4
ぱちりと目を開けたとき、はて自分はどこにいるのだろうと混乱した。
明らかに上質な寝具に、お姫様が寝るような天蓋付きベッド。両親にちやほや可愛がられているミアの部屋だってこんなに上等ではない。
するとタイミングよくドアが開く。入ってきたのはまさかのコルネリア様だったから、ここはよもや天国かと目を疑って飛び起きた。
「おお神よ! 感謝いたします! 死んでもコルネリア様にお会いできるだなんて! わたくしはなんと幸せ者なのでしょう!」
合掌して天を仰いでいると、コルネリア様は上品に微笑んだ。
「まあ、セリアーナったら。寝ぼけているの? 可哀想に、あちこち怪我をしてしまって。医師の手当ては済んでいますから、ゆっくりお休みになって」
コルネリア様は水を張った盥を置き、タオルを絞ってわたしの手の傷を拭き始めた。その感触は死後の世界とは思えないほどはっきりしていたから、思わず自分の頬をつねる。
「……痛い」
「あら! ごめんなさい。もっと優しくするわね」
「あっいや! 違うのです。これは夢かと思いまして……」
夢じゃない。現実だった。どうして自分は推しの家に転がり込んでいるのだろう。しかも分不相応な寝室に寝かせられ、新品のお高い夜着まで着せてもらっている。
(お古で十分ありがたかったですのに。コルネリア様が使い古したやつ。さぞかしいい香りがするのでしょうね。……っというか、わたくしコルネリア様と会話をしておりますわ! ああ、お声まで清流のせせらぎのごとく澄んでおられますわ。聞いているだけで心が洗われる…………)
森の妖精のように清らかで愛らしいお声だ。見た目はクール系で凛としているのに、声は鈴を転がすように可愛らしいというギャップがたまらない。
「……えっと、セリアーナ? 涎が出ているわ。顎も怪我をしているのかしら。大丈夫?」
「あっ、見苦しいものを失礼いたしました。顎は負傷しておりません」
名前を知っていただけていたことにも感動していると、彼女は手を止めて状況の説明をしてくれた。
「あなた、わたくしを庇ったばっかりに立場が悪くなってしまったでしょう。……でも、わたくし、とても嬉しかったのよ。ユージーン殿下に物申せる人間なんていないもの。あの場で声を上げることの難しさは理解しているつもりよ。謝罪とお礼をお伝えしに伯爵家を訪ねたら、門の前で倒れているあなたを見つけたの」
状況からすべてを察したコルネリア様は、わたしを拾ってジャレット公爵家へ連れ帰った。
横暴なユージーン殿下の所業に怒り心頭だった公爵様は、唯一娘を庇ったわたしを快く受け入れてくださったらしい。あちこちに血が滲んだ身体を見て、もう伯爵家へは帰さない、うちの養女にするとまで宣言しているそうなのだ。
「だから、どうかここにいてちょうだいね。あなたはわたくしの恩人なの」
コルネリア様は天使の笑みを浮かべてわたしの手を握る。
温かくてすべすべした感触に昇天しそうになったけれど、歯をくいしばって耐えた。まだまだ生きて推しを見守り続けたい。
「でっ、でも。ご迷惑ですよ。コルネリア様も大変な時にご負担を増やしたくありません」
「全く問題ないわ。それにあなた、その様子だと帰る家がなくなったのではなくて? 近所の住民の方々が、『勘当よ!』という伯爵夫人の怒鳴り声を聞いたと教えてくれたわ」
「そっ、それは……。でも、平気です。身体だけは丈夫なので、住み込みの仕事でも探します」
家族のゴタゴタを知られてしまった恥ずかしさで顔を赤くすると、コルネリア様は小さくため息をつき、再度口を開く。
「厳しいことを言うけれど、住み込みの仕事だけでは学費すらまかなえないわ。あなたが学園を辞めることになったらとても悲しいの。わたくしの我儘を叶えると思って、どうかこの屋敷にいてちょうだい。生活費や学費は、味方になってくれた謝礼として受け取って。もちろんお父様もそれを望んでいらっしゃるわ」
弱小伯爵令嬢ですらなくなったわたしにとって、それは破格の申し出に違いなかった。
何かの間違いでは? そんなうまい話があるのかしら? そう思ったけれど、コルネリア様の表情は真剣で、心から提案してくださっていることが伝わってきた。
(コルネリア様がわたくしなどのためにこんなに真剣なお顔を……! ああ、どうしたらいいのかしら。働くのは問題ないけれど、学園を辞めたら女神に会えなくなってしまう。それは困るし……)
金銭全面援助で推しと一緒に住むなど恐れ多すぎることだった。けれども、はるか格上の公爵家からの申し出を断るというのも、それはそれでマナー違反にあたるということも知っていた。
何往復も問答を繰り返し、結局身体が治るまではこの部屋を使わせていただくけれど、学園に行けるくらいまで回復したら、離れの古いコテージハウスに移動するということで話がまとまった。
養女の件は、これこそすぐには判断がつきかねたので、ひとまず保留にしてもらうことにしたのだった。