第14話 母親について複雑な事情があります
「……もしかして先ほどモーターの方が言っていた『托卵』というのは、あなたの育て親が厄獣であるという意味ですか?」
「はい。母はそれなりに強くて地位のある厄獣なので、その養い子である僕を傷つけたら、それはもう厄介な事態になるんです。想像はできますね、タマキ後輩?」
確認するように問われたタマキは重々しく頷いた。
ただでさえ危うい均衡の上に成り立っているらしいこのトコヨ市で、厄獣によって息子同然に可愛がって育てられた子供が傷つけられたとしたら、考えるのも恐ろしい事態になるのは間違いない。
シータは甘めに味付けされた安っぽいハンバーグを口に運び、ソースを口の端につけながら続ける。
「僕の母は、自慢の母親です。僕がいずれ人間社会に戻っても生きられるように、人間としての常識も教えて育ててくれました」
「はあ」
「ただ母自身も、人間というものの理解がよくできていなかったので、僕の人間としての振るまいは完璧というわけではありませんが」
「か、完璧じゃない自覚があったんですか!?」
思わず大声で叫ぶと、シータは目に見えて不機嫌そうな顔になった。
「む……。気分を害しました。謝罪を求めます」
「すみませんでした……」
さすがに自分に非があると感じたタマキは大人しく謝罪し、少しためらってから目の前に置かれたお子様ランチに手をつけ始めた。
半分以上、衣でかさ増しされたエビフライをフォークで刺し、口に運ぶ。質の悪い冷凍食品特有の鼻に抜ける異臭に、逆にノスタルジーを覚えた。
まだ自分が厄獣とのハーフだと知らず平和に暮らしていた頃、母が作ってくれたエビフライもこんな味がした。
脳裏に浮かんだ楽しい思い出に、付随する憎しみが喚起されて、タマキは食事の手を止める。
そんなタマキの様子に気づかず、シータは能天気に尋ねた。
「タマキ後輩のご両親はどんな方なんですか? 気になります」
何気なく尋ねられた問いにタマキは一瞬息を呑み、暗い目で唸るように答えた。
「――東雲マドカ。俺を生んだ厄獣であり、父を殺した仇です」
明らかに憎しみが込められた声色に、さすがのシータも異変に気づいて押し黙る。それをいいことに、タマキは言葉を続けた。
「五歳まで、俺は彼女に育てられました。父親は早くに亡くなったと聞かされて……。でも違ったんです。東雲マドカは、『飢餓』によって俺の父を食べていたんです」
今でも鮮やかに思い出せる。
ある日、正体が厄獣であるとバレて、俺と母は首都防衛隊から逃げ回った。何度も深い傷を負って、それでも母は俺のことを庇い続けた。
『――絶対に、ママが守ってあげるからね』
俺は母のことを信じていた。母は無害な厄獣で、母を追うあいつらこそが悪者なんだと。
だが、それは間違いだった。
戦闘の末に母は捕縛され、俺は首都防衛隊に告げられた。
『君の父親を食ったのは、あの女だ』
騙されていた。あいつは悪者だった。ただの憎むべき害獣だった。
己の中にその忌まわしい血が流れていることが確認され、首都防衛隊の一員としての訓練が始まり、そこで受けた教育によって厄獣への憎しみはさらに増していった。
その末に『飢餓』を発現した己は、トコヨ市送りになった。
あの女の末路と、同じように。
「東雲マドカは捕縛されて、トコヨ市送りになったと聞きました。だから、俺はっ……!」
タマキはフォークを握る手に力を込める。あふれ出した感情が荒れ狂い、理性を削っていく。
まずい、と思ったその瞬間、タマキの目の前にピルケースが置かれた。
「抑制剤です。服薬してください」
「っ……、ありがとう、ございます」
促されるまま抑制剤を飲み込み、シータは長く息を吐く。暴れ回っていた鼓動が徐々に落ち着いていき、感情のコントロールができるようになる。
抑制剤の作用に付属する倦怠感で脱力していると、シータは淡々と尋ねてきた。
「東雲マドカさんを見つけたら、タマキ後輩はどうするつもりなんですか?」
「それは……」
タマキは口ごもり、視線を泳がせた。
復讐したい、と言うのは簡単だ。事実、自分は彼女に憎しみを抱いている。だが、今の自分は市役所に勤める職員だ。そんなことは許されない。
たとえ、目の前に彼女が現れたとしても、我慢するしかない。
「……シータさん、東雲マドカという厄獣に心当たりはありませんか? 生まれた時からトコヨ市に住んでいるなら、噂ぐらい……!」
藁にもすがる勢いでタマキはシータに詰め寄る。
するとシータは顎を摘まむように何度か撫でた後、平坦に答えた。
「いえ、存じ上げません。東雲マドカという厄獣について、僕は何も知りません」
「そうですか……、そうですよね……」
脱力感と苦笑がこみ上げ、タマキは肩を落とす。シータはそんなタマキをじっと伺っていたが、不意にパンッと手を叩いた。
「では、そろそろこのトコヨ市の現状の説明に入りますね。説明不足はよくありませんので」
「は、はいっ」
急に真面目な話になったことに困惑しつつ、タマキは背筋を正す。シータも心なしか真剣な声色で話し始めた。
「トコヨ市には法がないと言いましたが、秩序がないわけではありません。トコヨモーターと市役所とその他三つの団体によって結ばれた、五芒協定によってパワーバランスが保たれているんです」
「五芒協定……」
「トコヨ市は、大きく分けると五つに分かれていて、それぞれが各団体の勢力範囲になっています。僕たち市役所は東区、トコヨモーターは南東区のように」
そう言いながらシータは、テーブルの上に指で五芒星を描く。それぞれの先端に五つの団体がいるということだろう。
「トコヨモーターは人間至上主義の団体で、厄獣を毛嫌いしているのですが……最近起こっている『食人植物』事件解決のために、市役所と共同歩調を取っているというわけです」
次々と口にされるシータの説明に、タマキはなんとかついていって、首を縦に振った。
「なるほど……。その『食人植物』事件というのは?」
「読んで字の通りです。人を食う植物が突発的に出現する事件で、口頭では説明が難しいので実際に見たほうが理解できるのですが――」
その時、激しい破壊音が店内に響き、タマキは反射的にシータの手を掴んで、背もたれを盾にして隠れた。
続いて何者かの咆哮が響き、建物中がびりびりと震える。
タマキとシータは慎重に顔を出し、襲撃者の正体を目にした。
「あれのことです、タマキ後輩。理解できましたか?」
「……はい、よく理解できました」
そこにいたのは、食虫植物をそのまま巨大にしたような怪物だった。