま、タマキの体は吹き飛ばされて屋台へと突っ込む。自然と地面に落とされる形になった少年は、やっとのことで顔を上げ、悲鳴じみた声で彼を呼ぶ。
「タマキさん……!」
「はは、親子揃って弱すぎるだろ! 弱すぎて人様に迷惑しかかけられないんなら、生きてる意味ないよなぁ!?」
完全に興奮状態になった厄獣は、少年の髪を掴み上げてねっとりと囁いてきた。
「ほら、言ってみろよ。生きててごめんなさいって。そしたらパパもお前も見逃してやるよ」
「ひっ……」
喉の奥で悲鳴じみた声を鳴らし、少年はぽろぽろと涙をこぼしながら口を動かそうとした。
「…僕、は……」
次の瞬間、何が起こったのか少年はすぐに分からなかった。
数秒経って理解できたのは、自分を拘束していた厄獣の体が吹っ飛んでいったことと、いつの間にか近くに来ていたタマキが拳を振り抜いた姿勢で静止していることだ。
「坊や」
「は、はいっ」
「上着を預かっててくれ」
「え?」
タマキは、油断なく敵をにらみつけながら羽織っていた上着を脱ぎ去り、少年へと投げ渡す。
ほぼ同時に、タマキの一撃によって吹き飛ばされていた厄獣が、鼻血をだらだらと垂らしながら起き上がってきた。
「てめぇ、なんだゴラァオイ!」
獣の咆哮のように声を張る厄獣に、同じく怒りで目を燃やしたタマキは静かに歩み寄っていく。
「……うちの子を、馬鹿にするな。今謝ったら、許してやる」
「アア!? てめぇ舐めやがってこのっ……!」
そこから先は、外の世界を知ったばかりの少年には処理しきれない出来事の連続だった。タイマンで殴り合うタマキと厄獣。いつの間にか集まってきたギャラリーたちは、タマキたちの勝敗の行方で賭け始め、胴元が即席のオッズ表を段ボールの裏に描いて掲げている。
「さあ、人間と厄獣どっちに賭ける! 今なら人間は10倍で厄獣は3倍だ!」
「厄獣に一万!」
「人間に三千!!」
周囲の騒ぎを気にせず、タマキと厄獣は殴り合っている。不思議なのは、両者とも能力を使おうとはせず、己の肉体だけで戦っていることだ。
「行け、そこだー!」
「やっちまえー!」
治安の悪い声援と賭け金が飛び交い、どさくさに紛れて、近くの出店の主人が観客たちに酒やつまみを売って回る。
そんな乱痴気騒ぎを止めたのは、メガホン越しに響き渡った市役所職員の声だった。
「――そこの市民たち! ただちに解散しなさい! 従わなければ――」
その声を聞いた途端、市民たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。
「やべぇ市役所だ!」
「逃げろ!」
「さっさと賭け金返せ!」
まるで暴風が吹き荒れるかのような勢いで人の波は去っていき、その中の数人は足を止めて少年の頭をいささか乱暴に撫でていった。
「お前のパパやるなぁ!」
「稼がせてもらったぜ!」
「え?」
どうすればいいのか分からず少年がぽかんとしていると、鼻血を垂らしたままのタマキが足早にやってきて、少年の体を抱え上げた。
「逃げるぞ、掴まってなさい」
「えっ?」
少年の返答を待たず、タマキは人混みに紛れて逃げていく。二人の背後では市役所職員たちが、逃げ遅れた市民たちを蹴散らしていた。