第11話 トコヨモーターは人類の味方です
結局、二人が平常心を取り戻すには十数分を要した。
「そうだね、ショックだったね、でも拒絶されても仕方ないぐらい君が問題を起こしているのは事実だからね、あっ、泣かないでほらっ、タマキくんも何かフォローしたげてっ」
「ええと、その……頑張ってください」
「……ぐすん」
「慰めるの下手くそなのぉ!?」
そんな騒がしいやりとりをしながら車は進み、約束の時間ギリギリに目的地へと到着した。
疲れ切った顔で運転席から降りた安穏に対し、シータとタマキはどこかすっきりとした表情をしている。
「では、シータさん。そういうこともあるということで」
「そうですね、タマキ後輩。そういうこともあります」
「ほんっと君たちさぁ……!」
それ以上しゃべろうとすれば全て面倒な事態に繋がると悟った安穏は、諦めたように深く息を吐いた。
「結局、ろくな説明できずに到着しちゃったから、タマキくんはいい感じに話を合わせてね。シータくんはいつも通り黙ってること! 約束だよ?」
「わかりました」
「了解です!」
二人が素直に頷いたのを確認し、安穏はトコヨモーターの正面入口に向き直った。そこにいるのは、市役所など比べものにならないほど厳重な警備だ。
武装した警備員が左右に立っているのはもちろんのこと、いたるところに設置された防犯カメラには重火器が付属しており、少しでも妙な真似をすれば全身を蜂の巣にされるのは間違いない。
警備員にボディチェックを受けながら、タマキはその様子を密かに伺っていた。
この場所の空気は、タマキにとってなじみ深いものだった。
殺意と敵意が満ちた場所。最前線の鉄火場の空気だ。
「……ふん、一応、問題ないようですね。ここで大人しく待つように」
高圧的に告げられ、三人はその場に放置される。タマキは小声で安穏に尋ねた。
「やけに物々しいですが、ここはトコヨモーターの社屋なんですよね……?」
「うん、ある意味ではこのトコヨ市で最も安全が保障された場所かもね」
「なぜ、ただの企業の社屋がこんな……」
ぼそぼそと話していたタマキと安穏の会話を遮るように、奥から現れた人物が高らかに言い放った。
「それは――我らこそがトコヨであるからだ!」
まるで標語を唱えるかのように誇らしげに言ったのは、青色の作業服に身を包んだ痩身の好青年だった。
全体的な顔つきは爽やかな印象を受けるというのに、その目には苛烈な野心が燃えている。後々で安穏が彼を表して『笑顔で威嚇するタイプのスーパービジネスマン』と言っていたが、まさにその言葉が相応しい存在だった。
安穏は明らかに年下である彼に、深々と頭を下げた。
「どうも、常世コタロウさん。ご無沙汰しております」
「ああ、まったくだ! お前らのような、どっちつかずの臆病者の顔など、すすんで見たくはないがな!」
「ええ、あはは……」
いちいち叫ぶように話すコタロウの声に、タマキは自分の声量を棚に上げて眉根を寄せた。
コタロウはめざとくその表情の変化に気づき、勢いよくタマキをにらみつけた。
「何だ、お前は! 何か私に不満でもあるのかね!? トコヨモーターの次期社長であるこの常世コタロウに!」
「じ、次期社長!?」
タマキが驚愕したのは、無理もないことだった。
トコヨモーターは過去の勢いは失ったとはいえ、壁の外で立派に活動している大企業だ。その次期社長がトコヨ市にいるなんて、あり得ない。
トコヨ市に一度入った者は、原則として二度と外には出られないのだから。
「ふん! 私の顔を知らないとは、新入りのようだな! 世間知らずの田舎者の粗相だと思って一度は許そうではないか!」
「……はあ?」
苛立ちもあらわにタマキは低く唸る。そんなタマキとコタロウの間に、安穏は慌てて割り込んだ。
「あーあー! まっことに申し訳ありません! 世間知らずなもので! しっかり言い聞かせますので! 何卒!」
土下座しかねない勢いでペコペコと頭を下げる安穏の頭を見下ろし、コタロウは鼻を鳴らした。
