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ズビッッ!!
静かな部屋に、涙を孕んだ鼻をすする音が響き渡った。
「誰だ」
すぐさま侯爵様が反応し、素早く懐から短刀を出して身構えた。
お父様のことなど一瞬で頭から吹き飛び、氷のように身を硬くする。心臓がドキドキとうるさく高鳴り、早くなる呼吸と息遣いを抑えることができない。
侯爵様は舐めるように室内を見渡し、そしてわたしがいるところで視線を留める。
「……ほう?」
にやりと唇の端がつり上がる。
見えていないはずなのに、目が合っている。なにも考えられなくなって、わたしの足は床に縫い留められて一歩も動かせなかった。
侯爵様は右手に短刀を構えたまま、にゅっと左腕をこちらに伸ばし、わたしの肩を強い力で掴んだ。
不敵に笑った口元からは鋭い犬歯が覗いた。青白い顔に月光が当たり、まるで吸血鬼のように見えた。
「やはり、いるな。くくく。これはいい。おおかた公爵側の人間だろう。お前には、今度は私の役に立ってもらおうか」
「…………!!」
恐怖で言葉を出せずにいると、侯爵様はふんと鼻を鳴らし、長い脚でわたしの足を払った。
「きゃっ!!」
緊張で棒のようになっていた足では踏ん張ることができず、どたっと床に倒れ込む。
その拍子に集中が途切れてしまい、魔能がぷつりと解除されてしまった。わたしの姿を見た侯爵様はくいっと片眉を上げ、そして一番面白そうな笑みを浮かべた。
「公爵家に新しく入った養子だな? これは面白い獲物だ」
「せ、セリアーナ!?」
困惑したようなお父様の声。
とんでもない親子の再会だけれど、今はそれどころではない。自分の身がどうなってしまうのか、わたしの頭はそのことでいっぱいだった。
「こやつを縛り上げよ。連れて行くぞ」
「……ええと……でも……」
言い淀むお父様に、侯爵様は低い声で繰り返した。
「縛り上げよ、と言ったのだ。命令を聞けぬのなら報酬はやらぬ」
「はっ、はい! 仰せのままに」
声を上げる前に、口に布が突っ込まれた。
わたしは実の父親の手によって縄で縛り上げられ、そして、夜の闇に溶けるようにして、窓からひっそりとどこかへ連れ出されたのだった。




