第32話 五芒会議は今日もギスギスしています
五芒会議は、今日も紛糾していた。
「まったく食人植物には困ったものだ。か弱い我々の感じている恐怖は、強者のお前たちには分からないだろうな!」
積み上げたクッションの上で声を張り上げる手のひらサイズの鼠は、キュウソのマシロ。
千年を生きる化け鼠であり、力の弱い厄獣たちが集まる北区の代表者だ。
「ああ、由々しき問題だ。だが慎重に動かねばならない」
低い声でゆっくりと告げた有角の人型は、ヤト。
伝承に語られる夜刀神その人であり、厄獣の人口が多い西区の代表者だ。
「そんな悠長なことを言って、お前のところが出所なんじゃないのか! これだから人間の都合を考えない厄獣は!」
椅子から立ち上がりそうな勢いでまくしたてるのは常世コタロウ。
トコヨモーター、トコヨ支部の支部長であり、排他的な思考を持つ人間の集まる南東区の代表者だ。
「あらあら坊や、そんなに大声を出さないで? 元気なのはいいことだけれど、限度があるわ」
穏やかにコタロウをたしなめるのは、ウブメドリのミハネ。
人間に上位者としての愛を振りまく存在であり、人間と厄獣の共生を最も実現している南西区の代表者だ。
四者にはそれぞれ、見るからに武力が高い護衛が控えており、この会議がただの懇親会ではないことをありありと示している。
そんな海千山千の魑魅魍魎たちを前にして、本日の議長を務める安穏ヒルオは目に見えて冷や汗を垂らしていた。
「エー……まずは、北区に関する騒動について、ご報告してもよろしいでしょうか……?」
恐る恐る議題を切り出すと、北区の管理を担当しているマシロは剣呑な目で安穏を睨みつけた。
「何だ? 俺の不手際を晒し上げるつもりか?」
「い、いえいえいえ、そんな滅相もない。マシロ様は日々、北区市民のために尽力されていますとも」
慌てて機嫌を取ってきた安穏に、マシロは面白くないという目を向ける。ハムスター程度のサイズしかない厄獣とはいえ、本気になれば安穏の首を一瞬で掻き切ることができる実力者だ。
無言で圧力をかけてくるマシロに、安穏の後ろに立って控えていたシータは――余計な口を挟まなかった。
普段の彼であれば、ここで自分の感じたことをそのまま口にしていただろう。だが、ここはトコヨ市の今後の命運を左右する、薄氷の上を歩くがごとき危うい会合だ。
このトコヨ市を崩壊させたくないのなら、会議中に一切言葉を発するな、と母親のミハネにきつく言い含められている。
ほんの数秒の静寂のあと、ヤトは何でもないような顔で告げた。
「実際、お前のところの不手際だろう。そこまで市民の生活を管理できないのなら、北区の代表者から降りたほうがいい」
「何だと!?」
強者の象徴であるようなヤトに言われ、マシロは一気に頭に血を上らせる。それに便乗するように、コタロウは言い放った。
「弱者がいきがるからそんなことになるんだよ! 北区の自治権は返上して、うちに任せたらどうだ? 少なくともお前が統治するより、市民にいい生活を送らせられるぞ?」
コタロウの申し出に、さっと顔を青くさせたのは安穏だ。
現状、コタロウの勢力圏は南東区だけだ。もしここに北区が加わってしまえば、二つの区に挟まれている東区が、なし崩し的に勢力範囲に加えられかねない。
だが、それをそのまま口にすれば、コタロウの機嫌を損ねるのは間違いない。慎重に言葉を選んで安穏が発言しようとしたその時、鈴が鳴るような美しい声でミハネが口を挟んだ。
「あらあら、今の議題はそこではないわ? まずは市役所さんの報告を聞きましょう?」
やけに耳に馴染むその声に、争っていた三者は一旦刃を収める。
ウブメドリのミハネ。
他の地域の伝承では天女や天使と呼ばれることもあった彼女は、加護と舌禍の災厄を同時に発現している。
彼女自身は穏やかな気性だが、もし怒らせようものなら、神として今でも崇められているヤトですら手こずるだろう。
そんなミハネにフォローされ、安穏はハンカチで額の汗を拭いながら、タマキによってギリギリのタイミングで届けられた資料を読み上げた。
「東区、サクラマス通りで起きたテン族の暴動は、市役所職員によって収められました。これに伴う死者怪我人は、ともに0名です」
安穏はちらりとマシロの様子を伺う。マシロは不機嫌な顔を隠さずに資料を見つめていた。
「テン族の族長の要請により、東区は彼らの居住場所を臨時で提供しました。この先数ヶ月かけて、彼らが自活できるように援助を続けるつもりです」
書類通りの内容を読み上げる安穏に、ヤトはぎろりと鋭い目を向けた。
「市役所。お前たちの行う援助は、当人に要請された場合のみに行われる。その認識は変わっていないだろうな」
「も、もちろんです。部下や同僚たちにもしっかりと周知しています」
こくこくと首を縦に振り、安穏は付け加える。
「トコヨ市役所は、全市民に福祉と保障を提供します。ただし、他地区の住民にそれを強制することはありません。助けを求められたときのみ、我々は動くことができます」
「ああ、そこを見誤られるとこの町の均衡は崩れる」
「そうねぇ。悲しいけれど、色々な考えを持つ子たちが共存するには、複数の共同体がそれぞれを治めないと成立しないもの」
ヤトとミハネがそれに同調し、マシロは不機嫌そうな顔のまま頷く。コタロウは瞳の奥底に野心を燃やしながら、安穏の一挙一動から弱みを握ろうと目を光らせていた。
そんな面々からの視線を一身に受けながら、安穏は会議を先に進める。
「次の議題に移ります。我々市役所は、くだんの食人植物について新しい情報を得ました。お手元の資料の二ページ目をご覧ください」
安穏は自分も資料をめくり、内心、緊張でがくがく震えているのを覆い隠して声を張る。
「先日、トコヨ市役所は、北トコヨ緑地公園にて無料配布されていたポケットティッシュに、食人植物の種子がおまけのようにつけられていたことを確認しました。その現物がお配りしたそちらです」
会議の出席者たちは、それぞれの目の前に置かれたポケットティッシュに目を向ける。密封されたビニール袋に入ったそれを、厄獣である三者は興味深そうに観察しはじめた。
「ほう、ポケットティッシュとはこういうものか」
「小さすぎて、わたくしが使ったらバラバラに破いてしまいそうねえ」
「俺にはでかすぎるな。寝心地は悪そうだが、ベッドにできそうだ」
人間の生活圏、特に庶民の間でしか流通していないものだからだろう。厄獣たちは無邪気さすら感じる物珍しそうな目で、ポケットティッシュを確認している。
彼らには怪しい素振りは全く見当たらなかった。
――唯一、真っ青な顔をしている常世コタロウを除いては。