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わたしはその晩、覚悟を持って切り出した。
「コルネリア様。わたくし、悪役令嬢になろうと思いますわ」
「……セリアーナ。今、悪役令嬢と聞こえたのだけれど、聞き間違えよね。もう一度おっしゃってくださる?」
菩薩のお顔でコルネリア様が聞き返したたため、もう少し大きな声で同じことを繰り返した。
「わたくし、悪役令嬢になります。ユージーン殿下とマルゲッタ嬢は明らかに嘘をついていますわ。コルネリア様を悪者にして、自分たちだけ幸せになろうだなんて都合がよすぎます!」けれど
登校していないのでその後の学園の状況が分からないが、わたしは推しの些細な表情の変化も見逃さない自負がある。どこか物憂げで気の晴れない表情から、あの二人はやりたい放題なんだろうという想像はついていた。
政略的な婚約者だからショックはないわ、とコルネリア様は言っていたけれど、そういう問題じゃない。推しをコケにされて黙っているファンがどこにいるだろうか。
「気持ちは嬉しいわ、セリアーナ。わたくしだって、正直思うところはあります。けれどね、相手は第一王子よ。下手なことをすればあなた自身が危ないわ」
「そのご心配は不要です。……コルネリア様、わたくしのことを見つめていただけますか?」
「えっ?」
言ってから、なんだか恥ずかしい言い回しだったわと焦りが湧いてくる。
その気持ちから逃げるように、アメシストのような瞳に見つめられながら、わたしは能力を発動した。
「……あら?? 瞬きの間にセリアーナがいなくなったわ。いったいどういうことかしら」
慌てるコルネリア様の声を受けて、わたしは再び姿を現す。
淑女の仮面が剥がれ、鳩が豆鉄砲を食らったような表情のコルネリア様に説明する。
「……実は、わたくしの魔能は『透明になれる』というものなんです。これを使えば、正体がバレることなく復讐できます」
「と、透明になれる? そのような魔能は聞いたことがありませんわ。国に一人いるかどうか、いえ、世界に一人いるかどうかも怪しい貴重な能力ですわ」
――そう。だからセリアーナは『無能』ということになっていた。開いた口が塞がらないコルネリアの表情が、この能力の特異性を物語っていた。
貴族の令嬢令息は、十歳になると魔能の測定を受けることになっている。将来の進路を考える一助とするほか、稀有な能力であればよりよい縁組にもつながる。貴族にとってはまさに人生の一大イベントだ。
セリアーナを測定した神官は目を見開き、そしてすぐさまもう一度測定を行って結果に間違いがないことを確認すると、そっと彼女の耳元に口を寄せた。
「お嬢さん。君には透明になれる魔能があるが、この能力は諸刃の剣だ。お家の人には、魔能はなかったと伝えなさい。将来、自分が信頼できると判断した人にだけ打ち明けるといい」
そのときは神官の言葉にピンときていなかったセリアーナだったが、帰宅して無能だったと伝えたとたん豹変した家族たちを見て、ああこういうことかと納得した。裏表があるような人に知られたら、きっと自分はいいように利用されてしまうのだろうと。
忠告のおかげで、虐げられこそすれ悪事の片棒を担がされることはなかった。透明になって母やミアに仕返しをしようと思ったこともあったが、そんなことに魔能を使うと、せっかく自分の将来を心配してくれた善き神官に申し訳ない気がして、ぐっと堪えていた。
――それから五年が経って、セリアーナはようやく信頼できる人を見つけた。その人のために、この魔能を使って復讐をするのである。
「――それにコルネリア様。わたくし、今が転換期だと思っているんです。実家から連れ出していただき、ここで心身を休めるうちに、自分にはやりたいことがたくさんあるのだと気がつきました。失いたくない場所もきちんと認識することができました。これからは自分がやりたいと思うことをやって生きてみたいのですわ。物語に出てくる、颯爽とした悪役令嬢のように」
昼間に読んでいた、コルネリア様が借りてきてくれた本を取り出してみせる。
義に厚い令嬢がヒール役を背負いながらも、自分の信念や人助けのために奔走するという活劇小説だった。
(自分の人生が戻ってきたんだもの。これからは後悔のないように、やりたいことをして生きていきたいわ)
物語で読んだ痛快な悪役令嬢のように。世界を渡り歩く自由気ままな冒険者のように。
主役にはなれなくても、脇役なりに人生を楽しいことでいっぱいにしていきたい。
そしてそれはつまり、コルネリア様を幸せにしたいということ。わたしの生きがいであり、恩人であるコルネリア様に、ほんの少しでもお役に立ちたい。
一生懸命説明すると、目の前のコルネリア様は、とうとう観念したように首を縦に振った。
「……分かったわ。でも、これだけは約束して。決して無茶はしないでね。わたくしはあなたの気持ちだけで十分支えになっているのだから」
「はい! これからも推し活を……ゲフンゲフン。コルネリア様をお支えしたいので、無理はいたしません。お約束します」
「ありがとう、セリアーナ。わたくしは幸せ者ね」
目の端を赤くしたコルネリア様が差し出した手は神具のように神々しかった。わたしは恐る恐る、そして最大の敬意をもって、そっと握り返したのだった。




