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静寂を取り戻した教会に、やがて小さな馬のひづめの音が聞こえ始める。
だんだんと大きくなり、教会のすぐ近くまで来て音は止んだ。ひづめの音の代わりに、敷地内に散らばる廃材を足で蹴るような音が聞こえた。
「来たのか? 思ったより早かったな」
侯爵は仄暗い表情で立ち上がり、入り口側を向いた。
薄暗い廊下から聖堂に姿を現したのは、やはりジャレット公爵様だった。
「セリアーナはここにいるのか? ああ、可哀想に。助けに来たからね」
女神像に縛り付けられたわたしを見つけて、公爵様は驚きを浮かべながらも頼もしい言葉を掛けてくれた。
異常な状況にも動じない堂々とした姿。さすが軍を取りまとめる大将軍様だ。
侯爵はそんな公爵様をせせら笑った。
「間抜けな奴め。生きて帰れると思っているのか? そういう呑気なところは変わらないようだな」
「おや? 話が違うね。一人でくればセリアーナは返してくれる約束じゃないか」
「馬鹿め。おまえもそこの娘も今日が最後の命だ。……いや、娘の魔能はお前と違って利用価値があるから、生かして私の手足にしてやってもよいがな」
「君こそ、そういう卑怯なところは昔のままだね。だから万年二番手なんじゃないか?」
「きっ、貴様っ……!!」
額に青筋を立てるバロンド侯爵だが、公爵様は一向に意に介さない。
「僕の命は差し出そう。君に呼び出された時から、ただでは帰れないだろうと覚悟はできていたからね。だが、セリアーナのことは助けてくれないか? まだ若いし、今まで苦労してきた子だ。こんな形で人生を終えるのはあまりに酷だし、当然君の汚い手足にもなりたくないだろう」
「貴様の指図はもう二度と受けない。娘をどうしようが、俺の勝手だ」
「分からず屋だな、ほんとうに。君にも子供がいるだろう? 恥ずかしくないんだろうか。自分の娘と同じ年の子を利用しようだなんて」
挑発するような物言いに、侯爵は顔を真っ赤にしてぶるぶると身体を震わせていた。
その姿には既視感があって、よくよく思い出してみると、アルフレッド殿下の部屋で見たローズ様の姿に似ていることに気がついた。
プライドが高く、自分を否定されることは絶対に許せない。すごく似ている親子だと思った。
「おおかたこの教会にも私兵を忍ばせているんだろう? 君のやりそうな姑息な手段だ」
「貴様ははるかに残酷なことをしてきただろう! 自分のことを棚に上げるつもりか? 戦場でしてきた残虐非道な行いを、夫人に全てバラしてやってもいいのだぞ」
「脅しているのか? 構わないよ。メリンダは全てを知ったうえで僕と結婚してくれたからね。今更動じることはないだろうよ」
勝ち誇ったような笑みを浮かべると、侯爵は血が出そうなくらいきつく唇を噛んだ。
腹の底から煮えくり返ったような低い声を出し、公爵様を睨みつける。
「……お前は今日ここで死ぬ。そして俺は帝国と手を組み、かの国の将軍になる。最後に勝つのは俺だ」
腰に佩いた剣に手をかけ、大きな声で号令を出した。
「かかれ! ジャレット公爵を討ち取るのだ!!」
掛け声とほとんど同時に、大聖堂を囲むように位置する四つの扉が勢いよく開く。侯爵の雇った兵士がわあっと雄叫びを上げながらなだれ込んできた。
(こんなにたくさん!? 公爵様が危ないわ!!)
ヒエッという声を上げてお父様が椅子の下に逃げ込んだ。
わたしは口に布が詰め込まれているので、声にならない声を上げる。
(侯爵は卑怯者ね! 約束を守らないうえに、一人に対してこんない大勢の兵士を差し向けるなんて)
そして、当の侯爵本人は、剣こそ携えているものの、芝居を見物するような表情で一歩引いた位置に下がっていた。
兵士たちが公爵様をいたぶるところをじっくり眺めてから、とどめは自分が刺すつもりだ。
(殿下……!! どうかお助け下さい……)
この状況を打開できるのは。
わたしの王子様。アルフレッド殿下しかいなかった。




