第34話 小さな助けが来たようです
次にタマキが意識を取り戻すと、そこは薄暗くて寒い場所だった。
どうやら床に転がされているようで、体の下には冷たいコンクリートの感触しかない。辺りには生臭い湿った空気が立ち込め、どこか遠くから獣が唸るような声が響いている。
何度か瞬きをするうちに視界が暗闇に慣れていき、自分が一体どこにいるのか知覚する。
そこは、鉄格子が嵌められた牢獄だった。自分がいる牢以外にもいくつかの牢があるようで、啜り泣く声や、獰猛な獣の唸り声が聞こえてくる。
ぼんやりとした思考のままタマキはそれを聞いていたが、ある瞬間にハッと正気に戻って体を起こそうとした。
「……っ!?」
起きあがろうとしたタマキを阻んだのは、手足にかけられた拘束だった。
自由に歩き回れないようにするためだろう。手首は後ろ手で束ねられ、足首にもしっかり枷が嵌っている。
「くそっ……なんで……!」
口の中で悪態をつきながら、タマキは拘束を解こうともがく。
この程度の拘束なら、厄獣としての力を喚起すれば――
「……あれ?」
いつも通り、厄獣の血を呼び起こそうとしているというのに、タマキの体に変化は訪れなかった。
慌てて風の刃を作り出そうとするも、それも叶わない。ただ重苦しいほどの冷たい空気が停滞するばかりだ。
「まさか、寝ている間に強力な抑制剤を……?」
同時に頭が冷えていき、自分がここに至るまでにあったことを思い出す。
中央区の霧に当てられた自分は平静を失い、幼い嫉妬と猜疑の末にシータを拒絶した。その上、独断専行によって無様にも敵地に囚われたのだ。
それを改めて自覚し、タマキの口から乾いた笑いが漏れる。
「はは、自業自得か……」
冷静になった今なら、自分はただ疑心暗鬼になっていただけなのだと理解できる。確かに市役所の面々は自分に隠し事をしているかもしれないが――それはきっと、理由があってのことだ。
外の連中と市役所の人々は、根本的に違う。
自分への善意への確信が持てなくても、彼らが厄獣と人間の共存のために尽力していることは、痛いほど分かっていたというのに。
負の感情に突き動かされて失態を犯してしまったことを後悔しながら、タマキはさらに強く厄獣の血を喚起しようと集中した。
いくら抑制剤を投与されていても、強引に力を使うことはできる。
風が少しずつ渦巻き、視界が狭まる。あと少しで破裂するように力を解放できるはずだ。
しかしその時――小さく鋭い声がタマキを制止した。
「おにいちゃん、ダメっ……!」
ハッと声の方を見ると、見覚えのある少女が鉄格子の向こうで泣きそうな顔をしていた。咄嗟に彼女の言葉に従い、力を喚起するための集中を解くと、その少女――道引チカはほっと胸を撫で下ろした。
「よかった、間に合った……」
チカは安堵の表情を浮かべる。タマキはすぐに、彼女がここにいることの意味を察した。
「君がいるということは、もしかしてここは……」
「うん。ここは、トコヨ第二製薬の研究プラントだよ。おにいちゃんはここの大人の人に実験体として捕まったの……」
実験体。
その単語から、タマキは最悪の推測に辿り着く。
「まさかあの食人植物たちは、トコヨ第二製薬が生きた実験体を集めるために……!?」
タマキの言葉に、チカは泣きそうな表情で頷いた。
「研究所の人が町中に種を配って、実験体にするための人間や厄獣を調達してたの。あの植物は特殊なフェロモンを出してて、標的が自主的に育てたがるから調達が楽だってアイツらが……」
その時、タマキの脳裏によぎったのは、市役所に寄せられていた市民の声だった。
『……え? 隣人の育てている植物が羨ましいから欲しい?』
『だーかーらっ! うちで育ててた花が育ち過ぎちゃったから、引き取ってもらいたいんだって!』
もしかしたら、あれは食人植物の影響を受けた市民たちだったのかもしれない。
すぐ近くに転がっていた手がかりに気づけなかった悔しさに、タマキは唇を噛む。
「おにいちゃんも、あいつらが研究してる薬を打たれてるの。だから、力を使わないで!」
必死にそう主張するチカを怖がらせないよう、タマキはなんとか平静を取り繕って尋ねた。
「どうして力を使うのがまずいんだ? 抑制剤を打たれていても、無理矢理、力を使えば――」
タマキのその問いを遮るように、聞き覚えのある男の声が響く。
「それは、その試作品が重大な副作用を持っているからですよ、市役所職員さん」
わざとらしく足音を立てて近づいてきたのは――トコヨ第二製薬の社員である、益代ユタカだった。
「お前は、あの時の……!」
「覚えていてくださったようで光栄です。トコヨ第二製薬の研究プラントへようこそ」




