第30話 上位存在は人の子を可愛がりたいようです
まるで小さな子供に対して言うように、半人半鳥の厄獣は言う。そのどこか歌っているかのような心地よい声に、タマキは全身の力が抜けてしまいそうになった。
「あらあら、疲れちゃったのね。わたくしが抱っこしてあげましょうか?」
よろめいたタマキの体を易々と受け止め、鳥人は問いかけてくる。その甘い言葉に身をゆだねてしまいそうになるのを、タマキはなんとか堪えた。
「っ、結構です……! 自分で歩けます」
すんでのところで成人男性としての矜持を保ち、なんとか足に力を入れなおす。鳥人は少しだけ残念そうな顔をして、腕の中からタマキを解放した。
そして、警戒して距離を取るタマキに、鳥人は心の底から心配しているという表情になった。
「坊や、ここは危ない場所よ? 帰り道はわかる?」
「……お気遣いいただいて申し訳ありませんが、俺は子供ではなく成人男性です」
ともすれば侮辱ともとれる態度を取られ、タマキはほんの少しのいらだちを込めて、鳥人に反論する。すると、タマキの予想に反して、鳥人は申し訳なさそうな顔をした。
「まあ、そうだったの、ごめんなさい。わたくし、人間はみんな可愛い子供に見えてしまうの」
そのまましおらしく落ち込んだ様子になる鳥人に、タマキはなんだか悪いことをしたような気分になった。
「……拒絶してしまいすみません。助けてくださったんですよね?」
「あらあら、ちゃんと自分から謝れるなんて、なんて良い子なのかしら! わたくしが頭を撫でてあげましょうね~」
そんなことを言いながら、鳥人はタマキの頭をぐりぐりと撫でまわす。そこには100パーセントの善意しか込められていない。
だが、そもそも相手は身長三メートルの巨大な生き物だ。そんな存在がたわむれに頭を撫でてきたら、命の危機を感じるのも仕方のないことだった。
「や、やめてください、首が折れますっ……」
「ふふふ、そんな失敗しないわよ。これでもわたくし、大勢の赤ん坊を育て上げてきたんだもの」
ほのぼのとそんなことを言いながら、鳥人は満足がいくまでタマキの頭を撫でまわす。一方のタマキは、鳥人の言葉にとある推測にたどり着いていた。
「あの……もしかして貴女は、シータさんのお母様ですか?」
「あら? シータのことを知っているの? もしかして、あの子のお友達かしら?」
鳥人は嬉しそうに頬を緩め、心地よい声色で尋ねてくる。タマキはいちいちそれに意識がぐらついてしまいながら、なんとか答えた。
「いえ、シータさんはただの職場の先輩です」
「そうなのね。あの子が先輩……先輩!? 何をやらせても一等に出来が悪かったあの子が先輩に!?」
大げさに驚く鳥人に、タマキは言いづらそうに付け加えた。
「ええ、まあ……。素直に尊敬できる先輩とは言いづらいですが……」
「そうよねえ。あの子が立派な先輩になっている姿は想像できないわ。後輩のあなたに迷惑をかけてばかりなのではなくって?」
子供を溺愛していそうなこの鳥人にすらこんな言い方をされているシータに呆れてしまいながら、タマキは一応フォローした。
「尊敬できるところもありますよ。何かと気を使ってくれたり、教えてくれようとしたり……結果は伴っていませんが……」
「その光景が目に浮かぶようだわ……」
鳥人は、子育てに悩むただの母親のように頭を抱える。その気持ちがありありと理解できたタマキは、同様にため息をついた。
「そうなると、もしかしてあなたの目的地は五芒会議かしら?」
「はい。室長とシータさんが会議資料を忘れてしまったので、それを届けに来たんです」
「まあ、それで一人でここまで。頑張ったわねえ」
再び頭を撫でられそうになるのを、タマキはのけぞって避ける。鳥人は撫でようとした野良猫に逃げられた人間のような顔をした後、タマキに手を差し出した。
「それなら目的地は同じだわ。一緒に行きましょうね」
「あ、ありがとうございます。ですが、手をつなぐのはちょっと……」
子ども扱いされることに抵抗するタマキに、鳥人は仕方なさそうに言った。
「でも、霧の中で迷子になって、さっきと同じように幻覚に襲われたら大変よ? 行きだけでも一緒に行きましょう?」
「うぐ……」
悔しそうにうなりながら、タマキは鳥人の手を取る。鳥人はにこりと笑うと、タマキの歩幅に合わせてゆっくりと歩き始めた。
「普段のシータについて聞いてもいいかしら? あの子、一応わたくしから巣立って市役所で働いているけれど、正直とても心配なの」
「お気持ち察します……。シータさんは、やることなすこと全て、少しずつ常識からずれていますし、表情が変わらないせいで真面目な話と冗談の区別もつきづらくて……」
「ふふ、分かるわよ。わたくしもとっても苦労させられたから」
苦労したという経験だというのに、鳥人の声色は愛おしそうだ。本当に心の底からシータのことを愛しているのだと悟り――タマキはほんの少し、うらやましさを覚えた。
母親からの愛を取り上げられ、幼いころの思い出も「ただの嘘だった」と否定されてきた自分には、彼女とシータの関係はまぶしすぎた。
もし、自分の母親が、彼女のように自分を愛してくれていたのなら。
もし、首都防衛隊に捕らえられることなく、彼女の愛を信じたまま育つことができたなら。
そんな「もしも」が頭をよぎり、タマキの思考は再び暗い方向へと落ち始める。
鳥人は陰鬱な表情になるタマキを心配そうに見てから、彼の気を紛らわせるようにお茶目な声を作った。
「じゃあ、坊やだけに教えてあげるわね。実は……シータは嘘をつくときにこうやって顎を触る癖があるの。本気か冗談かはそこで区別がつくわ」
そう言いながら、鳥人は自分の顎をつまむように撫でた。
思い返すと、今までもシータは顎を触るようなしぐさをしていたような気がする。
たとえばそう、あのファミレスで「東雲マドカ」について尋ねた時。
『いえ、存じ上げません。東雲マドカという厄獣について、僕は何も知りません』
あの時、シータは嘘をついていたんじゃないか?




