第10話 自称先輩はとてもめんどくさいです
トコヨ市役所は、トコヨ市の中でも治安が比較的マシな東区に存在している。
とはいえ、市庁舎から一歩出ればそこは、種族のるつぼである無法地帯だ。文字通りトコヨ市にはそもそも法律すらないのだが。
市役所正門の前では、一国の軍事施設かと思うほど物々しい警備が目を光らせ、酔っ払った数名の市民がそれに絡んでいる。
「おーい公僕! 無視してんじゃねーぞ!」
「そうだそうだ! 言ってやってくださいよアニキ!」
アニキと呼ばれた方が人間で、もう片方がトカゲに似た二足歩行の厄獣だ。二人とも片手に酒瓶を持ち、時々ラッパ飲みをしながらゲラゲラと笑っている。
「あーもう、また絡まれてるぅ……」
頭を抱える安穏をよそに、シータはとことこと彼らのもとへと歩み寄っていった。
「市民さん、困ります。市役所ではルールを守っていただかないと」
「げぇっ、厄対!」
「ず、ずらかりましょうぜ、アニキ!」
シータの顔を見たよっぱらいたちは、顔を青ざめさせてそそくさと去っていった。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送った後、シータはえっへんと胸を張る。
「どうですか、タマキ後輩。僕のオーラに恐れをなして、破落戸たちが退散していきましたよ」
「は、はあ、そうですか……?」
少なくともオーラではないだろうという気持ちと、肩書きに怯えて逃げていったのならあながち間違いではないのではという気持ちがタマキの中で衝突し、結果的に少しズレた問いが彼の口から出る。
「先ほど、生活安全課の名前が警察のように扱われると仰っていましたが、もしかして厄獣対策室はそれ以上の扱いを受けているんですか……?」
「察しがいいですね、タマキ後輩。後輩の才能があります」
「はあ、どうも」
「あなたのような後輩を持てて、先輩の僕は嬉しいです」
「恐縮です」
どこか的外れなシータの返答に、タマキは戸惑うことも訂正することもなく素直に返事をする。
悪意無く目の前で繰り広げられるぼんやりとしたやりとりに、安穏はたまらずツッコミを入れた。
「いや、どういう会話!? 二人だけで完結しないで!?」
大げさな身振り手振りをしながら、安穏は主張する。無表情なシータと生真面目なタマキは目を見合わせた。
「タマキ後輩、室長が会話の輪に入れなくて困っています。ジェネレーションギャップというものです。フォローをお願いします」
「すみません、そういった気の利いた対応は苦手で……」
「そうですか。これから慣れていきましょう」
「善処します」
タマキは真剣な顔で素直に頷く。一方、若者とうまく会話ができない可哀想な中年扱いをされた安穏は、がっくりと肩を落とした。
「君たちいつの間にそんなに仲良くなったの? もう、そういう漫才コンビみたいになってるじゃん」
「そうですか? では、これからはタマキ後輩と漫才コンビとして生きていきます」
「勝手に決めないでください。漫才には詳しくないので無理ですよ」
「あーもう! ものの例えだよ! 息ぴったりの相棒みたいってこと!」
シータとタマキは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で何度もまばたきをした後、顔を見合わせた。先に口を開いたのはシータだ。
「なるほど相棒。それは良い響きですね。タマキ後輩、僕と相棒になりましょう」
「え……嫌ですが」
「えっ?」
「え?」
当然受け入れられるものと思っていたシータは驚きで固まる。そのまま石像のように動かなくなるシータに、タマキはほんの少しの罪悪感を覚えた。
「あー……、まだ先輩としても認めていないのに、相棒になるのは難しいということですよ」
「なるほど、そういうことですか。てっきり僕の相棒になって、僕の周りでなぜか起きる厄介ごとを一緒に片付けるのが嫌なのかと思いました」
「いえ、それは嫌ですが」
「えっ」
ここで説明しておくと、シータという人物は自己評価が富士山よりも高く、自分は全人類、全厄獣に無条件に愛されていると信じている。そして、彼の出生の事情ゆえに、彼に対して明確に完全な拒絶を示すような存在はトコヨ市には存在しない。
そんな全方向愛され人間だと自認しているシータが、可愛がっている後輩に拒絶されて、無事で済むはずがなかった。
「そ、そうですか……嫌ですか……」
シータの目が潤み、小さく鼻をすすりながら俯く。
一方のタマキという人物も、こういったコミュニケーションには不得手だった。
何しろ幼い頃に特殊部隊に「保護」されてから、戦闘訓練と洗脳教育しか受けてこなかったのだ。同年代の隊員もいたが、学校のような共同体に属したことはない。
いきなり目の前で年下の先輩が泣き始めた時の対処法など、そんなタマキに思い浮かぶはずもない。
気まずい空気が数秒立ちこめ、それを吹き飛ばすように安穏は大声を上げた。
「あーあー! じゃあ上司命令ね! 君たちは今日から相棒になりなさい! それでいいでしょ!? ほら、注目集めちゃってるし、早く車に乗って!」
固まっている二人を強引に車に詰め込み、安穏は運転席でキーを回す。エンジンが吹かされ、車体は滑るように市役所を出発した。