「私は許すと言ったぞ、厄対! 二度も言わせるな!」
「あ、ありがとうございますぅ……」
情けない声を上げて、安穏は一歩下がる。さりげなくタマキのことを背中に庇いながら。
このコタロウという人間は、絶対に逆らってはならない人物なのだ。
安穏の振る舞いでそれを察したタマキは、顔に出してしまっていた苛立ちを飲み込んだ。
「大変、失礼致しました」
深々と頭を下げたタマキの謝罪にコタロウは返事すらせず、その代わりに安穏に声を飛ばした。
「それで厄対! 用件はこの新入りの紹介か? これはまた随分と臭い男だな!」
「なっ……」
唐突に悪臭を指摘され、タマキは咄嗟に自分の服をつまんで匂いを確認する。コタロウはそれを愉快そうに眺めた後、大げさな身振りとともに言い放った。
「ああ、臭い臭い! 汚らわしい厄獣の匂いがするぞ! 人の姿をしているだけの下等生物め!」
タマキは数秒フリーズした後、怒りとも悔しさともつかないどす黒い感情がこみ上げてくるのを感じた。
侮辱された。厄獣なんかと一緒にされたくない。厄獣を忌み嫌う気持ちは分かる。自分は、厄獣とのハーフだ。罵倒されて当然かもしれない。それでも、許せない。ここまで侮辱されて黙っていられない。
己の中の厄獣の血が喚起され、喉の奥から獰猛なうなり声が発される。ギチギチと奥歯を噛みしめ、怒りに支配された視界がコタロウを捉える。
あとほんの数秒でコタロウに掴みかかろうとしたその時――隣にいたシータが一歩前に出て、能天気な声色で言った。
「相変わらず子供みたいな悪口がお上手なんですね」
「……ああん!?」
「おや、丁寧な態度が崩れていますよ。ダメじゃないですか、ビジネスマンなんですからちゃんとした言葉遣いをするべきです」
「ぐっ……このっ……!」
ずけずけと物を言うシータに、タマキは怒りを忘れて呆然と彼の背中を見る。庇われたのだということはすぐに分かった。
情けない。こんな単純な挑発に乗るなんて。
怒りが収まるのと同時に、人間離れしつつあった見た目は徐々に人の姿に戻っていき、一時的な虚脱感でタマキはうずくまる。安穏はそんなタマキのそばにかがみ込むと、小声で呼びかけた。
「タマキくん、落ち着いた?」
「……はい、申し訳ありません」
「謝罪は後でいいよ。まずはここを切り抜けて帰っちゃおう」
安穏が視線を上げるのにつられて、タマキも顔を上げる。シータは普段通りの無表情で、コタロウと相対していた。
「そもそも僕たちは小競り合いをしている場合ではありません。『食人植物』の件で共同歩調を申し入れてきたのはあなたのほうでは?」
「うるさいうるさい! お前らがちゃんと仕事をしないから『食人植物』が根絶やしにできてないんだろうが! 所詮、厄獣と内通してるような汚らわしい奴らに期待した私が馬鹿だったな!」
「そうやって他を下げる発言をしていると、器が小さく見えるらしいですよ。雑誌で読みました。これは忠告ですが、コタロウさんはトコヨ市を背負う次期社長なのですから、もっと器を大きく持つべきでは?」
「ぐっ、この……! 汚らわしい托卵でさえなければ、お前なんてっ……!」
「事実として僕は托卵ですので、『もしも』ということはありません」
「ぐぎぃ……!」
ギリギリと歯ぎしりをして悔しがるコタロウは、何故かシータに強く出られないようだった。
それを好機と見たのだろう。安穏はシータとコタロウの間に滑り込み、早口でまくし立てた。
「お忙しい中、お時間をいただき誠にありがとうございました! お仕事の邪魔をしてしまうのは心苦しいですので、私たちはこれで失礼します!」
まるで呪文の詠唱のように定型句をぶつけると、安穏はシータとタマキの腕を掴んで社屋の外に転げ出て、二人を公用車に詰め込んだ。
「説教は後! シートベルトしてっ!」
返事を待たずに安穏はアクセルを踏み込み、三人を乗せた車は急発進する。武装した警備が銃口をこちらに向けて停止を求めてくるが、安穏はさらに加速してトコヨモーターの正門を内側から突破した。




